一月ぶりに学校に出てきた俺を待っていたのは、期末テストの追試と、『学園
のヒーロー』の座だった。
俺が家で、タケさんの小言に耐えていた間に、早坂がそこら中にふれまわって
いたらしいのだ。
「朝倉君は、私を助けるためにケンカをしたの! 彼は本当は良い人なのよ!」
……でもって、まあ、『不良少年』にされたときと同じノリで、今度は『素行
不良だけど、本当はシャイで優しい学園のアイドル』に祭り上げられてしまった
らしいのだ。
まったく、なんてえ校風だ。
「あ、朝倉先輩だ──」
「カッコイイ──ッ。ルビーのピアスがいいよね、ちょっと危なくて」
「でも、軽くない」
「うん。渋いんだよね」
「優しくて、顔が良くって、かっこよくって、強い。理想的」
「あの左腕だって、女の人をかばってケガしちゃったんでしょう?」
「そうそう。3-Fの有栖川って先輩をかばったんだって」
「彼女?」
「部の先輩が、『違うって本人が言ってた』って、噂してたよ」
「らっき──!」
……いいかげんにしてくれよな。
俺は、内心頭を抱えたが、『不良少年』と恐れられるよりはマシなので、放っ
ておいた。
「よっ、正義の味方!」
例の部屋に入るなり、渡辺が言った。
「やめてくれよ」
俺はソファーに鞄を放り投げた。思わず、口元が苦笑を形作る。
「こちとら、漫画が描けなくて欲求不満なんだ。変なことを言うと、ストレスが
爆発するぞ」
「ケガしたのは、左腕だろう?」
「ギプスは取れたけど、まだ思うように動かなくってな……左手で原稿を回さな
いとペンで絵は描けないんだって、初めて気がついたよ」
俺の言葉に、渡辺は笑った。
「そういえば、容子はどうした? いつもは先に来てるのに」
「さっき来て、いそいそと出かけていった。『お祝いだ、お祝いだ』って、は
しゃいでいたぞ」
渡辺のバースデイパーティーの準備か。
俺は一人で納得した。
昨日の夕方、容子が家に来た。誰から手にいれたのか、一ヵ月分の授業のノー
トのコピーを手渡し、俺に言った。
「明日は、学校に来るんでしょう? ちょうど、祐一郎の誕生日がその次の日な
の。だから、停学期間終了記念パーティーと、バースデイパーティー、一緒に
やっちゃおうね」
俺は、あの時の容子の明るい笑顔を思い出しながら、ソファーに座り込んだ。
「……なあ、朝倉」
渡辺が、突然真剣な口調で言った。
「おまえのそのケガ、容子さんをかばったからだって?」
「ん……ああ」
「容子さん、あれで結構、繊細だから……気をつけてやれよ」
俺は、渡辺を見上げた。
「馬鹿野郎。それくらい、わかってるさ」
あの日、病院で手当を受けている間に、俺の家に電話をした容子。『私をか
ばってくれたんです。私の所為なんです』そう言って、治療費を強引に支払った
容子。俺が『気にするな』というと、泣きそうな笑顔を見せた容子。それ以来、
一度も『ごめんなさい』なんて言葉は口にせず、そのくせ、一ヵ月分のノートを
届けた。
「容子ってさ……」
俺は口を開きかけて、やめた。
色々な言葉を考えてみたが、どれも容子にはふさわしくないような気がした。
「ただいま……あ、徹。左腕、もう痛くない?」
大きな箱を抱えた容子が、元気よく入ってきた。
「痛くはないけどな。まだ思うようには動かない。風呂に入るのが大変でさ」
俺の言葉に、二人は笑った。
「少し早いけど、ハッピーバースデイ」
容子の音頭で乾杯する。グラスの中身はシャンパンだ。
「この歳で、バースデイケーキってのも、何となく照れ臭いな」
そう言いながら、渡辺はろうそくの炎を吹き消した。
「はい、これ。あたし達からのプレゼント」
綺麗にラッピングされた週刊少年誌ほどの包みをあけ、渡辺は口笛を吹いた。
「60色セット! 前から欲しかったんだ。ありがとう、容子さん、朝倉」
「これで、デザイン画をたくさん描いてね」
容子が笑う。
「それとね、これ、あたしと祐一郎から、徹に」
「え?」
「快気祝いよ。開けてみてよ」
容子の差し出したB4サイズ位の、これも綺麗にラッピングされた薄い箱を、
俺は呆然と受け取った。
「ほら、早く開けてみろよ」
渡辺に勧められて、俺は包みを開けた。
それは、スクリーントーンのセットと、一通の封筒だった。
「封筒の中、見てみて」
容子に言われるまま、俺は封筒を開けた。中身は、一枚の名刺と便箋。
「○×社、月刊A-HA編集部副編集長、前田由利栄?」
便箋には、綺麗な女文字が並んでいた。
──作品を読ませていただきました。十分、プロとして通用する実力があると
感じます。職業としての漫画家になる決心がつきましたら、ご連絡ください。す
ぐに誌上発表ができる体勢でお待ちします──
「これは……」
俺は容子を見返した。
「徹には黙っていたんだけどね、前から預かっていた原稿を、A−HAの編集部
に持ち込んだの。編集部の人が、その場でこの名刺と手紙をくれたのよ。ね、祐
一郎」
容子は、渡辺と顔を見合わせて笑った。
「お祝いには、何がいいだろうって、二人で考えて、プロになるときに一番実用
的なものにしたの」
笑いあう二人。俺の知らないところで、隠れて話しを進めていた二人。それが
気にくわなかった。
胸の中がもやもやして、俺はつい、口に出して言っていた。
「俺がいつ、プロになるって言ったんだよ」
言ってから、しまったと思った。
渡辺の眉が寄り、目つきが険しくなる。容子は呆然としていた。
「……帰る」
そう言って、俺はその場を逃げ出した。
とぼとぼとまだ明るい道を帰って来た俺は、自分の家の前に見慣れた顔を見つ
けた。
「朝倉君」
彼女は俺を見つけると、小走りにやってきた。例のケンカの原因、早坂だった。
「なんだ、おまえ、この近くに住んでたのか?」
俺の言葉に、早坂は首を振った。
「待ってたの。言いたいことがあって……」
そう言うと早坂は、赤くなった顔を伏せ、深く頭を下げた。
「この間は、助けてくれてありがとう」
「あ……いや……」
俺は頭を掻いた。
「大したことじゃないよ」
「でも、朝倉君、そのせいで大ケガしたんだもの」
「本当に、大したことじゃないさ。ケガだって、もう、完治してるし」
俺は微かな痛みを堪え、左手を振ってみせた。
早坂は、俺の顔を見上げた。そして何度か何かを言いかけて、やがて、小さな
声で言った。
「あたしのためにケガをして、あたしのせいで停学になって……本当は、そんな
原因を作った人間が、こんな図々しいこと、言っちゃいけないとは思うの。けれ
ど、今言わないと、後悔しそうだから……」
早坂は、目を閉じて大きく息を吸った。紅潮した頬。長めのまつげが震えてい
る。
そして、そのまま俺を見ずに、思い切ったように言った。
「朝倉君が、好きです。おつきあいしてください」
それは多分、心の何処かで予想していた言葉だった。
「ごめん」
自分でも驚くほど、即座に、きっぱりと俺は言っていた。早坂の目がぱっと開
かれる。
「俺、早坂のこと、そんな風には考えられない」
「わかったわ」
早坂はうつむいて、大きくため息をついた。右手の指でそっと目元を拭う。
やがて早坂は、顔を上げ、あざやかに笑った。
「今の、忘れて。明日からあたし、朝倉君のミーハーファンになるから……ね」
そんな姿は、そこらのアイドルなんかよりも、ずっと愛らしく、綺麗に見え
た。
俺は、去って行く早坂の後ろ姿を見送った。早坂は一度も振り向かず、ゆっく
りと歩いてゆき、やがて道を曲がり見えなくなった。
早坂に好きだと言われたとき、思い浮かんだもの。
それはさっきの、呆然と俺を見返した容子の顔だった。
あの時、俺はすねていたのだ。自分に内緒で、自分の将来に関することが進ん
でいたことに。そして、渡辺と容子だけがそれを知っていて、俺だけがつんぼさ
じきに置かれていたことに。
まるで子供だ。小学生並みだ。
そんなことで腹を立てて、容子を傷つけたなんて……
謝りに行こう。まだ間に合うはずだ。
俺は再び学校に向かった。