ブスの美学
─マリコさんの場合─

橋宗 優里

第8話

「アタシ、安原が好きなの」

 それは、本当に突然な美姫の告白だったけれど、決して意外ではなかった。逆に、美姫の言葉に驚かない自分自身に、私は驚きを感じていた。
「だから、担当場所、代わってもらいたいんだけど……」
 美姫は、火照る頬を両手で隠すようにしながら上目使いに私を見ていた。手の横から見える耳まで、まっかに染まっている。
 あ〜〜。こんなに照れられると、見ているこっちまで照れ臭くなる。
「へえ〜〜、そうだったんだ〜〜」
 そういう声がつい大きくなってしまった。
「ひと気のない裏山の神社で二人きり……この機会に告白しちゃおうってことなんだ?」
「やだ、そんなんじゃないわよ!」
 美姫が慌てて両手を振る。
「え? 違うの?」
「ただ、一緒にいて話とかできたらいいな〜〜ってだけなの」
「なんだ〜〜」
 私はため息をついた。
「さっさと告白しちゃえばいいのに。美姫が相手なら、きっと安原だってOKすると思うんだけどな」
「いいの。まだ我慢できるんだから」
「ガマン?」
 オウム返しの私の言葉に、美姫は自分の胸元に片手を当てた。
イラスト1
「すごく感動したりさ、良い作品を見たりすると、ココの所になにか塊ができるよね? 熱いような、せつないような、苦しいような、泣きたいような、そんな気持ちになるモト。
 安原のコトを考えると、アタシのココに似たような塊ができるの。
 最初は小さかったのよ。でも、毎日少しずつ大きくなってきてて、大きくなればなるほどせつない気持ちも大きくなってく。これって……クサイ言い方だけどさ、この塊って、『恋心』だと思うの。好きになればなるほど、どんどん大きくなって、どんどんせつなくつらくなるモノ。
 確かに、告白したら、言葉で相手にこの気持ちを伝えたら、この塊を口から出してしまえたら、きっと今よりは楽になると思う。それはわかってるのよ?
 けれど、今は我慢できるの。
 作品を描くときに似てるよね。モチーフを練って、練って、描きたい気持ちが一杯になった時に描いた作品と、とりあえず描き始めてみたらできた作品って、やっぱり違うでしょ?
 我慢できるってことは、まだ、『どうしても我慢できないほど好き』な『恋心』まで育っていないってことだよね? まだ、『伝えなくても平気な程度の好き』な『恋心』だってことだよね?
 だからアタシ、今は安原に告白しないの。
 本当に好きで好きでたまらなくなった時、この塊がどうしても押えられないほどに大きくなった時こそ、本当にその気持ちを伝えることができる言葉が生まれると思うから」
 そう言うと、美姫は顔を上げた。
「告白するだけの勇気がないってのもあるけど、そんな弱気さえぶっとばしちゃうくらい、どうにもならないくらい好きになれたらいいなって、今は思ってる」
 それはもう真摯という言葉がふさわしいくらいの真剣な美姫の瞳が、私を見つめた。
 かなわないな。
 そう思う。

 美姫は、かわいい。
 外見はもちろん綺麗だけど、この場合の「かわいい」は、小さい顔の中に「かわいい」にふさわしい顔のパーツが「かわいい」にふさわしいバランスで並んでいたり、「かわいい」にふさわしい体が「かわいい」にふさわしいポーズをとったりすることとは違う。
 子供っぽい性格を、庇護欲をかきたてるという意味で「かわいい」というのとも違う。
 もっと複雑で、もっと単純な感情。
 うらやましくなるくらいにまっすぐで、うらやましくなるくらいに自分に正直で。同性同士の場合うらやましいって感覚はともすれば妬みにつながってしまうのに、そんなことを全部突き抜けて、素直に「かわいい」と感じさせる魅力が美姫にはあるのだ。
 美しさへの努力は惜しまないけど、決して自分を虚飾で彩ろうとはしない潔ささえ、うらやましくて「かわいい」。
 美姫は、自分の外見にまず魅かれる男を嫌がる。外見が第一印象としてまず脳味噌に記録されてしまう日常生活の出会いでは、美姫の外見の印象に惑わされない男なんて、ほとんどいないだろう。
 でも、もしも外見を知る前に美姫と「出会う」ことができたなら……間違いなくどんな男だって、美姫の内面の魅力に気付くだろう。
 そして、美姫をまるで美人と思っていないかのような安原も、それだけにきっと……

「ねえ、マリコ、お願い!」
 黙りこくってしまった私の思考を中断させる、美姫の声。
 真剣を通り越して不安気な表情の美姫に、私はつい口の端を笑いに歪めてしまった。
 ああ、もう。そんな顔を見せられたら、断わることなんてできないじゃない。
 それどころか、自分のできることならなんでもして、応援してやりたいって気分になってしまう。
「わかった。かわってあげよう」
 私の言葉に、美姫の顔がぱっと輝く。
「ありがとう、マリコ!」
 美姫はそう言うと、本当に嬉しそうに笑った。

 突然、ガラリと大きな音をたて、私達のいた教室の引き戸が開いた。
「きゃっ!」
 美姫がひどく驚きながら振り向く。
「なんだあ? お邪魔だったのか?」
 美姫の反応に鼻白んだのは瀬戸だった。
「あ、そんなことない、ない」
 慌てて美姫が否定する。
「そんなことより、どこへ行ってたの? てっきりここから見物してるもんだと思ってたのよ?」
「ああ、屋上だよ。安原がソコから撮影するって聞いてたからな」
「え?」
 美姫の表情が変わる。
 ああもう、こんなにわかりやすいのに、なんで私は今まで気がつかなかったんだろう?
「じゃあ、今から上に行って続きを見ようかな〜」
 美姫のために私はそう言いながら立ち上がったのだけど。
「何言ってんだよ。もう、歌唱指導、終わったぞ」
 瀬戸に言われて私達は初めて、スタンドの一年生達が校舎の方へすでに移動し始めていることに気付いた。グラウンドにざわめきながら降りてくる紺色の制服の波からは、緊張から解放された安堵感が漂ってくる。
「あ、あれ? 気がつかなかった」
 慌てて誤魔化す私の横で、美姫がため息をついた。
 ホント、わかりやすいなあ。
「ところで、他の皆は?」
「さあ?」
 気をとりなおしたような美姫の問いかけに、瀬戸は肩をすくめた。
「オレは歌唱指導の最後の校歌が終わった所で、すぐに美術室へ行ったから……まったく、てっきり美術室にいるもんだと思ってたのに。探したぞ」
「え? 何か用?」
「用って、用があるのはマリコの方なんだろ?」
「へ?」
「美術室を出る時に、何か言いかけたろう? 『あと』になったから、聞きに来たんだぞ」
 ぷっ。
 美姫が吹き出す。
 私もつい口元が緩んでしまう。
「何だよ?」
「瀬戸ってさ、妙に律儀なんだね」
「うるせえや。用がないならオレは帰るぞ!」
「あ、待った、待った。用、あるよ」
 私は慌てて瀬戸を引き止めた。



『自己紹介オリエンテーリング大会』の当日は、朝から晴れだった。
「……以上で、本日の部会の内容は終わりです」
 5月第一週の土曜日は、新入部員も上級生も一緒のいつも通りの部会から始まる。
「今日の部会の最後に、部長からの挨拶があります」
 私の言葉に、瀬戸が立ち上がる。
「さて、5月になって今まで仮入部扱いだった新入部員の皆さんも本入部となりました。そこで、上級生一同から皆さんへ、入部のお祝いを用意したので受け取って下さい」
 橋本と船木が重そうな段ボールを美術準備室から運んでくる。
「スケッチブック4冊と、デッサン用の2Bの鉛筆1ダース、鉛筆を削るためのカッターと、カッターで怪我をしたときのためのバンドエイドです」
 最後の一品で、11人の一年生達がどっと笑う。
 美姫と千鶴が、スケッチブックとあらかじめ一人分ずつクラフト封筒にまとめておいたそれ以外の品物を、一年生一人一人に手渡して行く。
「こんなに、もらっちゃっていいんですか?」
 一年生の女の子、玲子が心配気に美姫に言う。
「いいのいいの、気にしないで。どうせ部費でまかなってるし」
 美姫が笑うと、彼女は安心したように「ありがとうございます」と言ってスケッチブックを受け取った。
「でも、こんなにスケッチブックをもらったら、当分スケッチブック、買わなくていいですね」
 一年生の中で一番背が高くて一番目立つ男子、宮脇健太郎が言う。
 上級生がそれぞれに近くの人と顔を見合わせ笑い合う。
 甘いよ、宮脇君。そのスケッチブック、今日一日で一杯になるんだよ。
 皆、そう思っているのだけど、口に出さないのはお約束だ。
「じゃあ、せっかく鉛筆とカッターがあるんだから、デッサン用の鉛筆の削り方のレクチャーをしようか」
 私は、できるだけ自然に、そう切り出した。
「上級生、近くの一年に削り方教えてやれよ〜〜」
 瀬戸が言う。
 一年生を中心にいくつかの輪ができる。一年生に削り方を教えてやりながら、上級生が1ダース分の鉛筆を自分達で用意したカッターでよってたかってデッサン用に削り上げる。
「削り方教えた〜〜?」
 この言葉は、実は上級生に対する、「鉛筆1ダース、全部削れたか?」という質問だ。11人の一年生全員に配られた鉛筆全てが削られたことを確認する。
「せっかく削ったんだから、ついでに人物クロッキーでも練習しようか」
 私は予定通りに話をすすめた。
「クロッキーというのは、短時間でするスケッチです。じゃ、一年生、二人ずつ向かい合って、お互いをモデルにして……あ、今年の1年は11人で、2で割り切れないんだっけ。じゃ、そこ3人で三つ巴でやってね。そう、君が彼女を描いて、あなたが彼女を描いて、あなたが彼を描いて……そうそう」
 がたがたと椅子を動かし、一年生がスケッチブックを手に向かい合う。
「それでは、今から時間を計ってクロッキーをします。時間は2分」
 予想通り、時間の短さに驚いた一年生達の声が上がる。
 用意しておいたデジタルキッチンタイマーを2分間にセットしながら、私は笑ってやった。
「まあ、試しにやってごらんなさいって。はい、用意……始め!」
 始めの声がかかってもおろおろと描き始めない数人の一年生がいたが、上級生達が「ほら、さっさと描きはじめないと時間がなくなるぞ〜〜」とけしかけると、慌てて鉛筆を走らせ始めた。
 一年生が慣れないクロッキーに息まで殺して集中している間に、上級生達はそっと美術室を出て行く。今のうちに担当チェックポイントへ移動し、待機するわけだ。
 美姫が美術室の出口の所で軽く私に手を振った。私もウインクしながら美姫に手を振る。「がんばって、安原とよろしくやんなさい」って応援の気持ちをこめたつもりだけど、伝わったかな?
 やがて、キッチンタイマーの電子音が静かな美術室に響き渡る。同時に一年生達のため息。
「先輩、2分じゃ全部描けませんよ〜〜」
 不満気に声を上げる一年生もいる。
「クロッキーってのは、『到底全てを細かく描き切れない時間の中で、いかに描くか』というのを自分で見つけるための訓練なんだよ。数をこなす間に自分のやりかたで自然とその方法を身につける。その中で個性も出てくるので、今、全部描けたか描けなかったか、今、上手か下手かというのは問題じゃないわけ。だから、全部描けなかったことは気にしなくていいんだよ」
「あれ? 他の先輩方は……?」
 お、目敏い新入部員がいると思ったら、宮脇だ。
 ふふふ。これから、君達の苦労がはじまるのよ。
「さて、新入部員諸君」
 私はちょっともったいつけた言い方でそう言った。
「これから、君達に自己紹介をしてもらいます。まずは、これを一人一枚ずつ受け取って下さい」
 校舎の平面図と学校敷地の見取図に11箇所のチェックポイントを記入したマップが、一年生全員に回される。
「『自己紹介オリエンテーリング大会マップ』?」
「このマップに記入された各チェックポイントに、上級生が2人ずつ配置されています。新入部員の皆さんは、各チェックポイントを回って、全上級生を相手にクロッキーの描きあいをしてきてください。それが我が美術部の『自己紹介』です」
「え〜〜??」
「全チェックポイントを回ったら、最後の上級生にその旨を伝えて終了時間を記入してもらって下さい。ちなみに、最短時間で上級生全員のクロッキーを集めた人には賞品が出ます」
 賞品の一言に、おおおっと、一年生がどよめく。
「チェックポイントをどの順番で回るかは各自自由に決めて構いません。遠くから攻めるも近くから攻めるも、混んでいるチェックポイントを後回しにするも自由。コースの選び方によってかかる時間も変わりますから、賞品ゲットを狙う人は工夫したほうがいいかもしれません。ただし、私もチェックポイントに移動しなくてはならないので、私の分担箇所である進路指導室は最初のチェックポイントには選ばないで下さい。それ以外の細かいことは、最初に行ったチェックポイントで、上級生が説明しますので、それに従って下さい」
「先輩、賞品ってなんですか?」
 中川が手を上げて質問をする。
「それは後のお楽しみ。さ、スケッチブック4冊と、鉛筆1ダースと、カッターと、バンドエイドを持って。忘れたら、美術室まで取りに来なくちゃならないよ」
 私の言葉に、がさがさと新入部員達が支度を整える。全員の準備ができたことを確認して、私は腕時計に目を落とした。
「それでは、新入部員諸君の健闘を祈ります。現在の時刻は2時6分。用意……スタート!」
 スタートの声とともに新入部員の男子全員がダッシュしていった。女子も、きゃっきゃと笑いあいながら美術室から駆け出して行く。
 う〜ん。今年も、ノリの良い新入部員が集まったな。
 そんなことを考えると、つい、口元が緩む。
 おっと、余裕かましてるヒマはないんだっけ。私も早くチェックポイントに移動しなくちゃ。
 私は慌てて自分の鉛筆とカッターを手に、美術室を出た。



 進路指導室のドアを開けると、意外な人物が私を迎えた。
「マリコさん、無事、新入生はスタートしましたか?」
 進路指導室の、模試や予備校のパンフの置いてある机の向こうの椅子で、安原が笑っていた。
「あ、あれ? 安原〜〜?」
 私は思わず大声を上げてしまった。
「ここって、瀬戸の担当だったよねえ? 瀬戸はどこへ行ったのよ?」
「今朝、急に瀬戸さんに代わってくれって言われて、代わったんです」
「なんで?」
「なんだか、どうしても進路指導室に行きたくないって言ってました」
 瀬戸はあんな奴だけど妙に成績が良くて、そのくせに美大専願を表明している。そのせいで先生になんやかやとうるさく言われているらしいから、進路指導室の敷居が高いというのは、わからないわけじゃない。
 でもねえ、せっかく美姫と私が代わったのに、これじゃあ意味ないじゃない。
 どうしよう? ダッシュで裏山の神社まで行って美姫と交代する? 
 でも、もう、『自己紹介オリエンテーション』は始まってる。交代しようと留守にしている間に一年生が来たら、安原にも一年生にも迷惑をかけることになる。
「マリコさん?」
 安原が怪訝そうに私を見上げる。
「瀬戸さんに、用でもあったんですか?」
「ううん。ただ、チェックポイント分担表を配布した後での変更だったから、ちょっと驚いただけ」
 私は安原の隣の椅子に腰掛ける。
 ま、いいか。
 美姫には悪いけど、今となってはしょうがないもんね。
 廊下からバタバタとあわただしい足音が聞こえてくる。
「失礼します!」
 勢い良く引き戸を開けて、一人目の新入部員が入ってくる。
「石坂信司です、よろしくお願いします」
「まずは、マリコさんからどうぞ」
 安原が自分の腕時計を外しながら言う。私は石坂の差し出すスケッチブックを受け取って新しいページを開いた。自分の鉛筆でページの隅に自分の名前を書き込み、石坂に示す。
「私は田崎真理子、ご存じの通り、美術部副部長をしています。よろしく」
 石坂は、「た、ざき、ま〜、り〜、こ」と口に出しながら自分のスケッチブックのページの隅に、私の名前を書き写した。
「では、時間は2分間です」
 安原が石坂の準備ができたことを確認してからそう宣言した。
「用意……始め!」

第9話へつづく


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