ブスの美学
─マリコさんの場合─

橋宗 優里

第9話

「ありがとうございました〜」
 11人目、最後の新入部員の森川玲子が進路指導室から出て行く。
「これで、全員終わりましたよね?」
 やっぱり絵を描くことには慣れないらしい安原が、しきりに右肩を回しながらほっとしたように言う。
「そうだよ。じゃあ、私達も片付けて美術室へ行こうか」
 私は、鉛筆の削り屑を下敷きにしていたティッシュごと丸めて立ち上がった。
『自己紹介オリエンテーリング』の最後には、美術室での順位発表と賞品授与があるので、新入生も上級生も、もう一度美術室に集合することになっているのだ。
 美術室の中には、もう、6人の上級生と4人の新入部員がいた。
 ドアを開けて入ってきた私達に、口々に「お疲れさま」と声をかけてくれる。
「マリコさん、マリコさん」
 2年生の高木が黒板の前から私を呼んだ。
「ゴールした一年生のチェックポイント・マップは、もう回収してありますよ」
「サンキュー、高木。気が利くねえ」
 私は高木から4枚の紙を受け取った。
 新入部員に渡した地図には、各チェックポイントを通過した順番と時間が、上級生の手によって記載されている。このマップで最後の11番目のチェックポイントを通過した時間を調べれば、誰が一番最初に全てのチェックポイントをクリアしたかが簡単にわかる仕組なのだ。
「今の所、宮脇がトップですよ」
「美術室から一番遠い裏山の神社で、宮脇よりも早くクリアしてる人がいるかもしれないから、まだ、断定はできないんだけどね」
 私が言うと、高木は何故か「あっ」と、何か言いたげに口を開けた。
「何……?」
「いや、さっき、宮脇に変なコト、聞かれて……」
「変なコトって?」
「『裏山の神社にいた瀬戸さんと美姫さんって、仲が悪いんですか?』って。なんか、凄く雰囲気が変だったみたいですよ」
 ははあ。
 美姫ってば、てっきり安原と一緒にいられると思って期待していたのに急にダメになったんで、不機嫌だったんだな。
「あんな、暗いトコじゃ、雰囲気も悪くなるんじゃないかな? 美姫って、ホラ、あれで結構、怖がりだから」
「ああ、そうですね」
 私が適当にしたフォローに、高木が納得したように笑った。
 そうこうしているうちに、三々五々と部員達が帰ってくる。迎える「お疲れさま」の声も忙しい。
 結局、一番最後に美術室に入ってきたのは、一番遠くの裏山の神社にいた美姫と瀬戸だった。
 皆が投げかける労いの言葉に、美姫は「ただいま」と笑顔で応えているけど……
 うわっ〜。美姫、ホントに不機嫌だあ。外交用に浮かべた作り笑いから、時折、駄々っ子のスネた表情がはみだしてくる。
「オレ達が、最後でいいのか?」
 マップをめくって順位チェックをしていた私の所に、まっすぐにやって来て瀬戸が聞いた。
イラスト1
 あれ? 確かに、瀬戸もいつもと雰囲気が違うなあ。
「うん。順位チェックも終わったよ。はい、これ、順位表」
「サンキュ……ところで、マリコ」
 私が手渡す表を受け取りながら、瀬戸は真顔で言った。
「いつの間にお前、美姫と担当場所を交換したんだよ?」
「『いつの間』って、担当チェックポイントを決めた直後だよ。ちゃんと、皆に配った分担表にも、変更済みの場所を書いておいたはずだけど」
 私の言葉に、瀬戸が「ああ」と大口を開ける。
「そおいや、そういうモンがあったなあ。オレ、ロクに読んで無かったから気が付かなかったぜ」
「あんたらしいわ」
 呆れて言う私に、瀬戸は笑った。
「んじゃまあ、表彰式でもはじめますか」
 そう言った瀬戸は、いつも通りの瀬戸だった。

「本年度、『自己紹介オリエンテーリング大会』優勝者は、宮脇健太郎君です。ほい、皆の者、拍手〜〜」
 瀬戸に片手でうながされ、皆が拍手する中、照れ笑いを浮かべながら宮脇が教壇まで進み出る。
「優勝者には賞品として、『美術部員モデル依頼権』が与えられます。ほら、これ、目録」
「へ?」
 仰々しく紙につつまれた目録をうけとりながら、宮脇がまの抜けた顔で瀬戸を見返す。
「つまりだな、上級生・同級生・今年中に権利を使わなかったら来年・さ来年に入部する下級生まで含んだ全ての美術部員のうちの誰か一人に、一日限定でデッサンモデルを依頼することができる権利なんだよ。もちろん、ヌード不可だぞ」
「そんなのもらっても、何の役にも立たないじゃないですか!」
 瀬戸の説明に、不満気に宮脇が言う。
「そんなこたあ、ないぞ。なあ、渡辺?」
 瀬戸が、私達が一年の時の優勝者である渡辺に声をかけた。
「え? ……まあ、なあ」
 急にふられた話題に困ったように口ごもりながら、渡辺は隣に座っている恵美に目をやる。
「あら? 役に立たなかったの?」
 少し意地の悪い恵美の言葉に、上級生達がどっと笑う。渡辺がこの権利を利用してモデルを依頼したことがきっかけで恵美と交際することになったというのは、新入部員以外には周知の事実なのだ。
「というわけで、立派に役立つので、相手とタイミングを慎重に選んで、有効に利用するように」
 まだ釈然としない表情の宮脇を席へと追い立て、瀬戸は「さて」と胸を張った。
「新入部員の皆さんは、今日、このわずかな時間で、学校中を駆け回りながら上級生全員のクロッキーを描き、さぞや疲れたことでしょう。でも、今日、皆さんが描いたクロッキーは、確実に皆さんの表現力の向上に役立つことでしょうし、皆さんが上級生に描いてもらったクロッキーは、ただの品物よりもずっと素晴しい入部の記念品となるでしょう。そのクロッキーこそが、我々上級生からの本当の入部祝いです。どうぞ、受け取って下さい」
 新入部員達はそれぞれ、自分のスケッチブックを手にちょっと照れくさそうな顔で笑っていた。
 この笑顔がこの後、瀬戸から『美術部員は、自分で部員全員を描いたスケッチブックと、部員全員に自分を描いてもらったスケッチブックを持たなくてはならない』という美術部のルールを言われ、実は、今日描いた以上の量のクロッキーを向こう1ヶ月で描かなければいけないと説明されて引きつるのだということも知らないで。

『自己紹介オリエンテーリング大会』の後には、美術室にジュースとお菓子を持ち込んで、簡単な懇親会が開かれる。
 向こう一ヶ月間、美術室で公開されることになっている上級生が描いた方のスケッチブックをネタに、あちこちで歓談の輪ができていた。
 同じ一人の新入部員を別々の上級生がそれぞれのタッチで描いたクロッキー集は、絵を描く人間にとっては見ているだけでも勉強になるものだ。美術部の入部祝いとして、これ以上ふさわしいものもないだろう。
「まったく、せっかくのチャンスだったのに……」
 他の部員達の輪から少し外れた私の隣で、美姫がため息をついた。
「不機嫌になる気持ちもわかるけど、『部長と会計は仲が悪い。雰囲気の悪い部活だ』なんて新入部員の誤解を招くのも良くないと思う」
「あ、そうだよね。瀬戸もなんかいつもと様子が違って無口だったし、アタシもがっかりして黙りこんじゃってたし、あれじゃあ、新入部員が誤解するのも無理ないよね。これからは気をつけなくちゃ」
 自分の頭を軽く拳骨でこづきながら、美姫は苦笑した。
「瀬戸の様子が違ってた?」
 私は、さっき美術室に帰って来た時の瀬戸の表情を思い出した。少し怒ったような、顔。
「うん。私が神社に行こうとしたら、『マリコが担当だろ?』って文句つけて、『担当交代したの』って言ったら、ぷいってむこうむいてずんずん進んで行ってさ。私と同じ方向に行くから、『どこ行くの? 裏山の神社は、アタシと安原が担当でしょ?』って聞いたら、『オレも安原と交代したんだ』って。ホント、余計なことしてくれたわよ」
 まだ不満そうに唇をとがらせながら、美姫が言った。
 それから、不意にその唇を小さな笑みの形に変化させる。
「でもね、安原が交代して組んだ相手がマリコだったのは、ラッキーだったと思うの」
「なんで?」
「だって、アタシの気持ちを知ってるマリコなら、安原とどんな話しをしたのか、根掘り葉掘り聞けるもの。ねえ、ねえ、教えてよ」
 小さい子供みたいに話をせがむ美姫は妙に憎めなくって、しょうがないなあって思ってしまう。
「最初、絵を描くのはやっぱり苦手だって話で、でも、見るのは嫌いじゃないって、写真とは違うけど、やっぱり勉強になるって」
「絵に興味がないわけじゃないのね。好きな画家とか、写真家とかの話、した?」
「それはしなかったなあ。その後、私の弟の話になって、安原は一人っ子で『兄弟がいるのがうらやましい』なんて話をしたよ」
「ふうん、安原って一人っ子なんだ〜〜。他には?」
 私が安原と交した会話の中から新しい発見をする度に、大きな瞳を輝かせながらながら、嬉しそうに続きをせっつく。そんな美姫は、本当にかわいくて、いじらしくて、素直で。
 私は、うらやましいという気持ちと、よおし、応援してやろうって気持ちを同時に感じてしまうのだ。



 その時、私は自分の部屋でこの何日か、かかりっきりになっていたイラストの仕上げをしていた。
 白いボードに、くっきりとした黒の線で描かれた女性の横顔。半開きの目は遥か遠くを見つめているようで、描線と同じ黒い髪と肩の開いた黒いドレスが、背景の白と影絵のようなコントラストを成している。
 墨汁で描いた黒いドレスの塗ムラをなくすための重ね塗りを終え、私はほっと一息ついた。
 目を上げると、自分が今まで描いてきたイラスト達が目に入る。自分の部屋の壁の殆どを埋め尽くす私の作品達は、私がN高に入学した頃から描き溜めたものだ。
 それらと今まで描いていたイラストを見比べ、私は唇の端を持ち上げた。
 ん。ここまでは、今までで一番良いデキだ。ほら、この顎から首筋へのラインなんて、絶妙じゃない。
 でへへとだらしなく笑いながら、自画自賛してしまう。
「じゃ、ま、最後の仕上げをしますか」
 私は面相筆を手にした。
 極細の筆に含ませたカラーインクの色はワインレッド。これでイラストの中の女性の唇に紅を引けば、この絵は完成だ。
 描きたいラインの向きに合わせてボードを斜めにし、ぐっと息を止めて、上唇の輪郭のラインを、ゆっくり、でも淀みのない動きで一気に描く。
 こういう微妙な線は一発勝負で入れる。失敗したからと手を加えれば加えるほど、不自然なラインになってしまうためだ。
 納得できるラインに一人頷いて、一度止めていた息を吐き出す。
 ボードを回し、ラインを描きやすい向きに調整する。呼吸を整え、理想のラインを目の前のボードの上にイメージする。厚すぎず、薄すぎず、ふくらみはあるけどシャープな、描き終わりの口の端にわずかに微笑みを感じさせる、下唇のライン。
 もう一度息を殺して筆を動かし、私は頭の中の理想のラインをそのままボード上に再現した。よし、OK。
 大きく息を吐き出し、私はインクを含んだ筆を手に持ったまま、顔を上げた。
 その時だ。
「ねえちゃん、和英貸して〜〜」
 考史の大声と一緒に、突然に部屋のドアが開いた。
 一発勝負の緊張から解放されてほっとした瞬間だったから、余計に驚いてしまった私は、反射的に体をひねってドアの方を向いた。その拍子に、右手が動いて……
 右手から伝わったイヤな感触にばっと視線をボードに戻した私は、思わず声にならない悲鳴を上げた。
「……っ!!」
 真っ白な背景に、まるでアンケートに書き込むチェックのようなワインレッドの小さなVの字が、張り付いていた。
「ねえちゃん、和英どこ?」
 声もなく凍り付いた私に気付かず、考史は辞書類をまとめて入れている机の横のカラーボックスを勝手に漁りだす。
 私はそんな考史の耳をつかんで引き起こした。考史の手から見つけたばかりの和英辞典が落ちる。
「あたたたたた!!」と口走る考史の目の前に、一瞬前まで自己最高の傑作だったイラストを突きつける。
「ノックしろって、何度言えばわかるの! この耳は飾り?! あんたが驚かせてくれたおかげで、コレよ、コレ! どうしてくれんのよ!!」
「ごめん! ねえちゃん、ごめんってば!」
 小さい頃に散々繰り返した姉弟喧嘩で、その度に2歳の年の差に敗北してきた考史は、本気で怒った私には決して抵抗できない。
「最高のデキだったのに! 描き直したって、同じレベルの作品はきっと描けない。取り返しがつかないって、わかってんの?!」
「で、でも、人物に重なってるわけじゃないんだから、誤魔化せるんじゃねえの?」
「誤魔化す?」
 私は考史の耳を引っぱっていた手を離し、改めてボードを見た。
 あまりにそれまでの作業が思い通りに進んでいたため、私はつい、理想の完成形にこだわってしまっていた。そう、この背景のシミ以外がダメになったわけじゃないんだから、どうにかコレを誤魔化せば……
「じゃ、和英、借りてくな」
「あ、コラ、まだ……」
 耳を離されたが幸いとばかりに、さっと和英辞典を拾い上げ、考史は脱兎のごとく私の部屋から逃げ出した。
 本当はもうちょっと怒鳴ってやりたかったけど、まあ、いいか。
 私はボードを見つめながら、いくつかのシミュレーションを始めた。

 吸水の良いボードだから、削って誤魔化すこともできない。インクが乾いてからアクリル絵の具の白で塗りつぶすのは、背景の滑らかさが損なわれるから無理。墨汁で塗りつぶすせばシミの色はカバーできるだろうけど、背景に黒を配置するのは全体のバランスが悪くなるから駄目。やっぱり、ワインレッドを使って誤魔化すのが一番だ。
 このシミを隠すように、ワインレッドで何かを描こうか? バラの花とか? 全体に無機質なイメージでいきたいから、それも不可だ。
 無機質なイメージの背景なら、幾何学模様を描くってのはどうだろう? でも、このイラストのテーマが白と黒のくっきりとしたコントラストで女性を描くことだから、それと同等以上のコントラストを感じさせるような背景は駄目、変にごちゃついた背景も駄目、もちろん、背景全体をワインレッドで塗りつぶすのも駄目。だったら、ぼかすような感じのグラデーションなら……
 そう、このシミ、画面の角に近いから、この隅からこうぼかせば。うん、いい感じだと思う。
 でも、ちょっと待った、どうやってぼかすわけ?
 水でぼかすのはちょっとイメージじゃない。タンポを使ったぼかしは、なおさら違うし。
「エアブラシでもあれば良かったんだけど……」
 つぶやいてから、はたと気付いた。
 エアブラシと言えば、一昨年卒業の美術部の先輩達が寄附してくれたのが、美術準備室にあるじゃない。部員は後始末さえきちんとすれば、いつでも使っていいことになってるんだから、それを使えば、今考えた通りのイメージに仕上げられる。
 でも。
 エアブラシを使ってこのイラストを仕上げるためには、このボードを美術室に持っていかなくちゃ、いけないんだよね。
 私は顔を上げ、壁に張られた自分のイラスト達を眺めた。
 私は、このイラスト達を部屋から持ち出したことがない。私がこういうイラストを描いているということを知っているのは、この部屋に立ち入る家族だけ。美姫だって、家に遊びに来たことなんてないから見たことないし、そもそもこういうイラストを描いてるなんて話をしたこともないから、知りようもない。
 自分一人で自分一人のためだけにイラストを描くことは、私にとっては秘密の楽しみなのだ。
 その秘密をこの部屋から持ち出して学校に持って行くことは、ものすごく抵抗があることなのだけど。
 けど、この絶妙なラインをもう一度描く自信も、かといってこのボードに描かれた全てをなかったことにする思い切りの良さも持てない私には、選択の余地なんかなかった。
 私はため息をついて画材ばさみを出し、間に挟んであったマスキングシートを手に取った。

第10話へつづく


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