筋肉娘の憂鬱

橋宗 優里

(1)

 あたしの通う私立清流高校は、偏差値から言えば中の下、部活動、特に運動部のレベルから言えば上の上、校内の風紀から言えば下の下という、実はとんでもない所だ。
『若いうちは誰でも、闇雲にツッパってみたくなる時があるんだ』と言って、校内の風紀の乱れを容認した理事長は、元カミナリ族だという噂だ。
 ……でもって、風紀の乱れという言葉で象徴されるのは、つまり、生徒の不良化の問題なのよね。
 清流高校には、大きく分けて四種類の不良グループがある。
 一つ目は、走り屋組。言わずと知れたバイクに命をかけた奴等。
 二つ目は、極悪組。カツアゲなんかしてイキがってる愚か者達。
 三つ目は、不純異性交遊組。別名、ナンパ組で、皆さん、そのマスクに大した自信を持ってる。
 そして、四つ目、超硬派組。力がすべてというその思考回路は、常人の想像できる域を超えている……と、あたしは思う。
 その超硬派組の決闘場が、ここ、校舎の屋上なのだ。
「臆せずに良く来たな、佐伯未来(さえき みき)」
 そういった奴の格好を見て、あたしは頭が痛くなった。今時、ガクランをはおって腕を組むなんてポーズ、恥ずかしくてできないわよ。
 こんな奴がこのグループの頭なんだから、周りにいる連中のセンスも似たり寄ったりなんだよねえ。
「あのねえ、何度も言ってるでしょう? あたし、あなた方のグループに入るつもりは無いの。かけらも、これっぽっちも、毛の先ほども無いのよ」
「ならば、腕ずくでも入ってもらう」
 番長(超硬派組の頭は、代々こう呼ばれるのだそうで……)の言葉に、周りの男達が身構える。こいつ等って、全国でもその実力を認められた、清流高校運動部の主力メンバーなんだよね。
 めんどくさいな。今日は、高見沢君との約束があるのに……
「かかれ!」
 番長の号令と共に、先頭を切って来たのは、空手部の主将と副将。
 しゃっ!
 短い呼気と同時に、上段の回し蹴りと、足払いが来る。
 上に跳んだら、下手をするとスカートがめくれるしなあ。ブルマーでもはいていればいいんだけど。こいつ等に、パンチラをサービスしてやるなんて、まっぴらだし。
 とりあえず、後ろに飛び退って蹴りを避ける。
 大体、今日は、高見沢君と約束があるのよ。こんなことしてる暇なんて、無いんだから。
 次々と繰り出される突きと蹴りのコンビネーションを避けながら、あたしは考えた。
 放課後、校門の所でって、高見沢君と約束したのに。せっかく授業が終わってすぐ、トイレに駆け込んでポニーテール結い直したのに。新しいリボン、おろしたのに。お気に入りのリップ、つけたのに……
 トイレを出たあたしを捕まえて、顔を貸せだって。ふざけないでよ。つきあってられないわよ!
 空手部主将の右回し蹴り。
 それを避けた時、ふと思いついた。
 そうよ。つきあってられないわよ。いいや、逃げちゃおう。
 思いついたらすぐ実行。
 あたしは、屋上の入り口に向かって走った。
「逃がすな!」
 番長の声に、幾人かの男達が入り口に向かって走る。
 へへん。間に合わないわよ。
 あたしは、開け放たれた錆びたスチールのドアの向こうの暗い空間に、駆け込もうとした。
 ところが、その入り口から、いきなり誰かが飛び出してきた。
 あたしは勢い余ってその人にぶつかり、尻餅をつきそうになってしまった。
「あてててて……」
 相手のほうは、完全にひっくり返ってうめいていた。
 もう、一体誰よ!
 そう思って相手を見下ろしたあたしは、思わず叫んでしまった。
「高見沢君!」
 頭を振り振り起き上がったのは、隣のクラスのちょっと繊細なイメージの美少年、高見沢君だった。
「高見沢君、どうしてここに……」
「佐伯君が、超硬派組に呼び出されたって聞いて、助けに来たんだ」
 ……え?
 あたしは、自分の耳を疑った。
 これって、あれよね。不良どもに囲まれた少女を少年が救い出すって、少女漫画の王道パターン。
 ……ジーン。
 感動にひたってしまう。
 まさか自分が、こんなシーンの主役をはれるなんて、思ってもみなかった。
「佐伯君! 佐伯君!」
 高見沢君の呼ぶ声で我にかえる。気がつけば、あたし達はすっかり囲まれていた。
「逃げようったって、そうはいかねえよ」
 番長が笑う。
「お、おまえ達がどういう理由で佐伯君を呼び出したのかは知らないけれど、佐伯君には、指一本触れさせないぞ!」
 緊張に声を震わせながら、高見沢君は言った。
 ……ジーン。
 また、ひたってしまう。
「こいつ、何をボケてんだ?」
 キョトンとした顔で、柔道部の重量級選手が言う。
「邪魔だ!」
 さっきまでさんざん空振りさせられて、すっかり頭に血がのぼった空手部主将が、そう言うなり高見沢君の脇腹に蹴りを入れた。
「ぐっ……!」
 高見沢君が体をくの字に折ってうずくまる。
 それを見て、あたしの方もカッときてしまった。
「せっかく、助けに来てくれた高見沢君を、よくも……!」
 そう叫んだ次の瞬間、あたしは空手部主将に右ストレートをぶち込んでいた。
 何かを叫ぶ、番長の声が聞こえたような気がした。
 けれどその時にはもう、あたしは我を忘れていた。

 ふと気がつくと、あたしは番長にベア・ハッグをかけていた。宙に浮いた足をバタバタさせている番長は、胴を締め付けられて呼吸困難に陥っていた。
 慌てて両手を離すと、番長はどすんと尻餅をついて、そのままへたってしまった。
 辺りを見回すと、超硬派組の面々が、累々たる屍を晒している。
 あちゃ……これは、思いっ切りやりすぎたかな?
 後悔し始めたあたしは、だらしなくのびた柔道部員の巨体の向こうに、高見沢君を見つけた。
 良かった。怪我は無いみたい……
「ひっ……!」
 目が合うなり、高見沢君は息を飲んだ。まるで化け物でも見るような、怯えた目。
「高見沢君?」
 あたしが声をかけると、高見沢君は這うようにして逃げ出した。悲鳴さえ上げずに。
 はああ。
 また、失恋かあ。
 あたしはため息をついた。
 ああ、もう。
 どうしてこうなるのよ!
 あたしは腹いせに、番長の頭をポクンと蹴った。
「みんな、あんたのせいなのよ!」

 あたし、三ヶ月前に清流高校に入学した十五才の女の子・佐伯未来は、本日、高校生活三回目の失恋をした。
 わずか三ヶ月で、三回の失恋。よく考えてみれば、並みじゃないね。
 高校に入学して最初の恋の相手は、よりによってナンパ組の三年生、錦織さんだった。
 入学したばかりで何も知らなかった……錦織さんが、『清流高校の種馬』なんて呼ばれていることももちろん知らなかったあたしは、初めてのデートの時、公園のベンチで迫られて思わず抵抗して……しすぎて、彼に全治一ヵ月の重傷を負わせた。
 次の恋の相手は、走り屋組の二年生、近藤さんだった。
 今度は絶対失敗するまいと決めていたのだけれど、二回目のデートの時、近藤さんの
『オレのバイクのタンデムは、これから未来ちゃんの指定席だ。送ってやるから、しっかりつかまってろよ』という言葉に素直に従って……素直に従いすぎてしまった。
 肋骨を二本折った近藤さんは、まだ入院している。
 そして今回。
 いったいどこで錦織さんと近藤さんのことを聞きつけたのか、スカウトしようとまとわりつく超硬派組の人間を振り切り、三度目の正直、カタギの高見沢君にアタックして、やっと一緒に帰れるようになった。今度こそ、うまくいくと思ってた。
 それなのに……結果はこの通り。
 ここまでくると、もう、悪夢としか言いようがないわね。
 あたしは、もう一度番長の頭を蹴りあげた。
 屋上から見上げた梅雨の終わりの太陽は、うんざりするほど明るかった。



「ただいま」
 あたしは、玄関のドアを開けながら言った。
「お帰り、未来」
 お父さんの声。そう言えば、今日はオフだっけ。
 玄関のすぐそばのトレーニングルームのドアから、汗を拭きながらお父さんが顔を出した。
 身長2メートル4センチの、見事にビルドアップされた体躯が、大工さんに特別に作ってもらった大きなドアから、のっそりと出てくる。
「どうした、未来? ずいぶん早いじゃないか。今日は、デートじゃなかったのか?」
「どっ……どうして知ってるの!」
「母さんに話したろう? 母さん、嬉しそうに教えてくれたぞ……どうした?」
 お父さんは、膨れっ面になったあたしに気付いて、怪訝そうな顔をした。
「もしかして……ふられたのか?」
 おずおずと、お父さんは言った。
「ふられたわよ、思いっ切り」
「またか?」
 いくら親とはいえ、そういう言い種はないでしょう?
 あたしは持っていた学生鞄を、お父さんの腹筋に叩き付けた。
「それもこれも、みんっな、お父さんとお母さんのせいよ!」
 不意をつかれて咳込むお父さんを残して、あたしは、二階の自分の部屋へと駆け上がった。

 あたしのお父さん、佐伯武志は、今でこそフィットネス・クラブの経営者兼インストラクターをしている。
 しかし、その実体は。知る人ぞ知る、往年の覆面レスラー、ミスターブラックなのだ。
 ついでに言えば、やはりインストラクターをしているお母さんは、合気道道場の跡取り娘で、当時数少なかった女性ボディ・ビルダーだった。
 その二人が、駆け落ち同然に結婚して、生まれたのがこのあたしなのだ。
 生まれたばかりのときは、千九百グラムの未熟児で、幼児期に病弱だったあたしに不安を覚えた両親は、『健康が一番』という信条に基づき、様々な方法であたしを鍛えた。
 その甲斐あってか、大病を煩うこともなく、あたしはすくすくと育った。
 ……けれど。
 そのトレーニングのおかげで、あたしは、人並み外れた体力を手に入れてしまったのだ。
 幼稚園の年長組の頃には、中学生と喧嘩して勝った。小学校の五年生のときには、ベンチプレスで九十キロを上げていた。中学一年の春には、現役引退したばかりのお父さんと腕相撲して、九割勝てるようになった。
 そりゃ、体を動かすのは大好きよ。小さい頃は、トレーニングが楽しくて仕方がなかった。
 でもねえ、こんな人間離れした体力なんて、欲しくなかったわよ。
 これのおかげで、あたしの中学生活は最低だったんだから。
 中学校一年の秋、ちょっとしたことで、校内のつっぱりグループとイザコザをおこして、あたしは有名人になってしまった。十二人の三年生の男子生徒を五分でのしてしまったからだ。
 その時、ついたあだ名が『マッスル・ガール』。つまり、筋肉娘。
 ショックだったわよ。
 クラスの男子が、びびって近寄ろうとしないのよ。
 先生までが、あたしのこと『マッスル佐伯』って呼んだ。
 その頃片思いしていた田原君なんか、あたしの顔を見ただけで逃げ出した。
 もう、登校拒否寸前よ。
 中学時代には、そんなこんなで溜まったストレスを、あたしは体を動かして解消してた。けれど、そのおかげでさらに体力がつくという悪循環。
 そこであたしは決心したのよ。
 高校生活は、絶対に女の子らしく、彼氏なんかつくって平和に過ごすんだって。
 だから、同じ中学の、あたしが『マッスル・ガール』と呼ばれているということを知っている人が一人も受験しない、清流高校を受験したのよ。
 なのに……なのに!

 わしっ!
 あたしは、部屋の隅に転がっている、リボンをつけたピンクのダンベルを掴んだ。
 悪循環なのはわかってる、わかってるけど……
 ええい、こうなったら、体を動かして忘れるしかない!

「まったく、どうしてこんなに可愛い未来を、ふったりするのかしらね」
 夕飯のテーブルで、チキンを食べながら、お母さんが言った。
 わが家の食卓には、大概の人が驚く。
 本日は、ひとりに一羽ずつのロースト・チキン。脂が光るスペアリブ。ボウルいっぱいのサラダ。それと一緒に、かぼちゃの煮つけとか、ひじきの旨煮とか、おふくろの味も並んでる。
 とどめは、一リットルは入るジョッキに一杯のミルク。
 どこかのホームパーティーのメニューかとも思えるこの料理の山が、三人家族の一食分の食事だと、いったい誰が想像できるかしら?
「大体……ねえ。お母さん譲りの理想的な骨格でしょう? 柔らかい筋肉で、どんなにトレーニングしても、プロポーションが崩れないって、女の子としてはホント、理想的よ。それに加えて、お父さん譲りの二重のぱっちりした目。ちょこんとした鼻だって、とってもキュートよ」
「これが、自分の娘じゃなかったら、ほっとかないんだけれどな」
 バリバリと、骨ごと腿肉を噛んで、お父さんが言う。
「そういうのを、親の欲目って言うのよ」
 あたしは、ジョッキのミルクを飲みながら言ってやった。
「ねえ、お母さん。どうしてもっと、か弱い、花のような女の子に育ててくれなかったの?」
「か弱かったら、立派な『お母さん』になれないわよ。……お父さん、もう一羽、食べる?」
「頼むよ」
 お母さんは立ち上がり、オーブンからローストチキンを取り出した。
「あのねえ、お母さん。立派な『お母さん』になるためには、素敵な旦那様を見つけなくちゃいけないのよ。このままじゃ、旦那様どころか、まともに話せる男子もいなくなっちゃうわ」
「大丈夫だよ。イザとなったら、若手レスラーの中から適当なのを見つくろってやる」
 二羽目のチキンにかぶりつきながら、お父さんは言った。
「お見合い結婚なんて、ロマン無いわよ!」
「まあ、それは最後にとっておくべきよね」
 あたしの言葉に、お母さんは苦笑した。
「けどねえ、未来。お母さんだって、お父さんって素敵な旦那様を見つけることができたのよ。未来にだって、絶対に……まだ、旦那様は早いけど、素敵な彼氏ができるわよ」
「でも、あたしみたいな怪力の女の子なんて……」
「力が強いから、ケンカが強いから、未来を恐がるような男の子なんて、放っときなさい。その子達には、未来の本当の姿が見えていないんだから」
 お母さんはそう言うと、ニッコリと笑った。

(2)へつづく


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