ブスの美学
─マリコさんの場合─

橋宗 優里

第7話

 入学式から数えて2回目の水曜日から、「歌唱指導」と呼ばれる新入生の地獄が始まる。
 放課後、硬派の応援団の指導で校歌、第一応援歌、第二応援歌、寮歌を歌わされ、いくつかあるエールの練習をするのだが、そのやり方が旧制高校時代から殆ど変わっていないスパルタ式なのだ。
「やってる、やってる」
 第二校舎の美術室にいても、第一校舎の1階の教室で歌っている新入生達の歌声が聞こえてくる。各教室でそれぞれに練習をしているため、いろんな歌がいろんなタイミングで歌われているのに、全部あわせるとまるでそれ自体が一つのハーモニーの様に響いてくる。
 窓を開け、それに耳を傾けながら美姫が言った。
「キツイのが寮歌なんだよね」
「そうなんですよね、コレがつらいんですよね」
 安原が、寮歌の手拍子をやって見せながら笑う。
 N高では応援団の主導でする拍手は、脇と二の腕の角度、肘の角度、伸ばした手と親指の角度をそれぞれ直角に保ち、額の高さですることになっている。
 寮歌の手拍子は、その拍手を歌に合わせて踵を上げる背伸びをしながら繰り返すというものだ。六番まである寮歌の最初から最後まで繰り返されるそれは、1回2回ならどうってことない動作だけど、ひっきりなしに何分も続けるのは、無茶苦茶辛い。少しでも遅れたり腕が下がったりすれば、即座に応援団員の罵声が飛ぶ。毎年、この時期この時間帯の保健室は、具合が悪くなった新入生で盛況だ。
 ある意味では、不条理なシゴキに近いものなのだが、このN高に入学した人間が誰でも潜る試練の門は、世代を超えてN高生を繋ぐものでもある。
「去年、野球部が夏の大会で地区の決勝まで進んだとき、安原は応援に行った?」
「そりゃまあ、写真部ですから、せっかくの良いモチーフは逃しませんよ。マリコさんは、行きましたか?」
「あ、うん」
 振り向く安原に、私はうなずいた。
「あの時、在校生以外にも大勢スタンドに入ってたけど、『N高OBってエールの拍手の仕方でわかる』って、マリコが教えてくれたんだよね」
「僕も、ファインダーを覗いていて気がつきました。OBはみんな、拍手、キマってますからね」
「安原も気付いたの? じゃ、もしかしてアタシだけ気がつかなかったのかな?」
 ちょっと不満気に美姫が言うのを見ながら、安原は笑った。
 この所、こういう構図が多いな。
 ふと、そんなことを考える。
イラスト1
 早朝は、新入生歓迎作品展の展示物をチェックする私を手伝ってくれる美姫と、展示物の撮影をしに来ている安原。放課後は、私と一緒に美術室で新入生待ちをしている美姫と、ほんの少しの時間だけど毎日美術室に顔を出す安原。
 一日に二回は、私の視界というキャンバスに、美姫と安原が一緒におさまるのだ。
「え〜〜、しょうがないのはわかるけど、ちょっとマズイかな?」
 美姫の声が、私の思考を中断させる。
「そうなんですか? マリコさん」
「あ……え?」
 安原から突然に話題をふられ、私は聞き返してしまった。
「なんだ、聞いてなかったの?」
「うん。ぼ〜っとしてた。……で、安原、なんだっけ?」
「歌唱指導の最終日……今週の土曜日は、晴れたらグラウンドのスタンドに1年生全部整列させてやりますよね? それの撮影をしたいんですけど、美術部の部会と重なるんです。だから、今週末の部会は休ませてもらいたいんです」
「例年、歌唱指導の日の部会は、『自己紹介オリエンテーリング大会』の企画をすることになってるでしょう? できれば、出てくれた方が良いよねえ、マリコ」

『自己紹介オリエンテーリング大会』というのは、5月1日付けで本入部となる新入部員にまとめて『自己紹介』をさせるためのイベントだ。
 美術部員は、自分で部員全員を描いたスケッチブックと、部員全員に自分を描いてもらったスケッチブックを持たなくてはならないことになっている。そのために部員と新入部員がクロッキーをしあうことを『自己紹介』と呼ぶのだ。
 で、入ったばかりの新入部員に、まとめて『自己紹介』をさせ、ついでに学校の案内までしてしまおうというのが、『自己紹介オリエンテーリング大会』なのだ。
 上級生部員全員が二人一組で校内のチェックポイントに散り、新入生はスケッチブックと鉛筆と鉛筆削り用のカッターを手に学校中を駆けずり回ることになるのだ。

「まあ、出てくれた方が良いには違いないけど、安原の撮影だって、この日のこの時間しかできないわけだからね」
 部会自体はそれほど時間はかからないとは思うけど、部会に出てから撮影に行くってのは、無理だろうな。安原だって、撮影の準備が必要だろうし。
「『自己紹介オリエンテーリング大会』って、5月の第一週の土曜日だって聞きましたけど、もう、準備するんですか?」
 安原が首をかしげる。
「1年生にはこういうイベントがあることナイショにしなきゃいけないの、知ってるよね? 放課後、1年生が全員拘束されるのは歌唱指導の最終日しかないでしょ? 部会で堂々と話し合うことは、この日にしかできないの。だから」
 美姫が言う。
「まあ、部会でやることは、担当チェックポイントの抽選とダンドリの伝達だけなんだから、抽選に参加できない不利さえ承知してもらえれば、休んでも構わないよ。どうせ、抽選の結果とダンドリは、あとでコピーして上級生だけに配布するから」
「『自己紹介オリエンテーリング大会』の担当チェックポイントは、お互い合意していれば交換OKだから、美術部内カップルが一緒のチェックポイントになるように工作したりするんだよ。だから、辺鄙な場所になっても、代わってもらえるかもしれないよ」
 美姫が笑う。
「当日は、最後の打ち合わせを朝するから、忘れずに8時に美術室に集合ね。わからないことがあったら、新入部員のいないところで私か美姫に聞いて」
 私の言葉に、安原は「はい」と頷いた。



「今年の上級生は22人ですので、二人一組で11ヵ所のチェックポイントが必要になります。生徒会室、図書室、進路指導室、講堂、体育館、格技道場、部室棟、合宿所、プール脇、テニスコートのベンチ、裏山の神社と、例年のコースから11ヵ所ピックアップするとこんな感じになります。プール、テニスコート、裏山の神社は、雨天の場合それぞれ、音楽室、地学室、3−Eの教室に変更予定です。
 以上、チェックポイントの設定に異議はありませんか?」
 異議がある部員なんていないだろうけど、一応、お伺いは立てるのが部会を進める人間の役目。
 けれど、私が皆の反応を確かめる間もなく瀬戸が立ち上がった。
「異議ないな〜。じゃあ、抽選するぞ〜〜」
 例の如く、ルーズリーフから1枚の紙を取り出し、いそいそとアミダクジを作りはじめる。
 あのねえ、いくら異議申し立てがないと思っていても、部長がそういう強行採決的態度を取るっての、問題あるんじゃないの? ま、言って聞く奴じゃないけど、後で文句言っとこ。
「部会に出てない奴の分は、てきと〜でいいよな」
 完成したアミダクジに、部会に出ている部員が全員名前を書き込んだ所で、瀬戸は欠席している安原と明美の名前を書き込んだ。私はといえば、抽選の間に黒板にチェックポイントを書き出して、抽選が終わった部員から、決まったチェックポイントの所に名前を記入してもらう。
「チェックポイント分担表と注意事項は、後でコピーして配布します。上手に一年生から隠すように。当日の朝8時に最終打ち合わせをしますから、忘れないで来て下さい」
 それだけを確認して、意外と早く本日の部会は終わった。
 部員がそれぞれに立ち上がり、ざわめく美術室。
 そのざわめきを押し退けるように、窓の外からエコーのかかった大勢の声と手拍子が聞こえてきた。
「おっ、まだ、歌唱指導やってるな」
 畑中のつぶやきに、瀬戸がにやりと笑った。
「よ〜し、第一校舎から見学させてもらおうぜ!」
「あ、こら、瀬戸! ちょっと話が……」
 私の制止を「あと、あと」と振り切り、瀬戸は先頭切って美術室から出て行ってしまった。何人かの部員が瀬戸について行く。
「ああ、もう。あのお祭り野郎がっ」
 残った部員には聞こえないような小声で私がぼやくのを聞いて、チェックポイント分担表を書き写していた美姫が手を休めて笑った。
「話があるなら、追いかけて行ったら? アタシも、これが終わったら見に行こうかな」
「後少しでしょ? 待ってるから、終わったら一緒に行こう」
 私はそう言って、黒板の分担表を見た。私自身は早々に一番遠い裏山の神社担当が決まってしまったので、他の部員の担当場所や自分の相方が誰なのかは、まだチェックしていないんだよね。
 黒板の自分の名前の隣に、瀬戸のなぐり書きの文字があった。でも、書かれていたのは瀬戸の名ではなく、「安原」の二文字だった。
 安原、か。裏山の神社って、木が生い茂っている中にあるから、日陰になってて結構寒いって評判なんだよね。厚着してくるように教えてやらなくちゃ。
 そんなことを考えていると、部誌のノートを閉じて、美姫が立ち上がった。
「おしまいっ! さ、行こう」

 第一校舎の3階、渡り廊下の真正面の教室には、誰もいなかった。
「あれ? てっきり、ここだと思ったんだけど……」
 私は思わずつぶやいた。
「アタシも、ここ以外思い浮かばないよ。大方、瀬戸が気紛れ起こして、どこかへ行ったんじゃない?」
「そうなると、行く先の予測は不可能だねえ」
「瀬戸のやることだもんねえ」
 私達は顔を見合わせて、笑った。
「しょうがない、私達はここから見てようか」
「うん。そうしよう」
 窓を開けると、ガラス越しに聞こえていた1年生全員の校歌が、急に大きく聞こえてくる。校舎に反射した歌声が、さらにスタンドのある裏山に反射して元の歌声と一緒に耳に入るため、微妙にエコーがかかっている。
 窓際の席に腰掛けてスタンドを見下ろすと、スタンド一面の制服の紺に、所どころ女子のリボンのピンクが薄くまばらに散っている。そして、それを背景に浮き上がる、『新入生歓迎作品展』の共同制作作品、バックネットの『美』の一文字。
 女子のリボンと同系色のそれは、元からこの背景にあてはめられることを計算されたかのようにぴったりとマッチしていた。
 もしかしたら、瀬戸の奴、本当に計算していたのかもしれないな。
 そんなことを考える。
 最後の一音を伸ばして校歌が終わると、応援団長のエールの音頭をとる声が聞こえてくる。
「フレ〜〜〜、フレ〜〜〜、N〜高〜〜〜」
 その声に合わせて、一年生が一斉に両手を上げる。手を上げる高さ、角度まで決まっているから、掌の肌色が規則正しく並んでいるように見える。それが、「フレッ、フレッ、N高、フレッ、フレッ、N高!」という一年生全員のエールの声とともに同じリズムで打ち鳴らされると、一面の紺の中で、ぴったりとそろったリズムで肌色が揺れ、終わるとほんの一瞬、静寂が訪れる。
 そして、その静寂の後、団長のしぐさに合わせて、ザッと身じろぎする音とともに一年生達は手を背中に回す。紺色の海から一斉に肌色が消えて、また紺とかすかなピンクの地の色に戻る。
 客観的に見ると、N高の応援って本当にキレイだな。
 しみじみと思う。
「ねえ、マリコ。安原、写真撮るって言っていたのに、見当たらないね」
 再び始まった校歌に耳を傾けていると、不意に、窓際に立って乗り出すようにスタンドの方を見ていた美姫が言った。
「うん、そうだね」
 グラウンドのスタンド周辺に写真部らしい生徒が何人かいるが、安原らしき人影はないということは、私も気付いていた。
「校舎から、撮影してるんじゃないのかな?」
「そうか。そういうコトもあるよね」
 乗り出していた体を引き戻し、ふうと、美姫は大きく息を吐いた。
 それから気を取り直すように小さく首を振り、美姫は私の前の席のイスに腰掛け、私の前の机に肘をついて私を見上げた。
「ところでさ、マリコ。『自己紹介オリエンテーリング大会』のチェックポイント分担って、お互いの合意があれば変更可能なんだよね?」
「そうだけど……誰かと代わってもらいたいの?」
「うん。アタシ、瀬戸と一緒に進路指導室担当なんだけどね……」
 そこまで言って、美姫は自分の顔の前で両手を合わせた。
「お願い、マリコ代わってくれる?」
イラスト2

「あ〜〜?」
私は思わず聞き返してしまった。
「私の担当って、裏山の神社だよ? それでもいいの?」
裏山の神社は、『自己紹介オリエンテーリング大会』では外せない重要なチェックポイントだけど、暗いし寒いしで評判悪い所だ。代わって欲しいと思うことはあっても、代わってもらえるとは思えない場所なのだ。
「いいの」
「何よ、そんなに進路指導室が嫌なの? 美姫、そんなに進路が不安なの?」
「そりゃ、アタシ、成績良くないけど、そこまで困ってないわよ!」
 美姫がふくれる。
「じゃあ、瀬戸と一緒なのが嫌なの? そりゃ、うるさくてうっとおしい奴だけど、そこまで嫌うことないんじゃない?」
「そんなコトじゃないのよ」
 美姫が首を振る。
「じゃあ、どういうコト?」
 私が聞くと、美姫は信じられないという表情で私を見返した。
「……マリコには気付かれているものだと思ってたんだけど、もしかして、気付いていない?」
「へ?」
「マリコって、こういうことに鈍いわけじゃないのに、なんで気付いていないのよ……」
 美姫がうつむいて頭を抱える。
 そう言われても、ねえ。
「あのね、マリコ。アタシ、瀬戸や進路指導室から離れたくて言ってるんじゃないの」
「裏山の神社に行きたいって、美姫、そんなにあそこが好きだったの?」
 私の言葉に、がくっと美姫がコケる。
「なんでそういう話になるのよ!」
 食ってかかる美姫は、頬を上気させていた。
「アタシは……アタシが好きなのは、場所じゃなくて人なのよ」
「人?」
 窓の外から、再び応援団長のエールが聞こえてくる。
 続いて、1年生全員のエールの声と手拍子。
 その声にわざと紛れさせるように、美姫はそれまでとはうってかわって、つぶやくように言った。
「アタシ、安原が好きなの」
 美姫の言葉をかき消すかのように手拍子の音が響いたけど、それを果たすことはできなかった。
 最後の音が響いた後にぽっかりと生まれた静寂の中、私は美姫を見返していた。

第8話へつづく


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