人には言えない……

橋宗 優里

(7)

 部屋には、渡辺だけしかいなかった。
「容子は?」
「帰った。『一人で考えてみる』って言ってな」
 無茶苦茶機嫌の悪い声で、渡辺は言った。
「朝倉、おまえ、さっき言ってたよな。『わかってる』って。『わかってる』く
せに、あんなことを言ったのか?」
 俺は、自分の机でデザイン画を描いていた渡辺を見下ろした。
「おまえさ、容子のことになると、本当に、子供みたいにむきになるんだな」
 渡辺の切れ長の目が、ジロリと俺を睨んだ。それから渡辺は、目を伏せてペン
を置き、小さく息をついた。
「おまえだってそうだぞ。さっきのスネかたは、幼稚園児並みだ」
 俺は、渡辺の仏頂面に、奇妙な親近感を覚えた。それは、極めて特殊な仲間意
識だった。
「渡辺。そのデザイン画の女性、どこか容子に似てるな」
 俺の言葉に渡辺は、慌ててデザイン画を隠した。
「人のこと言えるのかよ。この間からおまえが描いていた、あのカラーイラスト
の妖精のモデルが容子さんだってこと、わかってるんだぞ」
 渡辺は俺の机に置かれたボードに向かって、顎をしゃくった。
「否定はしないよ」
 俺は肩をすくめて、キッチンに向かった。食器棚の一番下の扉を開いて、口笛
を吹く。
「容子のやつ、可愛い顔して、結構いけるクチだな」
 ズラッと並んだ酒の瓶。普段からケーキで使ったりするからブランデーやラム
があるのはともかく、ウイスキーやジンやウオッカって、普通は料理にゃ使わな
いぞ。
「渡辺、おまえ、何がいい?」
「まだ、外は明るいぞ」
「昼間、酒を飲んだらいけないって法律でもあるのか?」
「未成年は酒を飲んではいけないって、法律がある」
「十八歳の大学生は、堂々と酒を飲むぞ。……何がいい?」
「スコッチ。容子さんはシーバースを常備しているはずだ」
「当たり」
 俺は、ウイスキーの瓶を引きずり出した。
 つまみは冷蔵庫の中のハムとチーズ。塊のままテーブルに乗せて、それぞれが
ナイフで削って食べる。
「おまえなあ、いいかげんにしないと、明日の授業に差し障るぞ」
「出席日数は足りてる。成績はいい。誰も文句は言わないんだよ。まあ、よこ
せ」
 俺の手から瓶をひったくった渡辺は、琥珀色の液体をたっぷりとグラスに注い
であおった。
 ふうと、大きく息を吐き、再びボトルを傾ける。
「おいおい……」
 俺は呆れた。この男、俺の倍以上のピッチで飲んでやがる。
「俺の分まで飲むなよな」
 そう俺がぼやいた時だ。
「なあ、朝倉」
 渡辺が、グラスの中の液体を見つめながら言った。
「やっぱり、死んだ父親ってのには、かなわないものなのかな?」
「無理だろうな。ただでさえ、ファザコンってのは厄介なんだ。その上、今はも
ういないとなっちゃ、本人のなかで、完璧に美化されているからな」
「ただでさえそんななのに、容子さんって、僕達の後援者なんだよな。だから、
本人が気がつかないまま、精神的優位を占めてて……容子さんにとって、僕達は
なんなのかって考えると、な」
 俺は、渡辺の言葉にうなずいた。
「容子にとって俺達って、『子供』みたいなものなんだよな」
「その通り。男として、認識されていないわけだ」
「やってらんねーな」
「確かにな」
 俺達はグラスを掲げた。チンとグラスが鳴って、琥珀色の液体が揺れる。
「ところで、朝倉。僕はおまえにひとこと言いたい」
 グラスを空け、ふらつきながら立ち上がると、渡辺は言った。おいおい、目が
すわっているぞ。
「おまえなあ。僕でさえ、容子さんのことを『さん付け』で呼んでいるんだぞ。
年下のおまえが、呼び捨てにするとは何事だ!」
「それは、俺が『有栖川』って呼んでたら、『容子』って呼べって……」
「それでも普通は、敬称をつけるものなんだよ!」
「げっ!」
 首を扼められ、俺は悲鳴を上げた。この野郎、意外と腕力がありやがる。
「この阿呆、俺は怪我人だぞ!」
 俺は渡辺の腕を振りほどき、奴にグラスを握らせた。
 そして俺達は、じゅうたんにあぐらをかいて酒を飲み続け……
「あさくらあ」
 ろれつの回らぬ声で、渡辺が言った。
「おまえ、明日、容子さんにあやまれよお──」
「……んなこと、わかってらあ!」
 俺はわめいて……そこまでしか覚えていない。

 翌朝目を覚ますと、隠し部屋の奥の仮眠室のベッドにいた。
 二日酔いでがんがんする頭を抱え仮眠室を出ると、ミシンの音が聞こえてく
る。
「渡辺……?」
 渡辺は俺に気がつくと、手を休め、実に爽やかな顔で笑った。
「遅かったな。もう、昼休みだぞ」
「貴様の辞書には、二日酔いって言葉はねえのか?」
 俺は、むかむかする胸をさすりながら、冷蔵庫を開けた。ポカリかアクエリア
スがあったはずだが……
「アイソトニック飲料は、もうないぞ。明け方に、おまえがあらかた飲んだ。残
りは僕がいただいたしな」
 一缶くらい、残せよな。
 俺は、心の中で悪態をついた。
「渡辺。おまえ、授業は?」
「午前中の分はしっかり出てきたよ。おまえは、今日は風邪で欠席ってことに
なってる」
「アルコールの匂いを振り撒いて、授業を受けてきたわけじゃあるまいな?」
 俺はアイソトニック飲料がないので、しかたなしにリンゴジュースのボトルに
手を伸ばした。
「家に電話しなくていいのか? 無断外泊だろう?」
 食器棚からグラスを出す俺に、渡辺は言った。
「ああ。わが家は、超放任主義なんだ。だから、ピアスしていても、謹慎喰らっ
ても、停学喰らっても、何も言われない」
 俺は、グラスに注いだリンゴジュースを一気に飲み干した。
 うえっ。
 さっぱりするかとおもったら、妙に甘ったるい味だった。酸味がある分、余計
に気持ち悪い。
「ぐっ……」
 俺は口元を押さえて、トイレに駆け込んだ。
「ヤワな奴だな」
 トイレで便器を抱えてゲロゲロやってる俺に、渡辺は冷たく言い放った。
 この男、昨夜は自分も吐いてたくせに……!
「とりあえず僕は、午後の授業に行くからな。シャワーでも浴びてきたらどう
だ? タオルと代えの下着とワイシャツが、仮眠室のクロゼットにある。使えば
いい」
「まさか、おまえのか? インキ☆、移らねえだろうな?」
 じろりと俺を睨みつけ、渡辺は立ち上がった。ピシッとワイシャツの第一ボタ
ンまでしめているのが、なんとも小憎たらしい。
「安心しろ。悪い病気は持ってない」
 ドアに向かって歩き出した渡辺の後ろ姿に、思い切り舌を出してやろうと思っ
た俺は、渡辺がいきなり振り向いたので、危うく舌を噛みそうになった。
「新品の衣類は、クロゼットの奥にある。言っておくが、代金は後でもらうから
な」
 俺は、手元にあったトイレットペーパーの芯を投げつけた。

 シャワーを浴びてスッキリした俺は、口直しにインスタントの味噌汁をすすっ
ていた。
 時計はもう、放課後になったことを示していた。そろそろ、容子が来る頃だ。
 容子は、少し沈んだ顔でドアを開けて、この部屋に入ってくるだろう。そし
て、俺を見つけて、驚いて目を見開くだろう。
 昨日は悪かった。
 素直にそう言える自信はないが、きっと容子はわかってくれるだろう。
 その時に、容子が見せる表情がどんなものか、俺にはわかるような気がした。
 ドアのロックの開く、微かな音。
 俺は振り向いて、そこから姿をあらわすはずの容子を待った。
「朝倉!」
「なんだ、渡辺か……」
 俺は、息せき切って転がり込むように入ってきた渡辺を見上げた。
「どうしたんだ?」
「容子さんが、行方不明だ」
 俺は思わず立ち上がった。
「学校に来ていないから電話をいれたら、留守電のスイッチが入っているんだ」
「学校フケて、何処かへ行っているとか……」
「容子さん、今日は物理の追試があるんだ。病を押して学校に来ることはあって
も、今日に限って学校を休むなんてありえない」
「どういうことだ?」
「誘拐の可能性があるんだよ!」
「誘拐──?」
 高校生だぞ。ガキじゃないんだぞ。誰がそんなことするんだよ?
「よく考えてみろ。容子さんは、理事長の……日本屈指の財閥、高松グループ会
長の、たった一人の孫なんだぞ! 表舞台に立っていないとはいえ、いずれ高松
グループを継ぐかもしれない人間なんだ。彼女の存在を快く思っていない奴は、
山ほどいるんだよ!……おい、朝倉。何処へ行くんだ?」
「とにかく、容子の家へ行って、本当に行方不明か確かめるんだよ」
 地学準備室を出て、下駄箱に向かう。下駄箱には、昨日のままの俺の革靴が
あった。
 それ以外のものも、あった。
「おい、朝倉! ラブレターなんか読んでる場合か!」
 先に靴を履いた渡辺が、俺の立っている二年生の下駄箱の所まで来て言う。
「こんなキレイな字で、ラブレター出す奴がいるか?」
 読みにくいほど下手な男文字で書かれたたそれを、俺は渡辺に渡した。
『女はあずかった。遊んでやるから来い』
 封筒の中には、豊川高校の近くのスナックのマッチが一緒に入っていた。
「くそったれどもが……!」
 俺は、マッチ箱を右手で握りつぶした。それを投げ捨て、渡辺に言う。
「待ってろよ。今、容子を連れてきてやるからな」
「冗談じゃない、俺に待っていろというのか?」
 渡辺は、俺の腕を掴んだ。
「相手は、ステンレスの警棒を平気で振り回せる人間だぞ。ケガしたら、だだ
じゃ済まない」
 俺の言葉に、渡辺はにやりと笑った。
「容子さんを助けに行くなんて、『オイシイ役』を、おまえ一人にやらせてたま
るか!」
「勝手にしろ!」
 俺達は走り出した。

(8)へつづく


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