「貴様……覚えてやがれ!」
月並みな捨てゼリフを残し、豊川高校の奴等は逃げるように立ち去った。
「ボキャブラリーの少ない奴等だ」
俺は落ちていた学生鞄を取り上げながら、これからのことを考えて、ふと溜め
息をついた。
これでまた、しばらくの間周囲がうるさくなるだろうな。奴等の仕返しはある
だろうし、他校の不良どもとモメたのがバレれば、また謹慎を食らうかも知れな
い。
自宅謹慎は、むしろ歓迎するんだけれど、ケンカはまずいんだよ、ケンカは。
右手を痛めたりしたら、目も当てられないぜ。
大体、俺は、一度だってケンカを売ったことはない。大概、一方的にイチャモ
ンつけられるほうだ。
「てめー、なに茶色い頭してんだよ」
俺はクウォーターなんだ。地毛なんだよ。
「女みてーに、ピアスなんかしやがって」
今時、男だってするだろうが。
「そういや、顔も女みてーだな」
好きでこんな顔に生まれついたわけじゃねえ!
「お、なんだ、その目つきは。やろうってのか?」
「綺麗なお顔に傷がつくぜ」
────確か、初めて豊川校の奴等とやり合ったときは、こんな感じだったは
ずだ。
あの時は、『文画堂』にいつものペン先がなくて、むしゃくしゃしていて、つ
い、言っちまったんだな。
「てめえ等みてえな奴等のことをな、英語でなんて言うか知ってるか?」
拳から、ぴんと立てた中指の意味は、奴等も知っていたようだった。
「Mother Fuckerっつ──んだよ!」
────────思えば、あれがいけなかった。
歩道のド真ん中での乱闘騒ぎのおかげで、一週間の自宅謹慎を食らった俺が、
謹慎が解けて学校に出てきた時には、『朝倉徹』イコール『不良少年』という図
式が完成していた。
もともと、髪の色とピアスの件で、先公にはにらまれていたところに、この騒
ぎ。まあ、誤解されるのも無理はない。
その後はもう、豊川校のアホどもに目の敵にされるわ、先公どもはうるせえ
わ、散々だった。
一年たった今じゃ、『左の朝倉』なんてふたつ名までついちまって、清涼校の
不良の代表みたいに言われてる。
「……ったく、この俺のどこが不良少年だってんだ」
俺は空をあおいだ。
「俺は、ケンカが強いだけの、ごく普通の男子生徒だぞ」
小さな秘密はあるけどな……
そう心の中で続けて、俺は歩きだした。
翌朝のことだ。
『他称』不良少年である俺には、友人と呼べる人間がいない。
別に、それ自体は大したことじゃない。
だが、他に非行に走る奴もいない、おめでたい校風の我が清涼高校で、ただ一
人の不良少年をやらされている俺に、まるで狂犬でも見るような目を向けるのは
やめてほしい。
真面目な男子生徒であると自認している俺は、毎日きちんと登校している。今
日だってそうだ。ギリギリ遅刻しない程度の時間の通学路は、清涼高校の生徒で
いっぱいだ。
しかし、俺の前後五メートルには誰もいない。
音に聞こえた『不良少年』に、アヤつけられないように、遠巻きにしているわ
けだ。
朝っぱらから、脅えた目を向けられるのには、さすがに閉口する。例の一件以
来、朝の挨拶さえ……
「おはよう!」
バシンと背中を叩かれ、俺は思いきり驚いた。
振り向くと、白線三本と赤いスカーフのセーラー服、清涼高校の制服を着た女
の子が俺を見上げていた。ポニーテールの、割と可愛い子だ。襟章で、三年生だ
と分かる。
二重のパッチリした目が、大きく見開かれていた。
これから、彼女がどう行動するか、予想はついた。
人違いに気付き、それから自分が声をかけた相手が、余りマトモな高校生では
ないと勝手に思い込み、慌てて逃げ出す……はずだったのだ。
「へえ。こうして近くで見ると、本当にハンサムね────」
彼女はそう言うと、ガシッと学生服の胸倉を掴み、俺の顔を下に引きずり下ろ
した。
「うん、至近距離でも、いい男」
俺の顔を覗き込み、彼女はにっこり笑った。ぽちゃっとした唇が、子供っぽい
印象を与える。上級生にはとても見えないぞ。
「容子さん、そのポーズはあぶない」
彼女の後ろから、一人の男が声をかける。────こいつは、俺でも知って
る。開校以来の秀才と言われる、生徒会長、三年生の渡辺祐一郎だ。
「まるでキスを迫っているようだ」
『容子さん』と呼ばれた彼女は、渡辺の顔を見上げてから、再び俺の顔を覗き込
んだ。
「それもいいわね。────してもいい?」
「うわあ!」
俺は思わず飛びすさった。
「冗談よ。純情なのね」
「なんだよ、貴様等」
クスクスと笑う彼女に、俺は多少なりともムッとしながら言った。
「あたし、有栖川容子」
彼女は言った。
「あなた────朝倉徹の、人には言えない秘密を知ってる人間よ」
上目使いに俺を見上げる彼女。
一瞬、俺は心臓が止まるかと思った。
「何だよ、その、『人には言えない秘密』ってのは」
声が震えそうだった。
「放課後、地学準備室に来たら、くわしく教えてあげる」
じつに可愛らしく彼女は笑うと、俺に背を向けた。
呆然と見送る俺の肩を、渡辺がポンと叩いた。
「これで、君も逃げられないよ」
どこか同情するような瞳でそう言うと、彼は彼女の後を追った。
俺は、しばらくの間その場に立ち尽くし……見事に遅刻した。
人には言えない秘密の一つや二つ、誰にでもあるはずだろう?
別に、犯罪でもなんでもない事なんだけど、でも誰にも知られたくない秘密。
ほら、心当たりがあるだろう?
では、何故、それを人に言えないかも、わかってくれると思う。
理由はただ一つ……恥ずかしいからだ。
人に知られたら笑われるようなこと。笑われたら恥ずかしい、バカにされたら
恥ずかしいから、人は懸命になってそれを隠すのだ。
俺も、この秘密をひた隠しにしてきた。
そうとも、こんな恥ずかしいこと、他人に知られてたまるか。
オヤジだって知らない。知っているのは、住み込みの家政婦のタケさんだけ
だ。
なのに、どうしてあの娘が……
俺は唇を噛んだ。
地学準備室に呼び出すなんて、何が目的だ?
ユスリか? それとも……?
シカトして、地学準備室に行かないというのも一つの手だ。しかし、腹いせに
『あれ』を言い触らされたらたまらない。
放課後になる頃には、俺は地学準備室に行くことを決めていた。
地学準備室に行って、あの娘の言う『人には言えない秘密』というのを確かめ
る。それがデタラメならば良し、そうでなければシラを切ればいい。
シラを切り通せなかったら……その時はその時だ。
半ば開き直って、俺は地学準備室に向かった。
地学準備室は、理科棟の一階の一番端にあった。もともと鉄筋三階建ての理科
棟に地学室と地学準備室をくっつけたため、その部分だけ平屋の増築部分が張り
出した形になっている。
この四月に増築工事が終わったばかりなので、まだ、真新しいという印象があ
る。冬休みの着工から完成まで工事用車両がずいぶん出入りしてた。
そういえば、物理の担任が授業中に言ってたな。
「我が校には、地学を専門とする教師はいないんですね。一応、選択科目の中に
は入ってますが、理系クラスでも、地学を履修する人はこの五年間一人もいませ
ん。はっきり言って無駄ですね。高松十蔵理事長が、『履修科目があるのに、教
室が無いのはおかしい』と、建てさせたものらしいですけど、現実は金の無駄遣
いですね。まあ、金を出しているのも理事長ですから、もらえるものはもらって
おきましょう」
ウケ狙いの話としてはまあまあだったっけ。
しかしこの二部屋、本当に付け足したように建てられてるな。増築部分で廊下
が曲がってるから、こうして地学準備室の前に立つと他が見通せなくて、隔離さ
れてる気分になる。廊下側の窓の向こうは体育館の壁だから、なおさら閉じ込め
られているような気がする。
なんとも重苦しい気分を押し退けるように地学準備室のドアを開けると、がら
んとした部屋の何もない机の向こうに、生徒会長の渡辺が悠然と座っていた。
「よく来たな」
不敵に笑いながら、渡辺は言った。
生徒会長、渡辺祐一郎と言えば、三年連続学年トップ、このままゆけば、東大
理3現役合格間違いなしと言われている秀才だ。
必死にガリ勉している奴等から、毎回トップをかっさらうクールな表情の寡黙
な男。その上、まずまずのルックスときてる。二期連続の生徒会長就任だって、
女性との組織票のおかげだというウワサだ。
キャラクターとしては魅力的だな。
しかし、目の前でこうふてぶてしく笑われると、むかっ腹が立つ。
「なんの用だ?」
俺が言うと、渡辺はちょっと待ったと片手を上げ、立ち上がった。
「ここでは話は出来ない。容子さんが待っているしな」
机の横を通り抜け、俺を脇に押しやるようにしてドアに手をのばす。
場所を変えるのか?
そう思ったとき、渡辺が振り向いた。
「君……朝倉君。君は、この地学準備室に、窓がないってことに気付いていたか
い?」
「はあ?」
俺は思わず、部屋の中を見回した。
確かに、壁に通気孔がある以外、窓一つない。机と、専門書の入ったスチール
の本棚と、ガラス扉の標本棚、説明用の図を巻いた奴がいくつかラックに掛けら
れていて、ドアのすぐ横には縦長のロッカーが二つあるだけだ。これで入り口の
ドアに鍵をかけたら、完全な密室……
微かな音。渡辺がドアに鍵をかける音を耳にした俺は、反射的に身構えた。
「貴様……?」
地学準備室ってのは、実は生徒会長専用の仕置部屋だったのか?
「警戒するなよ」
渡辺は、両手をあげて戦意のないことを示した。
「ただこれは、校長以外は知らないことなんでね。秘密を守るためには、仕方が
ないんだ」
そう言って、渡辺は壁際のロッカーに手をかけた。一番近い所、つまり廊下側
のロッカーの扉には、使用禁止という紙が張ってあった。
「この部屋には、一部の人間しか知らない仕掛けがあってね。このロッカーは、
そこのドアに鍵をかけないと開かない仕組みになっている」
渡辺はロッカーを開き、俺に中を見ろと手招きをした。
ロッカーの中には、半畳ほどのスペースがあった。つまり、ロッカーの背をぶ
ちぬいて、その向こうの壁に穴が開いているのだ。
裸電球の照らすその空間を覗き込み、俺は驚いた。そこには、地下へと続く階
段があったのだ。
「どこにこんなスペースがあるんだよ。隣は地学室だろう?」
人ひとり、やっと通れる階段を降りながら、俺はつぶやいた。
「ここは、地学室と地学準備室の間の壁の中だよ」
渡辺は先を歩きながら言った。
二階分を降りたくらいだろうか。階段は終わり、踊り場があり、そしてドアが
あった。
ドアを開けると、もう一つのドア。防音のため、二重になっているのだ。
俺が一つ目のドアを閉めるのを確かめてから、渡辺はもう一つのドアを開け
た。
ドアの向こうを見て、俺は開いた口が塞がらなくなってしまった。
そこには、極めて異様な空間が広がり、その中心で有栖川容子が笑っていた。
「私たちの部屋へようこそ、朝倉君」