筋肉娘の憂鬱

橋宗 優里

(2)

 翌朝は、梅雨の名残の雨だった。
 学校に着いたときには、レインコートの表面には細かい水滴がついていた。傘をたたんで雫を切り、コートを軽く払ってから、あたしは教室に向かった。
 清流高校では、盗難が多い。置き引きはもちろん、近頃では校内専門のスリまでいるという噂だ。
 とにかく、治安という面ではまるっきり安心できない状態の清流高校では、傘などは、玄関の傘立てに置こうものなら、三分でなくなる。だから、みんな、教室の中にある傘立てまで持って行くのが普通だ。
 あたしは、右手に学生鞄、左手にお気に入りのチェックの傘を持って、開けっ放しの教室のドアを開けた。
「おはよ……」
 そう言いかけた口が、中途半端に開いたまま凍り付く。
 教室中のクラスメイトの視線が、あたしに集中していた。
「よっ、怪力娘! 超硬派組をまとめてひねったんだって?」
 男子が、馬鹿にしたように笑った。
 どうしてこいつ等がそんなこと知ってるのよ!
 そう思って、はっとする。
 今までの二人は(ナンパ組の錦織さんにせよ、走り屋組の近藤さんにせよ)、一応不良グループの一員だってメンツがあったから、女の子に怪我をさせれられたなんて、人には言えなかった。だから、あたしがちょっとケタ外れの怪力を持っていることは、一般の生徒には知られないで済んでいた。
 力が全ての超硬派組の人間が、自分達がやられた話をするなんて論外だ。
 となると、情報の出所は、一つしかない。
 バキッ!
 左手の中で、傘の骨が折れる。
 ひやかしていた男子共の顔が青くなる。
 高見沢よ。あの男なんだ。あの優男が言い触らしたんだ。
 なんてことよ、これであたしの高校生活は、中学の時の二の舞になるのよ。
 ドカッと鞄を自分の机に叩き付けるように置く。席について、あたしは机に突っ伏した。
 いいわよ、いいわよ。
 もう、どうにでもしてちょうだい。
 所詮あたしには、人並みの幸せを望むことすらできないのよ!
 ……ふん!

 放課後になる頃には、あたしの機嫌は思い切り悪くなっていた。
 当然でしょう?
 授業中に、先生までが言うのよ。
「おう、硬派組をやっつけた佐伯。ついでに数学にも強いところを見せてくれ。問4、やってみろ」
「男をぶっとばすような、大雑把な佐伯には、この繊細な詩は理解できんか?」
「そう言えば、佐伯の親父さん、ミスター・ブラックだってな。プロレス好きは知ってるだろう? 強いレスラーだったんだぞ。首の周りなんか、筋肉が盛り上がってて……そう言えば、筋肉を英語でなんて言うか、佐伯、答えてみろ」
 まったく。
 英語(リーダー)の先生のおかげで、再び『マッスル・ガール』という異名がついてしまうし……
 それもこれも、みんなあの高見沢のせい。
 どうせならあの時、超硬派組の奴等と一緒にぶん殴っとけばよかった。
 朝に降っていた雨は、幸い午後にはやんでいた。すっかり夏の顔をした太陽が道路のアスファルトを、もう乾かしてしまっている。
 あたしは、折れた傘を片手に家への道を歩いて行った。
 商店街を一本外れた通りは、夜になれば女子高生などとても歩けないような所だった。キャバレーとかスナックとかなんとかランドのネオンサインが、明りを灯される時をじっと待っている、そんな通り。
 昼間はそんなに怖くないところだから、つい近道に使ってしまう。
 そんなに怖くない……せいぜい、極悪組がカモを引きずり込んでカツアゲしてるくらい。
 そう。
 むしゃくしゃしていたあたしは、正当な理由をこじつけて、遠慮なくぶっとばせる相手を捜していたの。
 かわいそうな犠牲者はすぐに見つかった。
 店と店の間の狭い路地に、太いズボンに短ランといういでたちの極悪組の奴等が、一般男子生徒を押し込もうとしていた。
 ここで、見て見ぬ振りはできないわ。
 あたしは嬉々として彼等の後を追った。

「さあ、有り金全部、出してもらおうか」
 ドスを利かせた声が、聞こえてくる。
「有り金全部?」
「そうよ、全部だ。ただし、一円玉や十円玉にゃ用はねえ。金がねえんなら、時計でもなんでも置いて行ってもらおう」
 あたしは、ひょいと路地を覗いてみた。
 細くて暗いその路地には、極悪組の奴等が三人程、一人の男子生徒を囲んでいた。
 あれ?
 あたしは、被害者の男子生徒を見て、首を傾げた。
 こざっぱりとした、なかなかのハンサム・ボーイ。でも彼、人を傷つけることなんて、なんとも思っちゃいない極悪組の連中に囲まれているのに、全然恐がっていないのだ。
 むしろ楽しんでいるみたいに、薄ら笑いさえ浮かべてる。
「申し訳ないんだけど、現金は持ち歩かない主義なんだ」
 彼はそう言って、困ったように頭を掻いた。
「じゃあ、時計でも……」
「あいにく、時計も修理に出してあって……」
「何、へらへらしてやがんだ!」
 にやにやと笑う彼に、極悪組の一人が気色ばむ。
「まあまあ……」
 そんな奴等に、彼は両手をあげた。そして、その手を学生服の内ポケットに入れ、中から細長いメモ帳のようなものを取り出した。
「現金はないけど、小切手帳は持ち歩いているんでね。……いくらほしいんだ? 百万? 二百万? それとも一千万?」
 ぴたぴたと、彼は一人の頬を小切手帳で叩いた。
「て……てめえ、なめんじゃねえ!」
 さすがにこれは怒るわよ。
 小切手帳で顔を張られた男が、彼の胸元を締め上げた。彼は、相変わらずにやにやと笑っている。
 何なのよ、こいつ。
 そう思いつつも、絶好のチャンスを逃すのももったいないので、あたしはその路地に入っていった。
 ちょん、ちょん。彼を締め上げた男の肩をつつく。
「うるせえ、なんの用だ!」
 振り向くそいつに、あたしは笑いかけた。笑いかけたついでに、膝の裏に軽く蹴りを入れる。
「うわあ!」
 絶妙の膝カックン。
「てめえ、なにしやがる!」
 飛び起きながら言ったって、迫力無いわよ。
「ねえ、お兄さん」
 あたしは、被害者さんに言った。
「お願いだから、『助けて』って言ってくれないかな?」
「『助けて』、これでいいのかな?」
 彼は、にやにや笑いを浮かべながら言った。
「OK、助けましょう」
『助けて』って言われたから、助けるんだからね。これはあくまでも人助け。自分が暴れたいからするんじゃないからね!
「このアマ……邪魔するんなら、てめえからたたむぞ!」
 三人の不良少年は、身構えた。そのうちの一人は、ジャックナイフを手にしている。
 ふふん。
 それくらいじゃないと、こちらもやり甲斐がないわよ。
「頼むから、そう簡単に逃げ出したりしないでね」
 あたしは思わずつぶやいていた。



「あー、すっとした」
 あたしは、両手で制服を払いながら、自分の学生鞄を探した。乱闘になる前に、どこかに置いたはずなんだけど……
「これ、君のだろう?」
 目の前に、鞄と骨の折れた傘が差し出される。
「ありがとう」
 あたしは、それを受け取りながら、差し出してくれた人を見返した。
「御礼を言うのはこちらのほうだよ。助けてくれて、ありがとう」
 彼はそう言って、ふと、何かを思い出したように笑った。
「……何? あたしの顔に、何かついてる?」
「いや、そういうわけじゃなくて……少し、意外だったからね」
 彼は顎で、のびてる極悪組の連中を指した。
「一発ずつでのしておきながら、一人一人関節技をかけていじめるなんて、並みの女の子はしないぜ」
「並みの女の子は、乱闘なんてしないのよ」
「そりゃ、そうだ」
 彼はにやにやと笑いながら言った。
 助けてやったものの、なんか、いけすかない奴ね。
「俺、市川時夫。君は?」
 歩き出したあたしをおいかけながら、彼、時夫は言った。
「佐伯未来」
「その制服は、清流高校だね。何年生?」
「一年」
「同い年か。何組?」
 あたしは、くるりと時夫のほうを振り向いた。
「うるさいわね。早く大通りに出ないと、また別口にカモられるわよ」
「あ、それなら大丈夫。俺、運だけはいいから」
「は?」
 何でそういう答えが、返ってくるんだ?
「さっきも君が助けてくれたろう? また何かあっても、何とかなるよ。それより、何組? 俺、一組なんだ」
「あ、そ。よかったわね」
 あたしは、妙に図々しいこの男にあきれながら、無視して帰ろうとした。
「ちょっと待ってよ、未来ちゃん」
 時夫は、あたしの前に立ちはだかった。
「真面目な話、御礼がしたいんだ」
 時夫は、胸ポケットから横に細長い手帳と万年筆を取り出した。そして、サラサラとそれに何かを書いて、ピッと小気味良く最初の一枚を切った。
「大した額じゃないけど、ほんの気持ちだよ。受け取って」
 そう言って差し出したのは、正真正銘の小切手だった。額面は……あ、桁が多すぎてわからない。
 えっと、一、十、百、千、万、十万……
「百万!」
 あたしは悲鳴を上げた。
「大丈夫、不渡りなんて、絶対出さないから。贈与税もこちらが負担するし」
 あたしは彼の顔をまじまじと見た。
 この男、どこぞの御曹司かしら?
 それにしても、人を馬鹿にした話ね。こんなのもらったら、まるであたしが御礼目当てで助けたみたいじゃない。
 彼は、にやにや笑いながら、あたしを見ていた。
 ……ははん。
 あたしは納得した。
 お金持ちのおぼっちゃまが、貧乏人を試そうってわけなのね。ほんとに、いけ好かない奴!
 ビリッ。
 あたしは彼の目の前で、百万の小切手を破り捨てた。
 彼が驚いたように目を見開いた。
 その次の瞬間、あたしは彼の向こうずねを蹴飛ばしていた。
「あたしが、御礼目当てであんたを助けたと思ってんの? なめんじゃないわよ!」
 声もなくうずくまる彼に、我ながら月並な捨てぜりふを浴びせて、あたしはきびすを返した。
 ふん。
 気晴しのつもりが、余計に気分が悪くなっちゃった。
 もう、さいてー!

「え──っ!」
 突然、昼休みの教室に悲鳴があがる。
「市川時夫を、あんた知らないの?」
 隣の席の聖子が、目を丸くする。
 松音聖子は、高校に入ってから初めての友達だ。
 あたしが、とんでもない怪力の持ち主だってわかっても、一向に気にしていないたった一人の、涙が出るほどありがたい友人。
 他の女子は、男子同様、恐がって近寄って来ないのよね。まったく、やんなっちゃう。
 それはともかく、その聖子に昨日の妙な男、市川時夫のことを、お弁当食べながら話したわけなんだけど……聖子、どうしてこんなに驚くんだ?
「あんた、市川時夫って言ったら、リバーシティ・ホテルの社長の一人息子で、この清流高校に入学する時、億単位の寄付したってんで、校内の有名人よ。それに……なんだって? 百万の小切手を破ったって?」
 聖子は、呆れたように首を振った。セピア色のメッシュの入った髪が揺れる。
「もったいないことするわね。上手く気に入られれば、玉の輿だってのに」
「だって、ほんとにやな奴だったんだから!」
「そんなもん、結婚でもしちゃえばこっちのものでしょうが! 好き勝手やって、若い愛人作って。相手は人じゃないのよ。金よ、札束よ。ばれて離婚なんてことになったら、難癖つけて慰謝料、がっぽりもらえばいいんだしね」
「それって、テレビドラマのよくあるパターンじゃない?」
「そうかもね。とにかく、『もったいないことした』ってことだけは確かよ」
 購買のパンを食べながら、聖子は言った。
 あたしは、コーヒー牛乳を飲みながら、市川時夫の顔を思い浮かべた。
 頭の中の時夫の顔は、あのにやにや笑いを浮かべていた。顔の造りは良いんだから、ちょっとクールな表情をしたら、きっと素敵なのに……
 確かに、少しもったいなかったかもしれない。
 そんなことを思っていた時だ。
 パッと、目の前が暗くなる。誰かが目隠しをしたのだ。
「未来ちゃん。誰かわかるかい?」
 この声!
「市川時夫!」
 目隠しする手を振り払って振り向くと、そこに時夫が立っていた。
「なんの用?」
 あたしが言うと、時夫は例のにやにや笑いを浮かべた。
「なあ、未来ちゃん。俺と、おつきあいしない?」
 へ?
「君のこと、調べるのに大した時間はかからなかったよ。
 佐伯未来。八月十四日生まれの十五才。父親は元プロレスラー、母親はミス・オリンピアにもなったボディービルダー。両親の資質を受け継いでか、本人もスポーツ万能。中学時代は『マッスル・ガール』との異名を持つ」
 何よ、あたしのこと、調べまわったわけ?
「でも、君、校内でも有名人なんだな。『マッスル・ガール佐伯』って、みんな知ってた……」
「ちょっと、未来……!」
 聖子の制止を無視して、あたしは左手を振り上げた。
 パン!
 我ながら、スナップの利いた平手打ち。左手を使ったのは、まだ、手加減してるってことよ。
「ざっけんじゃないわよ! あんたなんて大っ嫌い!」
 あたしはそうわめいて、教室を飛び出した。

(3)へつづく


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