ブスの美学
─マリコさんの場合─

橋宗 優里

第6話

 ふと、美姫が顔を上げ、美術室の入り口のほうに顔を向けた。
 直後に、美術室のドアが開く。
「おはよ〜ございます」
 朝昼晩いつでも「おはようございます」の芸能界と同じ美術部の挨拶をしながら、安原が美術室に入ってくる。
「おはよ」
「おはよ〜」
 返す私達の挨拶に顔を上げた安原は、ほっとしたような表情を浮かべると、真直ぐ私達の方に近づいてきた。
「ああ、よかった。今日の放課後の当番、瀬戸さんのはずだから、マリコさんはいないかと思ってたんですよ」
「え? 私に、何か用?」
「マリコさん、確か個人展示作品、出していましたよね? どこに展示したんですか? 一通り確認したはずなんですけど、見つからないんですよ」
「ぷっ」
 美姫がふきだす。
「そりゃ、安原には見つけられないよね、マリコ」
「まあ、無理だろうね」
 私も苦笑してしまう。
「私の作品は、第一校舎1階の西側の女子トイレの中に展示してあるんだよ」

 女子トイレを展示場所に選んだのに、たいした理由はない。
 駅のトイレの個室でくだらない落書きを見てたら、「私だったら、もっとマシなことかくんだけどな」って思えてきたのが、きっかけといえばきっかけだ。
 強いてこじつければ、いろんな人が出入りするのに、ドアを閉めたら自分だけが占有できる、共有空間でありながら極めてプライベートな空間であるトイレの個室に、別の人格を忍び込ませる面白さを求めたというところだろうか?
 様々な言葉を、名刺の半分もない紙にデザイン化して描いて、個室の内部、和式トイレにしゃがんだ時に真正面に来る辺りに一枚ずつ張り付ける。
 その内の一つに、「探してごらん」という言葉を入れて、掃除用具入れのドアの内側に、振り向きながら懐中時計を見ている燕尾服姿の白ウサギが、開いている美術室のドアの前にいる絵を張ったのはオマケだ。

「なんせ、個室の中だから。残念ながら、男の安原には撮影できないだろうね」
「う〜ん。いくら早朝でも、女子トイレってのは、さすがに……」
 安原は腕を組んで唸った。
「ねえねえ、撮影とか早朝とか、何のこと?」
 美姫が、安原の顔をのぞき込むようにして尋ねる。
「あ、あの……」
「安原は、今、朝早く学校に来て、皆の個人作品の撮影をしてるのよ」
 あまりにも間近に迫られてどぎまぎして口ごもる安原の代わりに、私が答えてやる。
「ふうん。でも、なんでマリコがそれを知ってるの?」
「今朝、事前に修復箇所をチェックしとこうと思って皆より早く学校に来たら、安原とばったりだったんだもの」
 ちょっと驚いたように美姫は私を見上げた。それから、ああ、と、納得したように口を開けた。
「なんだ。だから今朝、いつもの電車に乗っていなかったのか」
 同じ方向の電車を利用している私と美姫は、示し合わせているわけではないのだが、駅からの道を走らなくても遅刻ギリギリに学校に着くことができる時刻の電車で一緒になることが多いのだ。
「そうか、そうか」とうなずいてから、美姫はつややかな唇に優美な弧を描き出した。
「何よ?」
「誰に言われたわけでもないのに、そういうことしてくれるのって、すごくマリコらしい」
 だから、照れるんだってば、そういうこと言われるの。
 美姫からわざと目をそらした私は、あいかわらず腕を組んだまま、ぶつぶつ言っている安原に気付いた。
「展示期間が終わってから、取り外した作品をまとめて撮影させてもらうか……? ダメだよなあ、僕が撮りたいのは、展示環境も含めた作品なんだから」
「なんか、悪いね。変なトコに展示しちゃってさ」
 私が言うと、安原は慌てて手を振った。
「いいえ、そんなことないです。僕が好きでやってることを、マリコさんがそんな風に思うなんて、変ですよ」
「安原、マリコの作品がどんなのか、興味ある?」
「そりゃ、まあ」
「どんなのか、説明してあげようか?」
「ちょっと、美姫……」
 元々遊びのつもりで作った自分の作品を、人様に説明されるって、それ、すごく恥ずかしいんだけど。
「説明くらい、いいじゃないの。……どう?」
「はい、お願いします」
 安原、そんな、目を輝かせながらうなずくんじゃない!
「あ〜〜、私、ちょっと、共同作品のチェックをしに行ってくるわ。すぐに帰ってくるとは思うけど、後、頼んだよ、美姫」
 そそくさと、私は二人の前から逃げ出した。
 美術室の入り口で振り向くと、日だまりの中で手を動かしながら何やら話しかける美姫と、笑顔を浮かべた安原が目に入った。
 ふうわりと柔らかいイメージの美姫と、どこか少年らしさが残る安原のたたずまいは、まるでキャスティングから計算された映画のワンシーンのようだ。
 美姫が、こちらに気がついて手を振る。
 手を振り返してから、私は美術室を出た。

 放課後のグラウンドは、様々な音に満ちている。
 部外者には、なんて言っているのか判らない掛け声。金属バットの甲高い打球音。短く響くホイッスルの音。土を蹴るスパイクの足音。
 それらの音のかたわらを通りすぎてバックネットの裏までゆくと、そこには瀬戸がいた。
「あんた、何やってんのよ?」
「おう、マリコかあ」
 脚立の上で瀬戸が、振り返りもせずにぞんざいな返事をする。
「だから、何やってんのって聞いてるのよ」
「見りゃ、わかるだろう? 修復してんだよ」
 当り前といえば当り前だが、屋外の展示物はことに破損しやすい。
 この作品も、風のせいかパーツを結び付ける紐がゆるみ、たるんでしまっているところができていて、それが作品の外観にムラをつくってしまっていた。
 授業中に3階の窓からそれに気付いた私は、明日の朝の修復で直すべき場所をチェックしようと思って来たのだけど。
「一人で、できるの?」
「朝と放課後、両方で修復していれば、一回の修復の場所は少なくて済むからな。オレ、一人で十分だ」
 4月とは言っても、日陰は信じられないほど肌寒い。山の斜面の北側に作られているため、一日の殆どが日陰になるこの場所で、瀬戸は誰に言われたわけでもなく、一人黙々と単純な修復作業をしていたのだ。
 普段はちゃらんぽらんなくせに、自分がタッチした作品のこととなると、一切、手を抜こうとはしない。
 作品に関しては完璧主義者なのだ、この男は。
「そいや、マリコ、美術室の方はどうなってるんだ?」
「美姫が番をしてるから大丈夫。私も、ちょっと抜けてきただけだもの、すぐに戻るつもり」
「そうか……よし。これで終わりだ」
 ぱんぱん、と手を払ってから、瀬戸は脚立から降りた。
「じゃあ、オレ、脚立を倉庫に返してから帰るから。また、明日な」
「バイバイ」
 私はさっさと脚立をたたんで、肩にかついで歩き出した瀬戸に手を振った。
 ……でも、帰るだって?
「ちょっと、待ちなさいよ! やること終わったんなら、今からでも私達と交代して、新入部員待ち当番をしたらどうなの?」
「気が向いたらな〜」
 振り向いて手を振り返してから、瀬戸は脚立をかついだまま、飄々と歩いて行く。ここまで堂々と逃げ出されると、追いかけていってとっつかまえる気にもならないな。
 瀬戸が修復していた美の字を、改めて見上げる。
 完成したときと寸分違わぬその姿。
「ま、いいか」
 私は、そう、口に出して言ってみてから、美術室に向かった。



 翌朝。
 6時半発の電車は、普段通学に使う電車に比べたら、信じられないくらいにすいている。いかにも朝練に行きますといった感じの一目で運動部員と判る高校生や、普段の通学電車では絶対に見かけない遠くの学校の制服を着た高校生や、睡眠不足を通勤時間に解消しようとするサラリーマンなんかが、まばらに席についている。
 途中の停車駅でも、一車両3ヵ所のドアを全部開けるのが勿体ないような気分になるくらいに、乗り込む人間が少ない。
 ただ、普段より1時間ほど早い電車に乗っているだけなのに、車内も、車窓から見える町並も、まだレンゲの残る田んぼも、ゆるやかに流れる川も、まるで別の世界のもののような気がする。
 ドアに一番近い端の席に座って窓の外の通りすぎる電柱を見ていたら、不意に声をかけられた。
「マ〜リ〜コっ!」
 ふりかえると、そこに吊革につかまりながら美姫が立っていた。
「あ……あれ?」
 美姫は、さっき停車した駅からこの方向の電車に乗って通学しているのだが、いつもは普段の私が使うのと同じ遅刻ぎりぎりの電車乗っているはずだ。
 どさりと、空いていた私の隣に座り、美姫はおはようと笑った。
「何? 補習でもあるの?」
「もう、いくらアタシが成績悪いからって、それはないでしょ? 新学年早々、補習なんかないわよ」
 ぷうと、オーバーなくらいに頬をふくらませてみせる。
「じゃあ、何故、こんな時間に?」
「マリコの手伝い、しようと思ってさ」
「美姫……」
「あ〜、ちょっとタンマ。感謝の言葉はいらないからね」
 ありがとうといいかけた私の口の前で、美姫は真っ赤な顔で手を振った。
「へ?」
「だって、下心あるんだもん。感謝されるの、胸が痛むわ」
「下心って、一体……」
 私の言葉は、N高の最寄り駅の名を繰り返す車内放送にさえぎられた。美姫がポケットから定期を出しながら立ち上がる。
 一度タイミングを逸してしまうとなかなか切り出せないもので、電車を降りてしまうと私は美姫の下心というのがが何のことなのか、聞き損ねてしまった。

 美姫と二人、昨日と同じルートで展示作品のチェックをしてゆく。
 昨日会ったB組の隣のC組の教室に、カメラを持った安原がいた。
「おはよう、安原!」
「あ、あれ? 美姫さん?」
 元気一杯の美姫の挨拶に、昨日と同じくらいに驚いた顔で、安原が言う。C組のドアをくぐる私と美姫を、交互に見比べる。
「おはよ、そんなに驚いた?」
「おはようございます。……いやあ、マリコさんがもうすぐ来るだろうとは予想してたんですけど、美姫さんが一緒だってのは予想外だったんですよ。それに……」
 安原は照れたように頭をかいた。
「丁度、美姫さんのこと、考えていたから、余計に驚いたんです」
 ぱっと、美姫の頬が赤らんで、何かを期待するような笑みが口の端に浮かぶ。
 そんな美姫らしからぬ表情など気付いていないかのように、安原は天井を指さして言った。
「だって、C組(ここ)の作品、美姫さんのでしょう?」
「ああ。そう言えばそうだね」
「なんだ……」
 私が納得の声を上げるかげで、美姫の小さなつぶやきが漏れる。
 そして、その小さなつぶやきを覆い隠すような明るい声で、美姫は言った。
「でもアタシの作品って、いつも、クラスの友達なんかに『らしくない』って言われるのよ。安原もそう思う?」
「『らしくない』……ですか?」
 安原は美姫の作品、教室の前よりの戸の内側と天井に張られた作品を見ながら、首をかしげた。
 教室の戸には、黄色と黒の斜めの縞の縁どりがされた紙に「君達は見られている」というメッセージが書かれている。なんのことかと周囲を見回せば、天井の合板から覗く巨大なひとつ目と目が合うという趣向だ。
 合板の継ぎ目にあわせて紙を切っているし、合板の模様も規則的にあいている穴もそのままに描き出されているし、微妙な汚しも入れられているので、どこからが絵なのか、ぱっと見には区別できない。無機物の合板の天井板が、不意に柔らかくうねり、二重の瞼を形作り、黒々としたまつげに縁取られた血走った目が、私達を見下ろしている。
 美姫の絵の個性である、グロテスクなほどの精密さと、質感を表現する上手さが良く出た作品だと思う。
 大好きな画家がダリだというのだから、そのセンスは推して知るべしなのだが、「はい、これが作品とその制作者ですよ」と作品と美姫を並べられたら、多くの人が信じられないと言うだろう。作品の印象と美姫の容姿とのギャップは、それほどまでに大きいのだ。
 しかし、安原はさらりと言った。
「僕は、美姫さん『らしくない』とは思いませんよ」
「え〜?」
 美姫が声を上げるが、意外にもその声に驚きの色はなかった。
「『らしくない』って思わないってことは、アタシ『らしい』って思ってるってこと? どんな風に、アタシ『らしい』の?」
「うまく言えませんよ。ただ、なんとなく、そう思っただけなんですから」
「それじゃ、答えになってないよ〜」
 妙にうれしそうな美姫の口調と、苦笑を浮かべる安原。
「美姫。安原だって、やりたいことがあるんだから、あんまり邪魔しちゃ駄目だよ」
 美姫の作品に破損がないことを確認しながら、とりあえず、安原に助け船を出してやる。
「じゃ、集合時間に、また」
「はい」
「またね〜」
 美姫は極上の笑みを浮かべて、安原に手を振った。

 一番最後のチェックポイントは、私の作品が展示してある西側の女子トイレだ。
 美姫と手分けして個室の中を覗き込んで、小さな私の作品がはがれていないかをチェックする。最後に掃除用具入れのドアの内側もチェック。用具入れの中の作品は、もっと汚れることを覚悟していたんだけど、掃除をしている人が気を使ってくれているらしく、全然汚れていない。掃除用具は、ドアから離すように奥に寄せて置かれていた。
 そうして全部のチェックを終えて、用を足したわけじゃないのだけど、なんとなく手を洗わないままトイレから出ていくのに抵抗を感じて、二人で「変だよね」と笑った。
 流れる水を手に受けながら、思い出したように美姫は口を開いた。
「『らしくない』って、思わないんだってさ」
「ん?」
「やっぱり、安原って、ちょっと違うよね」
「うん」
 私は頷いた。
 美姫の作品を『らしくない』と言う人間が省略している言葉は、「美人」である。美姫の作品は、「美人『らしくない』」と言っているのだ。美姫の絵画の趣味や考え方とは関係のない外見しか見ていないからこその評価は、美姫にとってはうんざりするほど繰り返された美人幻想の押し付けなのだ。外見のイメージというものは、ある人間を他人がはかる時には大きな部分を占め、しかも影響を排し難いものであるから、まあ、しかたないとは思う。
 もちろん、私や瀬戸や美術部の他の部員は、あの美姫の作品に『らしくない』という評価はしない。数ヵ月の部活動を通じて美姫の絵画に対するセンスを知っているからである。
 でも、安原は違うはずだ。
 知り合ってまだそんなに経っていないし、その間に美姫の絵画趣味がかいま見ることができるイベントなんて、例の自己紹介のクロッキーくらいしかなかった。しかも、短時間でモデルを描く人物クロッキーでは、美姫のリアルなタッチや幻想的なモチーフといった絵の個性はロクに発揮されない。
 美姫の内面的要素に関する情報がないのに、『らしくない』と思わない安原は、つまり、一般的な美人のイメージを持っていないか、美姫を美人だと認識していないか、美人の美姫と美人のイメージをリンクさせていないかのどれかだろう。
 いずれにせよ、安原は、今まで美姫が見たことのないタイプの人間なのだ。だからこそ美姫は、こんなにも安原に興味を持っているのだろう。
 ハンカチで手を拭いてから腕時計を見ると、アナログの針は、もう7時28分をさしていた。
「そろそろ、集合場所の下駄箱のトコへ行こうか?」
 うなずく美姫と一緒に、トイレを出る。
 下駄箱が見通せる渡り廊下の手前に来たところで、がらがらと教室の引き戸が開く音が前方のC組の方から聞こえてきた。
「あっ」
イラスト1
 ぱっと、美姫の顔がほころぶ。
「安原、集合時間だよ〜、おいで〜」
 銀色の箱を肩から下げて廊下に出て来た安原に、声をかける。
 ふと、そんな風に安原を見る美姫の表情に、違和感を感じる。単なる好奇心の表情とは、違うような感じ。
 考えかけて、やめる。
 そう、これは、気がつかないほうがいい。
 私は安原を待つ美姫を残して、集合場所へと歩を進めた。

第7話へつづく


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