反逆の狂想曲 4

橋宗 優里

(4)

 今年の夏は猛暑だと、新聞には書いてあった。しかし、俺がそれを感じるのは、予備校に通う時と図書館に行く時だけだった。勉強部屋はクーラー付きだし、予備校や図書館のエアコンもフル稼働で、夏の暑さのかけらも感じさせない。
 空調の効いた所にいる時、俺の頭の中は受験用に切り替わっている。
 夏休み前の校内模試の結果は、親父の満足するものだった。予備校の模試もしかり。受験の準備は着々と進んでいたが、すべきことはまだまだたくさんあった。
 快適な部屋にいる時の俺は、まるで広大な涼しい部屋にあるコンピューターの様なものだった。そう、受験のための機械だ。
 その俺が人間に戻るのは、夏の大気に包まれているほんのわずかな時間だけだった。
 予備校に行くのには、繁華街を通り抜けるのが近道だった。車両進入禁止のアーケード街には、いくつかのブティックが並んでいる。俺はできるだけそれらの店に目を向けないように、足早に通りを抜けるのが常だった。
 だが、ふと顔を上げると、ウインドウのディスプレイが目に入る。気がつくと、ウインドウの前に立っていて、ガラス越しにマヌカンに睨まれているなんてことはしょっちゅうだった。その度に、こんなことではいけないと、俺自身に言い聞かせるのだ。
 夏休みも、半分以上が過ぎたある日だった。
 立秋は過ぎたとはいえ、まだまだ繁華街の空気は真夏のものだった。歩く人々も、まだ夏の服装だ。
 しかし、ウインドウの中はもう、秋の風が吹いている。夏の処分市が終わり、ディスプレイは秋のそれに変わっていた。視界の隅に、新しくウインドウの住人になった服達を認めながら、俺は家へ向かっていた。
 俺の足を止めたのは、一体のマネキンだった。
 枯れ葉色のタイトスカート、シンプルなシルエットの薄手のセーター、襟元のスカーフ。丈の短めのジャケット。セーターと同じ色のソックス。
 顔のない板のようなマネキンの着ているその組み合わせ。スカートもセーターもジャケットも、基本的なデザインのどこででも手に入るようなものだ。コーディネイトもありきたりで、誰もが考えるような代物だし、誰にでも似合うような無難なものだった。
 俺の頭の中に、久美の顔が思い浮かんだ。
 久美には、ごく普通のコーディネイトより、少し大胆なもののほうが似合う。
 タイトスカートをメインにするなら、レーシーなブラウスをオーバーブラウスにして、ウエストを幅の広いベルトできゅっと締める。派手なゴールドのアクセサリー。黒のレザーのロングジャケットをコートのように肩にかけ、複雑な模様の黒の網ストッキング。靴はかっちりとしたウイングチップ。
 ジャケットをメインにするなら、スリムなシルエットのパンツを合わせよう。ボタンダウンの綿のシャツ、秋らしい色のソックスをパンツの裾からのぞかせ、チェックのスニーカーと共布のハンチング。ちょっとレトロな感じになるだろう。
 そんなことを考えているうちに、俺の頭の中は、秋の服のデザインで一杯になっていた。
 思い付いた時に描きとめなければ、頭の中のデザインはどんどんぼやけてしまう。俺は慌てて近くの喫茶店に入り、奥まった席に陣取った。メニューも見ずにブレンドを注文する。
 鞄を開けて、デザインノートを探して、そして俺は気がついた。
「やめたんだっけ……」
 知らず、深い溜め息が口をついて出た。
 ウエイトレスがブレンドコーヒーを持ってきた時には、頭の中のデザイン達は細かい部分が擦れてしまって、単なるイメージの断片になってしまっていた。
 悔しかった。潜在意識に沈んでしまったデザインは、もう二度と浮かんでこないかも知れない。逃がした魚は大きすぎた。
『もう、デザインなんてやめたんだから、構わないさ。ふと思い浮かんだシルエットを、慌てて描きとめる必要ももうないんだ』
 そう自分に言い聞かせても、その悔しさは消えなかった。
 どんなに忙しくても、どんなに忘れようとしても、俺の思考の中心はある一つのものなのだと、改めて思い知った。理屈ではない。何をしていても、俺は心のどこかでデザインのことを考えているのだ。
 予備校の講義室で、つい、女子高生の服装を眺めている。風に揺れるカーテンをみている時、講師の書いた下手な字を見ている時、アーケード街を歩きながらふとBGMをみみにした時、町並みの向こうに沈む夕陽を見た時。俺の頭の中には、一本のラインが、微妙な色合いが、淡いイメージが浮かんでくる。
 俺にとっては、もう、感じることとデザインすることは、切っても切れない関係になってしまっていたのだった。
『あたし達は仲間なのよ』
 そう言った久美の言葉を思い出す。
 ああ、そうだよ。認めるよ。俺は久美の言う通りの人間だ。
 俺はおざなりに注文したブレンドを、ゆっくりと口に運んだ。ほろ苦い液体の最後の一滴まで飲み干した時には、俺の心は決まっていた。

「馬鹿者!」
 書斎の中に怒声が響くと同時に、思い切り殴られた。
 平手とはいえ、学生時代に柔道で鍛えたという腕力は、やわな俺をよろけさせるのには十分すぎた。ふらついて本棚によりかかると、背中でガラス戸が不気味にきしんだ。
 頬がカッと熱くなり、それからしびれのように痛みがはいのぼってくる。俺はその頬を押さえもせずに、親父を見上げた。
「もう一度言ってみろ。今何と言ったか、もう一度言ってみろ!」
 親父の声は、微かに震えていた。
「────服飾専門学校に進学させてください」
 頬がしびれてしゃべりにくい口で、俺はさっき言ったことを繰り返した。親父はものも言わず、俺を殴りつけた。俺の背中で、ガラス戸にひびが入った。
「おまえは、恵まれている自分に気づいていないのかっ! おまえには医者になるだけの能力がある。ほかの人間が必死になってすることを、おまえはやすやすとやってのける。それだけの力があるのに、何が悲しくて女のまね事を……!」
「親父にとって最高のことが、俺にとってもそうだとは限らないだろう? 俺はデザイナーになりたい。たとえなれなくても、それに近い仕事をして生きて行きたい。六年間医学部で学ぶくらいなら、同じ時間にもっとほかのことを勉強したい。親父は医者になりたくて、医学部に行ったんだろう? 俺はデザイナーになりたいから、専門学校に行きたいんだ」
「おまえが後を継がなければ、この渡辺医院はどうなる?」
 親父は、怒りに燃える目で俺をねめつけて言った。
「医者にならなければ病院経営ができないわけじゃない」
 殴られた頬が、うずくように痛んだ。それでも俺は続けた。
「小さな頃から、綺麗な服が好きだった。どうせ着るのなら綺麗な服がいいと思ってた。ところが、気がついてみると俺は男で、綺麗な服を着たって不気味なだけだ。小学生の頃は、それがつまらなかった。
 けれど、美しいものは美しい。自分が着ることはできなくても、俺は綺麗な服が好きだった。身体を覆うという目的を持ち、自己表現の手段にもなる、機能性と装飾という時には相反するものの中間にある、そんな被服というものの存在が好きだった。
 被服それ自体の美を追及してみたい。着る人をより美しく見せるような服を作ってみたい。誰が着ても似合うような服を作ってみたい。服を作ること、そして、より多くの人に俺の作った服を着てもらうこと。それが俺の夢なんだ。
 俺は自分の夢を追いたい。可能性を試すとか、一時的なものではなくて、できるかぎりの努力をして、たとえかなわなくてもその夢を追い続けたいんだ」
「親に反対されてもか?」
「家を出る覚悟はできてる」
 にらみつけていた親父の目から、押さえ付けるような力が消えた。がっくりと肩を落とし、親父はソファーに身体を埋めた。
「おまえ達はいつも、私の言うことを聞かない。一姫も工学部になんぞ行ってしまって、いくら言っても見合い一つしない。
 思えば、おまえ達二人は、小さいころから母さんとばかり一緒にいた。母さんの言うことなら何でも聞くのに、私の言うことなど聞きやしない。
 なぜだ?
 今日まで懸命にこの医院を守ってきた私を、おまえ達を育てるために稼いできた私を、一体なんだと思っているんだ」
 そう言って愚痴る親父は、うだつの上がらぬサラリーマンより惨めに見えた。
「俺は、親父を尊敬している。これは本当だ。けれど、親父の命令だからと言って、自分の夢を捨てたくないんだ」
 親父は立ち上がった。俺に背を向け、ドアに手をかける。
「勝手にしろ」
 ドアの向こうに、小さくなった親父の背中が消えた。

 何気なく口元を拭うと、微かな痛みが跳ねた。手の甲に血のすじがついていた。唇を切ったらしい。
 居間に下りてゆくと、姉貴がいた。
「あーあ。派手にやったわね」
 俺の顔に呆れたように、姉貴は言った。
 救急箱を出し、傷を手当てしてくれながら、姉貴は言った。
「あんたが書斎で父さんとやり合ってる間に、久美ちゃんから電話があったわよ。最優秀新人賞取ったって伝えてくれって。どうしても、知らせたかったって」
 俺が立ち止っていた間に、久美は確実に、夢を現実に近付けていたのだ。
「あのさ、祐一郎」
 救急箱の蓋を閉じながら、姉貴は俺に話し掛けた。
「病院のことは心配しなくていいんだよ。何とかなりそうだから」
 姉貴は、少し頬を赤らめて言った。あまりにも姉貴らしくない様子に、俺はぼうぜんと姉貴を見返した。
「今度ね、あたし、結婚しようかと思っているの」
 青天のへきれきだった。
 相手は三十才の将来有望な医者だという。姉貴の通っていた国立大学で知りあい、学生時代から足掛け八年も付き合っていたらしい。
「彼は、養子でも構わないって言ってくれているの。母さんも賛成してくれているし、父さんさえ彼を気に入ってくれれば、来年にはゴールインよ」
「俺のために、医者の彼を見つけたのか?」
『俺が病院を継がないことを予測して、わざわざ医学部の学生を彼にしたのではないだろうか?』
 あまりのタイミングのよさに、俺は聞いた。
「そんなこと、あるわけないでしょう!
 ……そりゃ、あんたにデザイナーっていうか、服を作ることに関しての才能があるのは分かってたわよ。そのうち、もしかしたら、その方面に進みたいって言いだすかも知れないって考えてもいたわ。
 けれど、あたしは医者の婿さんを手に入れるために、彼と付き合ってたわけじゃないのよ。好きになった人が、たまたま医学生だっただけの話なの」
 姉貴はにっこりと笑った。
「だからあんたは余計な心配をしないで、自分の好きなことをしなさい」

 職員室で、担任は椅子からずり落ちた。

 二学期が始まったその日の午後には、俺が志望校を東大理三から服飾専門学校に変えたという話は、学校中に広まっていた。
「おまえ、デザイナーになりたいから、東京大学蹴るって、本当か?」
 前の席から俺を振り向いた増島が、まじまじと俺を見つめながら言った。
「本当だ。よかったな、増島。ライバルが一人減って」
 俺が言うと、増島は憮然とした。
「……渡辺、おまえ、俺を馬鹿にしてるのか?」
「いや。おまえはいつも、俺を目の敵にしてたからさ」
 増島は鼻の付け根にしわを寄せ、ふんっと鼻を鳴らした。
「気に入らなかったんだよ、渡辺が。
 わかってたんだぜ。おまえが、何か目的があってガリ勉してるわけじゃないってこと。頭ん中は別のことで一杯って野郎に、必死で勉強している俺がかなわないなんて、我慢できるか!」
イラスト1
 半分すねたように、半分照れたようにそういう増島に、俺は初めて好感を持った。
「増島……」
 俺が口を開くと、増島はちょっと肩をすくめ、にやりと笑った。
「けれど、おまえって以外と根性あるんだな。こうなればもう話は別だ。俺は、おまえを応援してやるぜ」
 増島は、俺の肩を力一杯たたいた。
 俺はその痛みに苦笑しながら、今日の放課後のことを考えた。
 授業が終わったら、久しぶりに『お茶しま専科』に行ってみよう。一足先に夢に向かって走り始めた久美が、そこにいるはずだ。
 待っていろよ。
 すぐに追い付いてみせるからな。
 俺の机の上には、新しいデザインノートの真白いページが開かれていた。

『反逆の狂想曲』

END

 第一稿 1989.4.2 PM9:35


反逆の狂想曲のいいわけ


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