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ふう。 マットにのぴたヤッちゃんに背を向け、あたしは思わず溜め息をついた。 結構大変だったけど、とにかく勝ったのよ。 これで、東山さんは助かる。 でもって…… もしかしたら、今度こそうまくゆくかも知れない。 ……ジーン。 あ、涙が出てきそう。 これで、あたしの苦難に満ちた時代は終わるのよ。あとは、バラ色の青春のみ! 「これで決まりました。マッスル・佐伯、勝ちました」 放送席のアナウンサーががなりたてる。 もう。ムードぶち壊しなんだから。 『試合開始から二十七分三十一秒。四大グループの抗争が、今ここに……」 不意にアナウンサーの声が途切れる。 ……何? そう思った時、背後にとてつもない質量感が動いた。 え……? 後ろから目の前に、グローブのような手が飛び出してきて、あたしの首を絞め上げた。 『ああっ! 今、決着がついたかと、意識を失ったかと思われたヤッちゃんが、背後からマッスル・佐伯を襲いました。右腕で、マッスル・佐伯の細い首を絞め上げます!」 ちょっと、もう! 人ごとだと思って、呑気なこと言って……! 首を絞められてるこっちは、まさに死活問題よ! 苦しい。頭が、ガンガンする。このままじゃ、死んじゃう── ──死ぬ? 冗談じゃ無いわよ! あたしの明るい未来はどうしてくれるの! こんな肉の固まりなんかに、あたしの人生を壊されてたまるか! この野郎────! あたしは、リングシューズでヤッちゃんの足のツボを踏みつけた。 「ぐっ!」 わずかに重心が揺らぐ。 チャンス! あたしは、あたしの首を絞めている腕をとって、前にかがみ込んだ。足を後ろに跳ね上げ、内股を蹴りあげる。 マッスル・ガールの筋力って、並みじゃないんだからね。 あたしは、力まかせにヤッちゃんを投げ飛ばした。 ズンッ! マットを揺るがし巨体が跳ねる。 立ち上がってくるヤッちゃんは、さすがに頭を振ってるけど、しっかりした足取りだ。これは、効いてない。……たく、これだから、体の大きい奴は嫌なのよ。鈍いんだから! 起き上がってくるヤツちゃんの首を右脇に抱えて極める。左手はヤッちゃんのベルトを鷲掴みにして…… 「よいしょお────!」 思い切って持ち上げる。 会場がどよめく。 十分滞空時間を取ってから、あたしはヤッちゃんをマットに叩きつけた。 『おお──! これは、ブレンバスターだあ! 必殺の大技、リングに炸裂!』 アナウンサーか叫ぶけど……やだ、また起き上がってくる。 やめてよお。 あたしは泣きたくなるような気分で、起き上がったヤッちゃんにラリアートをかました。ガクリとヤッちゃんの膝が崩れる。やっと、脚にダメージがきたか。 すかさずヤッちゃんを、トップロープ越しにリング下に落とす。 また、起き上がれないのを横目で確かめながら、トップロ−プに登る。 このヤッちゃんなら、骨の一本や二本イカレたって、死にやしないでしょ。 あたしは、思い切ってトップロ−プを蹴った。 あたしの体重、四十五キロ、プラス加速度が、両膝のわずかな面積に集中して、ヤッちゃんのボディにめり込んだ。 「ぐげっ!」 ヤッちゃんの苦鳴とともに、くるりと黒目が裏返る。 今度こそ、今度こそ終わりよ。 『今度こそ決まりです! ナンパ組代表、ヤクザのヤッちゃん、完全に意識を失っています! この瞬間に、極悪組代表マッスル・佐伯の勝利が決定しました!』 アナウンサーが、叫んでいた。ゴングが会場に響き渡る。 あたしは額の汗を拭いながら、セコンドの方を振り返った。 やっと終わったあ。 「さあ、東山さんを解放してもらうわよ」 そう言いかけて、凍りつく。 セコンドの極悪組の一年生は、どこにもいなかった。 どういうこと? あたしは慌てて、旧体育用具室へと走った。 けれど、そこには誰もいなかった。 誰も……東山さんさえ。 あたしは呆然とその場に立ち尽くした。 その店の中は煙草の煙と、男達の笑い声で満ちていた。 「だけど、おまえ、よくこんな計画、考え付いたな」 ゴキゲンになっている男が、グラスを持った東山に言った。 「可愛い娘がぶつかって来たんで、お近づきになろうとハンカチをスリ取ったらさ、それがあの、マッスル・佐伯だろう? これは使えると思ったんだ」 東山は得意げに笑った。 「しかし、東山。お前の演技は、アカデミー賞ものだったぞ!」 「そうだろう? なんたって、体を張ったんだからな。見ろよ、このアザ。跡が残ったら、どうしてくれるんだよ」 東山は、煙草を指に挟んだ右手で頬をさすった。 「そしたら、佐伯未来のところに婿入りすりゃ、いいじゃないか」 グラスの洒を煽りながら、男達が笑う。 「冗談やめろよ。あんな怪力娘、もうお近づきになりたかないね」 東山はそう言って、高らかに笑った。 「確かに、アカデミー賞ものの、演技だったわね」 東山の顔が強ばる。 「おかげで、ころっとだまされたわよ」 あたしが店の中に入ってゆくと、極悪組の面々は慌てて立ち上がった。 「でも、あんた達、覚悟はしていたでしょうね? なんたって、怪力娘の怒りを買ったんだものね。ただで済むなんて、思っちやいないでしょう?」 「いや、佐伯君。これには、事情があって……」 東山の野郎が、猫撫で声で言う。 ふん。もう、だまされないからね。 「『マッスル・ガール』は機嫌が悪いんだからね、あいにくと」 あたしは指を鳴らしながら言った。 「無傷でこの店、出られると思うんじやないわよ」 一時間、たっぷり時間をかけて、極悪組の奴等を痛めつけてその店を出ると、そこに時夫が待っていた。 あの後、呆然としていたあたしに、この店を教えてくれたのが時夫だった。 「すっきりしたかい、未来ちゃん」 時夫は、屈託なく笑った。 あたしはそれには答えず、時夫を見上げた。 「ねえ、あんたも、あたしになんかつきまとっていると、怪我するわよ」 「どうして?」 「あたしのことを好きだって言ってくれた人、みんなろくな目に遭ってないもの」 そう。錦織さんしかり、近藤さんしかり、高見沢しかり、東山しかり……みんなろくな目に遭ってない。 「平気だよ。言ったろう? 俺、運だけはいいんだ」 時夫は笑った。 「その証拠に、未来ちゃんと知り合えた。これ以上の幸運、あると思うかい?」 「すごい、自信過剰!」 あたしは、思わず吹き出した。 そうだね。時夫って、根本的に悪い奴じゃない。格好だけの東山なんかより、ずっといい奴よ。 割れ鍋にとじ蓋。 結構いいコンビかもしれない。 でも、今は……ね。 「だからさ。そんなこと気にしないで、俺とおつきあいしない?」 「残念でした、またの機会にね」 あたしは、時夫に背を向けた。 「『またの機会』って、じゃあ、望みがないわけじゃないんだ?」 時夫は、追いかけて来ながら言う。 「さあ?」 「『さあ?』って、どうなんだい?」 わからないのかな? 今は、失くしてしまった憧れの喪中なのよ。 「知らないわよ!」 あたしは時夫に舌を出した。 後日談になるけど、極悪組代表で、例の試合に勝ち、その後、極悪組を壊滅させたあたしは、どういうわけか清流高校総番長の座に納まってしまった。 ついでに、あの試合をきっかけに『マッスル・佐伯 ファンクラプ』が結成されたことも事実である。 『人には言えない……』
END第二稿 1988.11.29 PM5:34 第三稿 1989. 1. 9 PM8:00 |