反逆の狂想曲

橋宗 優里

(2)

 ダイニングのテーブルに、クラフト紙を広げる。型紙を作るのだ。
「あら、恋人にサマードレスをプレゼントするの? ロマンティックね」
 母さんは笑った。
「久美は恋人なんかじゃないよ」
 俺は久美のサイズ表を見ながら、頭の中でデザインした服を解体していった。基本のシルエットと、タック分の布地を計算する。ポイントは襟ぐりとスカートのシルエットだ。スケールを片手に、クラフト紙にラインを引く。
「恋人じゃなかったら、なんだというの?」
「友人だよ、友達」
「お友達、ね」
 ティーカップを片手に、母さんは溜め息をついた。
 前身頃、後ろ身頃。微妙なラインを直しながら、型紙を作ってゆく。襟ぐりと袖ぐりを、大胆に開ける。そこから別色のタンクトップを覗かせるデザイン。ついでだ、タンクトップ分のパターンも作ってしまおう。
 型紙のラインをはさみで切っていると、パタパタと騒がしい音を立てて、姉貴がリビングに入ってきた。
「ただいま帰りました」
 姉貴は、親の反対を押し切り工学部に入り、今は設計事務所で働いている。かなりの美人であるにもかかわらず、二十六歳の今も独身。『仕事が面白いから』と言って、見合いの話も断っている。
 仮にも医者の家に生まれたというのに、お嬢さま然としたところがないというのも変わってる。
「あ、祐一郎。ちょっと頼みがあるんだ」
 姉貴は、シャネルのバッグを放り出し、ダイニングの俺に言った。
「事務所の友達が結婚を決めたの。────で、おねえちゃんは、披露宴に着て行く服が欲しいのよ」
「でも、見てのとおり、俺は忙しい」
 俺は目の前の型紙を指して言った。
「いいじゃないの。おねえちゃんの頼み、きけないの?」
「母さんも、新しいスーツが欲しいわ。祐ちゃん、作ってくれないかしら?」
 思い出したように母さんまで言った。
 俺は手が遅い。サマードレスならともかく、フォーマルやスーツなんか作っていたら、かなりの時間がかかる。
 しかしそれ以上に、作ってみたいという欲求があった。
 頼まれて作るというのは、なかなか大変だ。姉貴や母さんは、出来が悪いと材料費さえ払ってくれない。自分の持てるもの全てを注ぎ込んで作った服を、母さん達が外に着て行く。それは、かなり刺激的なことだった。
「祐ちゃんが作った服を着てるとね、『どなたのデザインですの? 教えて下さいな』って、言われるのよ」
 そんな風に母さんに持ち上げられて、結局俺は梅雨明けまでに三人分の服を作ることになった。

「何をやってるんだ?」
 珍しく、親父が書斎から顔を出した。
 テーブルの上の型紙を見ると、あからさまに眉をしかめる。
「また、祐一郎にままごと遊びをさせているのか?」
 親父は、俺が婦人服を作るのが気に入らないらしい。面と向かって文句を言うことはないが、決していい顔はしない。
「『ままごと遊び』なんて言ったら、祐ちゃんがかわいそうですよ」
 母さんがやんわりとたしなめる。親父は何も言わずにソファーにかけた。
 親父は、渡辺の家に養子に入った人間だ。代々医者の家だったのに、跡取り息子に恵まれなかったじいさまが、一人娘に婿養子を取ったのだ。
 その成果、親父は母さんの言うことに反論しない。いつも、言いたいことを中にしまって、黙り込むのだ。
「祐一郎、勉強はしているんだろうな?」
 ぽつりと、親父は言った。
「おまえには、渡辺医院を継いでもらわなくてはならないのだからな。それなりの大学へ行けるようにしておきなさい」
 親父の言う『それなり』というのは、プレミア付き国立、あるいは有名私立大学をさす。ちなみに、親父は慶応大学医学部卒だ。
 親父の言いたいことは、よく分かっている。
『そんなくだらないことなど、やめてしまえ。おまえは、この医院を継ぐのだ。そんな暇があるなら、受験勉強でもしろ』
 俺を見る目がそう言っていた。
「勉強します」
 俺は型紙と道具をまとめ、さっさとダイニングから逃げ出した。
 分かっているのだ。俺がしなくてはいけないのは、よい成績を取り内申書を良くし、受験戦争に勝ち抜き、大学で医学を修め、国家試験に一発で合格し、渡辺医院を継ぐことだ。
 でも、その義務さえ果たしていれば、誰にも俺に文句をいう権利はないはずだ。
 たとえ、実の父親でも。

 廊下には、黒々と人だかりができていた。ざわざわとそれが騒めくのは、どこかアメ玉にたかる蟻に似ている。
 中間試験の成績上位者の発表だ。
 俺は見に行く必要はない。リストが貼り出された直後、増島の奴が、わざわざ教えにきてくれたからだ。
「……ったく、また、おまえに負けちまったよ。たった六点差だぞ、五科目合計、五百点満点で六点差」
 教室で色彩学の本を読んでいる俺のところへ飛んできてそう言うと、増島は俺の鼻先に指を突き付けた。
「おまえのおかげで、また二番だ。畜生、期末は絶対、トップをとってやるからな!」
 ライバル意識に燃える増島に、俺は何も言えなかった。
 貼り出された成績に一喜一憂するクラスメイトに、俺は、本の少しばかりの罪悪感を持っている。本当は校内試験での好成績なんて欲しくない俺が、成績が全てという奴等から、たった一つしかない席を奪っているのだ。
 しかし、だからといってわざと手を抜くことは出来ない。彼らを見下していることになるからだ。そんなことだけは、したくなかった。
 俺は、真剣な顔で掲示板を見上げる生徒達の後ろをすり抜け、進路指導室に向かった。
 進路指導室は、職員室や事務室のある管理棟の奥にある。指導室へ行く廊下の壁には、入学大学別に昨年度の卒業生の名が貼り出されている。これは、一年間このままで置かれ、来年の三月の終わりに、今度は俺達の代の進学結果が貼り出されるのだ。
 入学したばかりの一年生は、有名大学の名の後に連なる先輩達の名前を見て、俺もいずれはここに並ぶぞと誓うのだ。
 俺はその廊下を通り抜け、進路指導室の前に立った。今、指導室の中には、出席番号が一つ前の脇坂がいるはずだ。
 進路指導。生徒達の間では、『鑑査』とも『青色申告』とも言われる。自分の志望校を教師に告げ、その適否を判断してもらうのだ。
 しかし、鷲見高校においては、教師の意見は絶対だ。まだ五月のこの時期に、教師は生徒の目標大学を提示する。生徒はそれに向かって鋭意努力し、教師は試験や模試の結果で目標大学を補正する。
 事実上生徒が希望できるのは、どの学部を選ぶのかということと、本命は国立か私立かということだけだ。
 これが、大学進学率99%を誇る鷲見高校の実体だった。
 脇坂が出てくるのと入れ替わりに、俺は進路指導室に入った。
 担任は俺の顔を見るなり、やにで真っ黄色になった歯を見せ笑った。成績表や指導簿の広げられた机の端に、吸いがらが山盛りになった灰皿があった。
「渡辺、おまえは医学部志望だったな。国立私立、両方受けられるか? まあ、おまえの成績なら、どこでも単願でいいとは思うが……。一応、目標は東大理三だな。この調子で頑張れば楽勝だ」
 五分もかからなかった。
 俺は予想通りの言葉をもらい、座っていた椅子から立ち上がった。
「ああ、ついでに言っておこう。今年度の理三志望者は、現段階ではおまえと増島だけだ。増島は、おまえには負けたくないといきまいていたからな。うかうかしていると、追い抜かれるぞ」
 担任にしてみれば、『気を抜くな』と、ハッパをかけたつもりだったのだろう。しかし、俺にとっては気の重くなる一言だった。

 中間試験が終わると、名ばかりの学園祭がある。
 あってなきがごとしの生徒会と、みんなそろって傍観者になりきる生徒のおかげで、活気というものがまるっきりない。クラスの出し物はない。運動部はシカトする。わずかに活動している文化部が、細々と展示や即売をしているため、何とか学祭の体裁を整えているというありさまだ。
 ほとんどの生徒が帰宅部という現状を考えれば、仕方のないことだろう。
 だから、一週間後に桜花祭に行ったとき、俺はその賑やかさに改めて驚いた。
 特に漫研の展示即売会場は、大勢の小学生が駆け回っている。
 漫研では、会誌の即売とイラストやセル画の展示、そしてイラストの注文販売をしていた。小学生のお目当てはその注文イラストで、アニメーションや少年漫画のキャラクターを描けとわめきまくる。ずらりと並んだ部員達は、子供相手に疲れた顔をしながらも、てきぱきと注文をさばいてゆく。
「祐一郎!」
 俺に気がついた久美が、ペンを持った右手を上げた。
「少し待ってて。これ、描き終わったら抜けるから」
 俺は片手を振ってそれに応えてから、会誌を買い、そばにあった椅子に腰掛けた。オフセット印刷のきちんと製本された分厚い会誌は、桜花校漫研の実力を示している。
 表紙は久美のイラストだ。猫のような瞳の少女が、平面の絵のなかから俺を見つめていた。
 久美の絵には、何とも言えない魅力がある。見る者に何かを伝える力がある。それは久美の絵それ自体の力であり、久美自身の内なる力でもあると、俺は思う。
「あたしね、絶対漫画家になる」
『お茶しま専科』出会うようになってからしばらくたったある日、久美はそう言った。
「中学の時に、完成原稿を特別教室に忘れたことがあったの。それを届けてくれた、全然知らない後輩が言ったのよ。『ごめんなさい、中身を見ました』って。
 恥ずかしかった。だって、それまで本当に親しい友達にしか見せたことなかったんだもん。恥ずかしくって、彼女の顔、まともに見れなかった。
 けれどね。彼女、言ったの
『とても面白かったです。ファンになっちゃいました。新しく作品を描いたら、また見せてください』
 ────うれしかったあ。
 漫画を描くのは楽しかったの。でもそれは、自分だけの楽しみだった。友達には見せてたけど……けれどまさか、赤の他人が、自分の描いたものを面白いって言ってくれるなんて、思っても見なかった。すごく、うれしかった。
 その時、思ったの。もっとたくさんの人が、あたしの作品を読んでくれたらいい。もっと多くの人に、あたしの描いたものを読んでもらいたい。あたしの作品を楽しみにしてくれる彼女のように、『面白い』って言ってくれる人が、もっとできればいいって。
 そのためには、プロになるのが一番でしょう?」
 そう言って久美は、ふと、苦笑した。
「まあ、そう甘くないってことは分かってるのよ。『面白い』だけじゃだめだってこともわかった。少しの妥協もできないのも知ってる。
 けれどね、あたし、漫画家になるためなら、どんな努力もする。
 絶対……絶対に、漫画家になってみせるからね」
 上目使いに俺を見つめた、その時の久美の瞳。その輝き。
 久美のパワーを感じたのはそれが始めてだった。
 久美には、パワーがある。
 それは、他でもない。自分のしたいことを、やり遂げるための力だ。意志の力だ。
 作品を見れば、それが分かる。一片の妥協もない。バックのカケアミ一つにしても、手を抜いていない。常に自分の実力ぎりぎりのラインを、徹底的に追及している。それが、人の目を引き付ける。
 久美なら、いつかきっとプロになる。久美なら、きっとやり遂げる。それだけのパワーがある。
 俺にはそれが、少しばかりうらやましかった。
「おまたせ」
 顔を上げると、久美が笑っていた。
「ファッションショーは、一時半からよ。早く講堂に行こう」
 俺は会誌を閉じて立ち上がった。

(3)へつづく


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