筋肉娘の憂鬱

橋宗 優里

(3)

 なによ。なによあいつ。
 何が『おつきあいしない?』よ、人を馬鹿にして!
 挙句の果てに、心の傷を広げてえぐった上に、塩を擦り込むようなこと、ほざきやがって……!
 目の縁に、涙があふれてくるのがわかる。
 別に、『筋肉娘』って呼ばれるのが嫌で、涙が出るわけじゃないわよ。
 ただ、ちょっとでも『素敵かな?』って思ってた時夫が、あんなこと言うから。そんな奴を少しでも『素敵かな?』って思った自分が情けなくて、涙が出るのよ!
 やだ。廊下で泣くなんて、みっともないことしたくない。
 そう思って涙を拭った時、どんっと誰かにぶつかった。
「ごめん。大丈夫……?」
 男の人の声。
 反射的に見上げると、その人はひどく驚いたような顔をした。
 やだ。泣き顔見られた。
「ごめんなさい!」
 それだけ言ってあたしは、そばのトイレの中に駆けこんだ。
 幸い、女子トイレに人はいなかった。あたしは、いたずら書きだらけの個室の中にこもった。
 鍵をかけた途端、涙が頬を伝って落ちた。
『おつきあいしない?』なんて言われて、ドキリとしたことは確かよ。
 それなのに、何?
 あの言い種!
 大体、『マッスル・ガール 佐伯』なんて、よくも本人の前で言えたものね。
 信じらんない!
 あたしはポケットの中を探った。もう、どうしてハンカチがないの?
 あたしは鼻をすすりながら、個室の壁に掛けてある呼びのトイレットペーパーに手を伸ばした。
 五限目をさぼって泣き続けている間に、トイレットペーパーはどんどん痩せていった。

 一時間もすると、さすがに落ち着いてきた。
 トイレットペーパーの芯をクシャっとひねって、あたしは個室を出た。洗面所で顔を洗って、一つだけ割れ残った鏡を覗く。
 うん。少し目が赤いけど、大丈夫。
 あたしは、休み時間の教室に戻った。
「あ、未来……」
 聖子が顔をあげて笑った。
「五限目は、ちゃんと代返しといたからね」
『大丈夫?』とか、『もう、平気?』とか、そんな言葉を言わない、聖子の心遣いが嬉しい。
「サンキュー。六限は、今日は何だっけ?」
 木曜の六限は、ロング・ホームルームの時間だ。学年集会とか、クラスのレクリエーションとかに使う時間。
「朝のホームルームで、先生、言ってたでしょ? なんか、一年生には特別な注意があるんだって。おおかた、校内四グループの抗争についてだろうけど……」
「抗争?」
 その時、ドアを開けて担任が入って来た。

「知っての通り、我が校の生徒の大部分が、世間で言う不良生徒だ」
 ウエイトリフティング部の顧問で、清流高校の卒業生、高校時代は超硬派組の番長をしていたという数学教師は、黒板につらつらときたない文字を書きはじめた。
「俺は、不良と呼ばれる人間が全て悪い奴だとは思わない。我が校の教師全員が同じ考えだ。しかし、我々教師が心配するのは、一般の生徒に対する影響だ。清流高校の生徒、全てが不良なわけじゃないからな」
 そう言いながら先生は、黒板の文字を指した。数字以外は自分だけしか解読できない文字だから、一々説明しなくてはならないのだ。
「我が校の不良グループは、男女別に分かれてはいるものの、大体この四つに分類される。
 走り屋組、通称ゾク組。校外では、暴走族『青竜』という名前でそれなりに有名だな。女子だけのレディースもある。
 超硬派組。女子でそれに対応するのが、スケバン組。他の高校とのイザコザになると、大抵こいつ等がケリをつける。
 不純異性交遊組。通称、ナンパ組。男女共に避妊と性行為感染症に関するレクチャーとコン※ーム使用の指導をしているから、特に問題はおきていないようだな。
 そして、最後に問題の極悪組。カツアゲから始まって、ゆすってたかって、好き勝手している。こいつらが、一般生徒を喰物にしているのが、我々教師の頭痛の種だ」
 がつんと、チョークで黒板を叩く。チョークの粉がぱらぱらと落ちる。
「こいつ等が、一般生徒をカモにすることが一番困ることなんだ……が、それ以上に困ったことが起きている。
 極悪組が、他のグループの、特にナンパ組の生徒をカモにし始めたんだ。
 まあ、ナンパ組の生徒はみついでくれる人間がいるから、金回りが良いんだな。そこに目を付けたらしい。
 けれど、カモられるほうはいい気はしない。で、ナンパ組のやつらが腹いせに走り屋組のレディースにコナをかけ始めた。
 走り屋組としては、これまた面白くなくて、硬派組とのイザコザを起こして……」
 そう言って先生はため息をついた。
「結局、四つ巴の大乱戦になりそうなんだな、これが。
 まあ、入学したてで何処の組にも入っていない生徒には、影響はそう無いと思うが、気をつけるに越したことはない。
 何処かの組に関わりのある生徒は、くれぐれも一般生徒や世間の人に迷惑をかけないように」
 そう言って、先生はチョークを置いた。そして、ふと、思い出したように振り返った。
「ああ、もし、関わりがある奴がいるなら……頼むぞ。極悪組の奴等、ぶっ潰してくれ」
 そう言ってにやりと笑った先生は、まるで子供の顔をしてた。



 六限目終了のチャイムと共に、先生が教室から出て行くと、突然、教室が騒がしくなった。
「おまえ、何組に、声かけられた?」
「この顔だぜ。このスタイルたぜ。ナンパ組に決まってんだろ」
「嘘だろ。人れてくれって頼みに行って、断わられたんじゃねえか?」
「そういうおまえは、どこなんだよ?」
「俺、走り屋組。もう、免許も取ったもんな」
 そんなことを、男子が話している。
「ねえ、聖子」
 あたしは、聖子をつついた。
「男子共、何、言ってるの?」
「あんたって、ほんとに世間知らずと言うか、世情に疎いと言うか……」
 心底、呆れたように、聖子は首を振った。
「清流高校の、不良男子、四大グループが抗争を始めるのは、これか初めてじゃないの。不良女子……レディースの方は、三年くらい前に協定ができて、一切イザコザはなくなったんだけど、男子の方は、結構、色々とあってね。そういう時の、ケリの着けかたが……もう、決まってるのよ」
 聖子は帰り支度をしながら、言った。支度と言っても、薄い学生鞄にポーチを突っ込むだけだ。
「その方法ってのは、教師側も容認していてね。体育館の、道場、あるでしょう? あそこで、代表三人を出して、空手の試合をするの」
「空手? それなら、超硬派組に、絶対的に有利じゃない?」
「空手の試合ってのは、あくまで建て前。極悪組の奴等は、特殊警棒を持ち出すし、走り屋組は、鉄ハイプを持ち出す。ナンパ組に至っては、女の子使ってたらし込んだ、『その筋』の人に肋っ人を頼むし……二年前には、全治二ヶ月の怪我人が、五人出たって話しよ。もちろんその怪我は、試合中の事故として扱われるわけ。
 だけど、試合の前には、極悪組の闇討ちはあるわ、ナンパ組の裏工作はあるわ。高校生のケンカとは、とても思えないわね」
「どうして、聖子、そんなこと知ってるのよ?」
「そんなことも知らないで、清流高校に入学するのは、あんたくらいよ。……とにかく、そんなわけで、抗争が近づくと、各グループが新しい人材を捜してりスカウト合戦を繰り広げるの」
 だから、超硬派組の奴等、あんなにしつこかったのか……
「まあ、あんたも気をつけなさいよ。超硬派組の番長を、のしたとあっちや、他のグループが放っとかないわよ」
 ふと、心配そうに聖子が言った。
 あたしはそんな聖子に、ガッツポーズを作って言った。
「大丈夫、大丈夫。あたしは、絶対、不良グループになんかと、関わらないから」
 そう、絶対、ぜーったい、忌まわしい過去の恋の記憶に関わるグループには、あたし、近づかないわよ。
 極悪組なんてもってのほか。
 不良グループの抗争なんて、あたしの知ったことじゃ無いわ。

「未来ちゃん!」
 玄関を出た所で、声をかけられる。
「……また、あんたなの?」
 目の前に、市川時夫がいた。
 ここまでくると、いい加減、げっそりして……
 そう思ったあたしは、時夫の顔を見て、おもわず吹き出した。
 時夫の右頬には、指の跡もはっきりと、もみじのような赤い跡がついていた。
「ひでえや。自分でやったくせに」
 時夫は、相変わらずのにやにや笑いを絶やさずに言った。
「自業自得でしょう。怒られるだけのこと、言ったんだから」
「いや……反省してるよ。そんなに気にしてるなんて、思ってなかったんだ」
 あ、また、なんかひっかかる、言い方。
「でも、うん。元気なほうかいいと思うぜ。そりや、握力六十キロってのは、ちょっと特殊だけど……」
 バシン!
 今度は左手のバックハンドを、時夫の左頬に飛ばす。まだ、右手を使わず手加減する自分を、あたし、尊敬したくなるわよ。
「この、最低男!」
 あたしは両頬を押える時夫を残して、校門を出た。
「ちょつと待って……」
 後ろから、また声をかけられる。
「しつこい!」
 あたしは、振り向きざまに、今度こそ右手を振り上げた。
「わっ!」
 そう叫んでのけぞったの……あれ? 誰だ?
 右手を、振り下ろす寸前で止め、あたしは相手の顔をじつと見た。
 学生服の、詰め襟についた校章の色は水色、二年生だ。
「あのさ。その手、下ろしてくれないかな?」
 彼は、困ったように言った。
「ご、ごめんなさい! 別の人と、勘違いしちゃって……」
 慌てて右手を下ろすと、彼は笑った。
 あ、なんか、顔が熱くなっちゃう。
 だって、ものすごいハンサムなのよ。すっきりした顔立ち。りりしくって、そのくせ、笑った顔が、とてもホットな印象を与えて……
 錦織さんも、近藤さんも、高見沢もあの忌々しい時夫の野郎も歯が立たないくらいの美男子。
「あの、これ、君のハンカチだよね?」
 そう言って彼が差し出したのは、今日なくしたハンカチだった。
「あ、どうもありがとうこさいます。……でも、どうしてあたしのハンカチだって、わかったんですか?」
 あたしは、ハンカチを受け取りながら聞いた。
「廊下で、ぶつかったろう? その時、落ちてたから……今、君を見掛けて、惜てて追いかけて来たんだ」
 廊下でって……泣き顔見られた人?
 顔に火かついたような気がした。
 やだ。恥ずかしい……
「本当に、ありかとうございました」
 あたしは頭を下げた。
 せっかくのハンサムなのに、まともに顔を見れないよお。
「どういたしまして」
 彼はそう言ってから、ふと、あたしの顔を覗き込んだ。
「ねえ、こんな可愛い女の子と、話が出来たんだ。名前くらい、聞いておきたいんだけど、いいかな?」
 名前ねえ。今やあたしは有名人だもんねえ。いやな予感がするんだけど。
「あの……佐伯未来です」
 あたしは、恐る恐る、言ってみた。
「『マッスル・ガール 佐伯未来』……?」
 彼の目が、見開かれる。
 やっぱり、知ってるんだ。恥ずかしい……!
「君がそうなのか」
 彼は、ふうと溜め息をついた。
「みんな、随分ひどいこと、言ってるんだな。こんなに可愛い子をつかまえて、『マッスル・ガール』だなんて……」
 え……?
 あたしは、顔をあげて彼を見た。彼は、あたしに、あたしだけにその極上の微笑みを向けて言った。
「何を言われても気にしちゃ、いけないぜ。もしも、嫌なことがあったら、相談にのるから。じゃあ」
 片手をあげてから、去って行く彼の背中を、あたしは呆然と見送った。

(4)へつづく


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