人には言えない……

橋宗 優里

(4)

 衣更えが済み、そろそろ期末テストのことを考えだす季節になった。
 俺が、地学準備室に出入りするようになってから、二ヶ月程が過ぎていた。
「てめえ、渡辺! ここからこっちは俺の分だ。喰うんじゃない!」
 俺はスプーンで、ラムレーズンのアイスクリームの表面に筋をひいた。
 今年の夏の女神は気が早いらしく、さっさと梅雨前線を押し退け、温度計の赤
い柱を上げることに熱中していた。
 俺達は1リットル入りのラムレーズンのアイスクリームの箱を、三人で顔を突
き合わせて掘り返していた。
「こういうのは、早い者勝ちなんだ」
 自分の分をペロリと平らげた渡辺は、俺のテリトリーを侵しながら言った。
「馬鹿野郎。これは俺が、この暑い中を延々歩いて買って来たんだぞ! 俺に食
べる権利がある!」
「世の中、アイスクリームほど甘くないんだ。弱肉強食」
 畜生。器に取り分けようとした容子を止めたのには、そういう下心があったの
か。
 俺は、しゃにむにアイスクリームにスプーンを突き立てた。ぼおっとしてた
ら、俺の分がなくなる。
「あのねえ、知ってる?」
 渡辺が自分のテリトリーを侵さないことを十分承知して、ゆっくり食べていた
容子が、ふと顔を上げた。
「アメリカでだったかな? アイスクリームの大食い大会があったんだって。で
ね、ある男の人が何十リットルか食べて優勝したんだけど、表彰されてる最中
に、急にバタンと倒れたの。どうしてか分かる?」
 俺と渡辺はスプーンを止め、首を横に振った。
「大量に冷たいものを食べたから、体温がどんどん下がっちゃって、凍死し
ちゃったんだって。で、それ以来、その人の記録は誰にも破られていないんだっ
て」
「食欲、なくした」
 俺と渡辺はスプーンを手放した。
「じゃあ、冷蔵庫に入れとくね」
 容器に蓋をしながら、容子は言った。
 キッチンでスプーンを洗う容子の後ろ姿を見ながら、俺はため息をついた。
 まるで、駄々っ子をあしらう母親のようだ。その上、あしらわれている俺と渡
辺が、そんな風に扱われるのを納得しているというのも困ったものだ。
「まったく、容子さんにはかなわないな」
 渡辺の苦笑は、どこか楽しそうに見えた。

「あ、そうそう。徹、この間の新作の感想文、書いてきたわよ」
 キッチンのタオルで手を拭い、容子は自分の鞄を手にとった。
「はい、これ」
 手渡された可愛らしい便箋を広げると、例のごとく、びっしりと書かれた文字
が目に入った。
 作品を読んでの感想──面白かったとか、そんな感覚的なことから始まり、
デッサンの狂いの指摘、構図に関するアドバイス、トーンの使い方の批判。ス
トーリー運び、キャラクターの性格づけに至るまで、細々と書かれている。
 これは予測に過ぎないが、俺にアドバイスをするために、彼女はかなり、漫画
のことを勉強したのではないだろうか。自分で絵を描き実践することはできない
が、言うことにはすべてスジが通っている。
「やっぱり、主人公はもっと派手に動いたほうがよかったかな?」
「うん。ちょっと、印象に残るシーンが少なかったみたい。こう、さ。インパク
トのあるコマというか、見たときにドキッっとするような視覚に訴えるシーンが
なかったのよ」
 そんなことを、原稿を広げながら容子と話していたら、脇から渡辺が口を出し
てきた。
「女の子の着ている服がダサイ」
「何だよ、うるせえな」
 この男、話の内容や構図のことは分からないが、自分の専門の服に関しては、
しつこい程に文句をつける。
「こんな服そうが流行したのは、六○年代だけだ」
「これは六○年代の話だぞ!」
「だったら、この男の服装はおかしい。これは七○年代の……」
「だあああっ! うるせえ、うるせえ!」
 喚き散らしながら、俺はこんな会話を楽しんでいる自分に気がついていた。
 二ヵ月前までは、こんな会話ができるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
 朝、登校していると『おはよう』と声をかけてくれる人間がいる。くだらない
ことを話しながら、一緒に歩ける人間がいる。
 そして、自分の趣味のことを話せる人間がいる。
 そういう人間がいるということは、それだけで、俺にとってたまらなく嬉しい
ことだった。
『不良少年』のレッテルを張られ、人に避けられ、「これで『人には言えない秘
密』がばれる心配はない」なんてことさえ思っていた自分が、『友人』というも
のに飢えていたということを。そして、実はその『秘密』のことをどれだけ話し
たかったのかということを、改めて思い知った。
 授業中に、早く放課後にならないかと待っている自分に、ふと気がつく。
 いまの俺には、容子と渡辺の二人の存在は、高校生活に不可欠なものとなって
いた。

「あっ!」
 背後で、小さな声が聞こえた。直後に、かなり派手な音が教室に響いた。
 一瞬、教室中の人間の視線が、そこに集中した。
 俺の後ろの席の、確か、早坂という名の女の子が、カンペンケースを机から落
としてしまったのだ。俺の足元まで、カラフルで可愛らしいシャープペンやらサ
インペンやらが転がってきた。
 俺は手を伸ばし、足元のサインペンを拾った。
「ほら」
 俺がそれを差し出すと、早坂はキョトンと俺を見返した。それから、慌ててそ
れらを受けとり、頬を赤らめながら言った。
「ありがとう」
 俺は、彼女に『どういたしまして』という意味で笑いかけて、再び黒板の方を
向いた。
 教壇から教師が、きょとんとした顔で俺を見ていた。
 休み時間になると、教室内があわただしくなった。何人かの女子が、バタバタ
と教室から走り出て行く。他のクラスに遊びにでも行ったのだろうが、それにし
ても、今日の雰囲気は、一種異様だった。
 俺から机二つほど隔てたところに、女子共がかたまっていた。何やら小声で話
しながら、チラチラとこちらに目をやる。
 ……何だ?
 やがて、その内の一人、俺の後ろの席の住人が、意を決したように近付いて来
た。
「あの、朝倉君。授業中はありがとう」
 早坂は、おずおずと声をかけてきた。
「大したことじゃないよ」
 俺は、照れ隠しに笑いながら言った。
 同時に、彼女の後ろの女子の集団が、ざわざわとさざめく。
「……なんなんだよ、あれは?」
「ん……ちょっとね」
 困ったように、早坂は笑った。
「ところで、ねえ、朝倉君。朝倉君が、3年F組の有栖川先輩とつきあってるっ
てウワサがあるんだけど、本当?」
「どこから、そんな話が出てくるんだよ!」
 寝耳に水とは、こういうことを言うんだろうか?
「じゃあ、違うの?」
「そりゃ、彼女は知り合いだけど、時々帰りが一緒になったりするけど、そんな
ことはない。絶対にない」
 俺が慌てて否定すると、いきなり、女子達の悲鳴が教室中にこだました。
「可愛い────! 真っ赤になってるう!」
「誰よー? いいかげんな事、言ったの」
「よかったぁ!」
 なんなんだ、この反応は!
 野郎共が、彼女達のあまりの興奮ぶりに目を丸くしていた。

(5)へつづく


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