筋肉娘の憂鬱

橋宗 優里

(6)

 ふう。
 マットにのぴたヤッちゃんに背を向け、あたしは思わず溜め息をついた。
 結構大変だったけど、とにかく勝ったのよ。
 これで、東山さんは助かる。
 でもって……
 もしかしたら、今度こそうまくゆくかも知れない。
 ……ジーン。
 あ、涙が出てきそう。
 これで、あたしの苦難に満ちた時代は終わるのよ。あとは、バラ色の青春のみ!
「これで決まりました。マッスル・佐伯、勝ちました」
 放送席のアナウンサーががなりたてる。
 もう。ムードぶち壊しなんだから。
『試合開始から二十七分三十一秒。四大グループの抗争が、今ここに……」
 不意にアナウンサーの声が途切れる。
 ……何?
 そう思った時、背後にとてつもない質量感が動いた。
 え……?
 後ろから目の前に、グローブのような手が飛び出してきて、あたしの首を絞め上げた。
『ああっ! 今、決着がついたかと、意識を失ったかと思われたヤッちゃんが、背後からマッスル・佐伯を襲いました。右腕で、マッスル・佐伯の細い首を絞め上げます!」
 ちょっと、もう! 人ごとだと思って、呑気なこと言って……!
 首を絞められてるこっちは、まさに死活問題よ!
 苦しい。頭が、ガンガンする。このままじゃ、死んじゃう──
 ──死ぬ?
 冗談じゃ無いわよ! あたしの明るい未来はどうしてくれるの!
 こんな肉の固まりなんかに、あたしの人生を壊されてたまるか!
 この野郎────!
 あたしは、リングシューズでヤッちゃんの足のツボを踏みつけた。
「ぐっ!」
 わずかに重心が揺らぐ。
 チャンス!
 あたしは、あたしの首を絞めている腕をとって、前にかがみ込んだ。足を後ろに跳ね上げ、内股を蹴りあげる。
 マッスル・ガールの筋力って、並みじゃないんだからね。
 あたしは、力まかせにヤッちゃんを投げ飛ばした。
 ズンッ!
 マットを揺るがし巨体が跳ねる。
 立ち上がってくるヤッちゃんは、さすがに頭を振ってるけど、しっかりした足取りだ。これは、効いてない。……たく、これだから、体の大きい奴は嫌なのよ。鈍いんだから!
 起き上がってくるヤツちゃんの首を右脇に抱えて極める。左手はヤッちゃんのベルトを鷲掴みにして……
「よいしょお────!」
 思い切って持ち上げる。
 会場がどよめく。
 十分滞空時間を取ってから、あたしはヤッちゃんをマットに叩きつけた。
『おお──! これは、ブレンバスターだあ! 必殺の大技、リングに炸裂!』
 アナウンサーか叫ぶけど……やだ、また起き上がってくる。
 やめてよお。
 あたしは泣きたくなるような気分で、起き上がったヤッちゃんにラリアートをかました。ガクリとヤッちゃんの膝が崩れる。やっと、脚にダメージがきたか。
 すかさずヤッちゃんを、トップロープ越しにリング下に落とす。
 また、起き上がれないのを横目で確かめながら、トップロ−プに登る。
 このヤッちゃんなら、骨の一本や二本イカレたって、死にやしないでしょ。
 あたしは、思い切ってトップロ−プを蹴った。
 あたしの体重、四十五キロ、プラス加速度が、両膝のわずかな面積に集中して、ヤッちゃんのボディにめり込んだ。
「ぐげっ!」
 ヤッちゃんの苦鳴とともに、くるりと黒目が裏返る。
 今度こそ、今度こそ終わりよ。
『今度こそ決まりです! ナンパ組代表、ヤクザのヤッちゃん、完全に意識を失っています!
 この瞬間に、極悪組代表マッスル・佐伯の勝利が決定しました!』
 アナウンサーが、叫んでいた。ゴングが会場に響き渡る。
 あたしは額の汗を拭いながら、セコンドの方を振り返った。
 やっと終わったあ。
「さあ、東山さんを解放してもらうわよ」
 そう言いかけて、凍りつく。
 セコンドの極悪組の一年生は、どこにもいなかった。
 どういうこと?
 あたしは慌てて、旧体育用具室へと走った。
 けれど、そこには誰もいなかった。
 誰も……東山さんさえ。
 あたしは呆然とその場に立ち尽くした。



 その店の中は煙草の煙と、男達の笑い声で満ちていた。
「だけど、おまえ、よくこんな計画、考え付いたな」
 ゴキゲンになっている男が、グラスを持った東山に言った。
「可愛い娘がぶつかって来たんで、お近づきになろうとハンカチをスリ取ったらさ、それがあの、マッスル・佐伯だろう? これは使えると思ったんだ」
 東山は得意げに笑った。
「しかし、東山。お前の演技は、アカデミー賞ものだったぞ!」
「そうだろう? なんたって、体を張ったんだからな。見ろよ、このアザ。跡が残ったら、どうしてくれるんだよ」
 東山は、煙草を指に挟んだ右手で頬をさすった。
「そしたら、佐伯未来のところに婿入りすりゃ、いいじゃないか」
 グラスの洒を煽りながら、男達が笑う。
「冗談やめろよ。あんな怪力娘、もうお近づきになりたかないね」
 東山はそう言って、高らかに笑った。
「確かに、アカデミー賞ものの、演技だったわね」
 東山の顔が強ばる。
「おかげで、ころっとだまされたわよ」
 あたしが店の中に入ってゆくと、極悪組の面々は慌てて立ち上がった。
「でも、あんた達、覚悟はしていたでしょうね? なんたって、怪力娘の怒りを買ったんだものね。ただで済むなんて、思っちやいないでしょう?」
「いや、佐伯君。これには、事情があって……」
 東山の野郎が、猫撫で声で言う。
 ふん。もう、だまされないからね。
「『マッスル・ガール』は機嫌が悪いんだからね、あいにくと」
 あたしは指を鳴らしながら言った。
「無傷でこの店、出られると思うんじやないわよ」

 一時間、たっぷり時間をかけて、極悪組の奴等を痛めつけてその店を出ると、そこに時夫が待っていた。
 あの後、呆然としていたあたしに、この店を教えてくれたのが時夫だった。
「すっきりしたかい、未来ちゃん」
 時夫は、屈託なく笑った。
 あたしはそれには答えず、時夫を見上げた。
「ねえ、あんたも、あたしになんかつきまとっていると、怪我するわよ」
「どうして?」
「あたしのことを好きだって言ってくれた人、みんなろくな目に遭ってないもの」
 そう。錦織さんしかり、近藤さんしかり、高見沢しかり、東山しかり……みんなろくな目に遭ってない。
「平気だよ。言ったろう? 俺、運だけはいいんだ」
 時夫は笑った。
「その証拠に、未来ちゃんと知り合えた。これ以上の幸運、あると思うかい?」
「すごい、自信過剰!」
 あたしは、思わず吹き出した。
 そうだね。時夫って、根本的に悪い奴じゃない。格好だけの東山なんかより、ずっといい奴よ。
 割れ鍋にとじ蓋。
 結構いいコンビかもしれない。
 でも、今は……ね。
「だからさ。そんなこと気にしないで、俺とおつきあいしない?」
「残念でした、またの機会にね」
 あたしは、時夫に背を向けた。
「『またの機会』って、じゃあ、望みがないわけじゃないんだ?」
 時夫は、追いかけて来ながら言う。
「さあ?」
「『さあ?』って、どうなんだい?」
 わからないのかな? 今は、失くしてしまった憧れの喪中なのよ。
「知らないわよ!」
 あたしは時夫に舌を出した。



 後日談になるけど、極悪組代表で、例の試合に勝ち、その後、極悪組を壊滅させたあたしは、どういうわけか清流高校総番長の座に納まってしまった。
 ついでに、あの試合をきっかけに『マッスル・佐伯 ファンクラプ』が結成されたことも事実である。

『人には言えない……』

END

第一稿 1988.11.18 PM1:22
第二稿 1988.11.29 PM5:34
第三稿 1989. 1. 9 PM8:00

筋肉娘の憂鬱のいいわけ


駄文の館に戻る
ホームへ戻る