ブスの美学
─マリコさんの場合─

橋宗 優里

第5話

イラスト1
「ねえちゃん、こんな朝っぱらから何やってんだよ、まだ6時前だぜ?」
 ダイニングで一人で朝食の準備をしていると、考史が二階から降りてきた。
「おはよ。私、5月のアタマまで6時半の電車で通学するって、昨夜の夕食の時に母さんに言ってたでしょ?」
「そんなこと言ってたっけかぁあ?」
 最後の言葉をアクビと一緒に吐き出しながら、寝癖だらけの頭をかく。
「でも、なんでだよ? ねえちゃん、美術部だから朝練なんかないだろ?」
「新入生歓迎作品展の展示物のチェックをするのよ」
 屋外の展示物は風で破損することが多いし、屋内の個人展示作品も剥がれやすい。
 特に、化粧合板の天井への展示は、天井板に粘着剤が残ったり塗料が剥がれたりする危険があるので、あまり強い粘着力を持つテープなどは使えない。一夜のうちに展示物が床に落ちていることなども良くある。
 しかたないので、部員は展示期間中、毎朝始業1時間前に登校して必要な修復をすることになっているのだが、なにせ他人サマ(1年生)のナワバリでの作業、迷惑がかからないように実際に多くの生徒が登校しはじめる始業30分前には教室での作業は終わらせたい。限られた時間でより効率良く修復するためには、誰かが事前に修復箇所をチェックしておいた方が良いのだ。
 6時半の電車に乗れば、校舎の開く7時に丁度学校に着いて、それから他の部員が来る7時半までに、一通り展示物を見て回れる。
「ああ、あれね。結構、1年の中でも話題になってるよ」
 そういえば、考史もN高の新入生だっけ。高校生になったことは解ってるんだけど、学校ではまだ見たことないから、つい忘れちゃうんだよね。
「前から思ってたんだけどさ、美術部の副部長って、面度臭いこと押し付けられる、すっげえ大変な役職なんだな」
「今回のは副部長の役目ってわけじゃないわよ。……考史、あんたも朝御飯、一緒に食べる?」
「いらねー。……じゃあ、なんでこんな早起きしてまで、そんなことするんだよ?」
「まあ、姐御肌の人間の習性みたいなもんかな?」
 お味噌汁だけササッと作って、夕飯の肉じゃがをあっためて、一人で食べるんだったら、こんなもんでいいや。タイマーで炊き上がった御飯を盛って、ダイニングテーブルの定位置に座る。
「ところで、母ちゃんは?」
「きっとまだ寝てるよ。母さんだって仕事あるんだから、私の都合で早起きさせるの、悪いもんね」
 母は近くの小学校で教師をやっているのだ。今年は1年生の担任だそうで、新学期早々、えらく忙しいらしい。
「あんたもね、高校でもまたバスケ部に入るんだろうけど、朝練だなんだって母さんの負担を増やすんじゃないわよ? 朝御飯やお弁当くらいなら、私が作ってあげるから、必要があったら言うのよ」
「へいへい」
「返事は『はい』!」
「はい……ねえちゃんって、ホント、姐御肌だよな」
 時計に目をやると、もう6時を指している。急いで食べなきゃ。

 学校に着いたのは7時を少し回ったところで、校舎はすでに開いていた。
 いくつかの運動部が朝練をしているため、グラウンドの方は意外なほどに賑やかだが、一歩校舎の中に入ると冷ややかな静寂が私を迎える。
 下駄箱を抜けた真正面の廊下の壁には、さっそく畑中の作品があった。
 第二校舎の屋上には天文部の観測ドームがあるのだが、そこから昼間に見た360度のパノラマを描いた、長さ6メートルはありそうな水彩の大作だ。重いわりに止めている所が弱いのか、真ん中の辺りがちょっと落ちそうかな?
 一度3階の自分の教室まで上がってカバンを置き、各人の作品展示場所を記入した見取図とペンを手に、1階に下りる。
 階段を下りた近くの廊下の窓には、トレーシングペーパーを台紙に薄い紙を何枚も重ねて濃淡を表現した千鶴の作品。最前面にもトレーシングペーパーをかぶせてあって、透かして見える素材の違いや重なり具合で、面白い表情が出ている。窓は、気温差や湿度の関係で水滴が着くから剥がれやすいんだけど、今は大丈夫。
 廊下の天井には、テグスで吊られた立体的ペーパークラフトの船木の作品。近頃出てきた、ピンで固定するフックを利用して吊したんだけど、これ、意外と良いな。今度から吊しモノはこれを使おう。破損は無し……でも、この微妙な高さ、もう少し新入生が学校に慣れてきたら、絶対、ジャンプしてこれに触ろうとする生徒、出てくるよねえ。
 廊下の展示を一通りチェックしてから、A組の教室へ。
 ドアに張られた「工事中ご迷惑をおかけいたします」の文字と頭を下げているヘルメット姿のおじさんの、工事現場で良く見る看板を真似たポスターは、和田の作品。黒板から遠い方のドアには、ラブホテル風料金表が張ってあるし、教室内から見ると後ろのドアには墨痕淋漓たる達筆の「脱走厳禁」の文字、前のドアにはUターン禁止の交通標識のマーク。和田のセンスって、変だけど、とりあえず展示状態は問題無し。
イラスト3
 隣のB組のドアを開けると、そこに意外な人物がいた。
「あれ? 安原?」
「マリコさん?」
 何故か教室の真ん中あたりで机を持ち上げている安原が、驚いた顔で私を見返していた。
「どうしたの、こんな早い時間から……」
「そういうマリコさんこそ、どうしたんですか?」
「私は、修復が必要な場所をチェックしに来たの。安原は?」
「僕は、作品の撮影しようと思って」
 安原が指さす天井には、天窓の向こうに見える空を描いた佳子の作品があった。安原の足元には、銀色のカメラの箱がある。
「なんで、机を動かしてるの?」
 ガタゴトと佳子の作品の真下のあたりにスペースを作る作業を続ける安原に、私は聞いた。
「ここに仰向けに寝転がらないと、真正面から撮影できないんです」
「個人作品の記録は、仕事じゃないよね?」
「はい。だからこれは、個人的創作活動ってやつです。皆の作品が、創作意欲を刺激してくれるんですよ」
「安原って、前向きだよね。感心するよ」
 私が言うと、安原は照れたように笑った。
「僕は、自分の興味のためにやってるんですから……美術部の皆のために、自発的に色々と世話をやいてくれるマリコさんの方が、ずっとすごいですよ」
「そんな風に持ち上げても、なんも出ないわよ。……B組はOKっと。じゃあ、私、他の教室も見とかなきゃいけないから。集合は7時半に美術部だからね」
 それだけ言い残して、そそくさとB組の教室を出る。
 自発的……自発的ね。
 確かに自発的には違いないけど、「美術部の皆のため」ってのは間違いだ。
 だって、私は、私自身のためにやっているんだもの。



 ブスは、かわいそうである。
 マイナスの第一印象を義務づけられ、他者よりも損をしているブスは、かわいそうである。
 しかし、本人が自分のことをブスだと自覚していなければ、それは「ちょっと損しちゃったね」で済む程度の「かわいそうさ」にすぎない。
 自分がブスであると自覚しているブスは、悲惨である。「かわいそう」など突き抜け、それはすでに「不幸」の域である。

 例えば、ある女の子が、ある日突然に自分がブスであるという事実を自覚したとする。
「ああ、自分はブスだったんだ……」そう思った時から地獄が始まる。
 まずは、他人と比較することで、自分がブスであることを否定しようとする。
「あの子と比べたら私の方がマシかもしれない」などと、必死に自分より容色の劣るものを探す。だが、いくら「自分以下」がいると思っても、「自分はブスである」という事実は変わらない。結局は徒労に終わる。
 次に思い浮かぶのは過去である。自分がブスであることに気付かなかった頃のことを思い出す。
「もしかしたら、A君にバレンタインのチョコをあげた時、ちょっと困った顔をしたの、私がブスだったからかもしれない」なんて、過去にあった小さな不幸を思い出し、その原因を自分がブスであることに結び付けて考えてしまう。
 この際、それが真実かどうかは問題ではない。どうせ、確認できないことばかりなのだ。問題なのは、そのことと自分がブスであることを結び付ける可能性を見つけてしまったことなのだ。そして、それが真実であることを確認できないのと同様に、それを否定する事実も確認できない。
 次に来るのは羞恥である。
「チョコを受け取ってくれた時、A君、なんて思ったんだろう? 『こんなにブスで好みじゃない娘だけど、断わるのも悪いナ』なんて思ったんじゃないだろうか」
 自分がブスであることを知らなかった頃にした、数々の「ブスにふさわしくない行動」を思い出し、それに関して他者がどう考えたのかを想像し始めたらおしまいである。
 他人の悪口なんぞ考え付きもしない天使のような人間ならともかく、普通の人間なら、まず、間違い無くひねくれる。人の言葉を疑うことを覚えてしまうのだ。
 根があまり素直でない人間の場合、想像される過去の他者は、本人と同じ程度の残酷さを持つからタチが悪い。
「あんなブスがA君にチョコだって、鏡見たことないんじゃない?」人間不信になるのに十分な言葉を自分で探しては、自分で自分を不幸のどん底へ突き落とすのだ。
イラスト2
 そして、ふと現実に立ち返る。
「どうにかしなくてはいけない」と、とにかくブスな自分を改善するための努力を始める。
 今までよりずっと熱心にファッション誌や週刊誌を読み、顔やせ特集やら、七難隠すメイク法やら、顔型別似合う髪形、etc……
 しかし、いくら努力をしても自分がブスである事は変わらない。整形でさえ、自分がブスであった過去を変えることはできない。
 そうして、そういう努力をしながら、はたと考える。
「こうして必死になっているブスの姿も、みっともないんじゃないだろうか?」
 そんなことを考え始めると、人に会うことさえ苦痛になるのだが、そんな風に他者の目から逃れようとするブスもまた、見苦しいのではないかと思えてくる。
 こうなったら、もう、どうにもならない。肥大した自意識は、逃げることさえ許してはくれないのだ。
 ブスの自意識過剰は、不幸である。
 そして、ブスはブスであることを自覚したら最後、必ずその不幸に見舞われるのである。

 でも、私はその不幸を軽減する術を知っている。
 ブスの不幸は、「自分がどう思われるか分からない」という不安から始まっているのだ。
 だったら、自分自身で意識して自分を演出することによって、他者の目に映る自分をコントロールすればいい。自分で自分がブスであることを認め、そんな自分に似合うモノや行動を冷静に選択し、それらが似合う自分を演じる。
 そうすれば少なくとも「自分がどう思われているか分からない」不安からは解放されるのだ。

「ブスだと思われているかもしれない」「みっともないと思われているかもしれない」と思い悩むより、「ブスだけど面白くて世話好きの姐御肌」という演技をすることを、他者に「そう思われること」を、私は選択した。
 こうやって朝早く学校に来て部のために働くのも、そういう、すでに意識しなくても出てしまうほど身についた演技の一部だ。
 安原のように、自分に与えられた環境と真正面から向かい合って、そこから自発的に何かをしようとしているんじゃない。
 部のための私の行動は、単なる「いい子ぶりっこ」とは違うとはいえ、間違い無く打算の産物なのだ。



 美術部の活動の特徴は、「制作・展示が済めば意外と暇」なことだ。
 新入生歓迎作品展も、展示まで終わってしまえば、後は朝の展示品修復くらいしかすることがない。
 やることが無くなったら土曜日以外の放課後の部活動はいつものとおり自由参加になるのだけど、新入生の入部希望者が来るかもしれない5月までの仮入部期間、美術室に誰もいないという状況になるのは困るので、三役は日替りで美術室に詰めることになっている。
 しかし、部長の瀬戸はあてにならないし、副部長の私と会計の美姫はお互いに相手につきあって美術室に行くのが常なので、結局は私と美姫が毎日美術室番をすることになるだろう。
 案の上、私と美姫が授業を終えて美術室に行ってみれば、今日の当番のはずの瀬戸は「じゃ、後、頼むわ」の一言でトンズラしてしまった。
「今年は、何人くらい新入部員が入るかなあ?」
 いつものように窓際に陣取り、春の柔らかい日差しを気持ちよさそうに浴びながら美姫が言った。明るい色の髪が日に透けて、もっと明るく輝きながら揺れる。
「どうだろう? 10人くらいは入って欲しいとこだけど、こればっかりは、希望通りに行くとは限らないから」
「そりゃ、そうよね」
「まあ、私達にできることは、仮入部で来てくれた新入生を逃がさないようにすることだけだよ」
 そう言いながら私は、ほんの少し憂鬱な気分になっていた。
 今年もまた新しい出会いの度に、ちょっとウケをねらって、姐御風をふかせるわけだけど、じゃあ、その「打算による演技」をしなかったら、私はどういう自己紹介をするかと考えてみても、これが思い浮かばない。
「ねえ、美姫」
「なによ、マリコ?」
 私は美術室の入り口が見えるところまで少し移動してから、切り出した。
「美姫って、笑い方とか、しぐさとか、自分をきれいに見せる方法を知ってるよね。それって、意識してやってる?」
 ふふんと美姫は鼻をならした。
「今はもう、無意識よ」
 普段、私以外の人間を前にしたらおくびにも出さないのだが、美姫は、この美しい容姿にコンプレックスを抱いているのだ。
 私にとってブスというマイナスイメージが苦痛であると同じように、美姫にとっては美人というプラスすぎるプラスイメージが苦痛なのだ。
 どうやら世の人々は「美人」というモノに多大なる幻想を抱いているらしく、美姫はその幻想を押し付けられるのにうんざりしているのだそうだ。
 見かけで美姫を自分の幻想の「美人」であると思い込み、その幻想と現実の美姫のギャップを感じると美姫に幻想に迎合することを求める。こと、美姫に交際を申し込む男どもは、そういうタイプが多いらしく、美姫は「外見しか見ていない」と憤慨する。
 じゃあ、美人らしくなくなれば良いと私などは思うのだけど、ここが美姫の面白いところで、美姫はさらに美しくなることを選択しているのだ。
「マリコも知ってるだろうけど、『外見にとらわれない男性』ってのが、アタシの理想なのよ。アタシが目一杯『美人』やっても、それに惑わされず、アタシの外見以外の所を認めてくれる人が理想。だから、日々、美を磨くための努力は惜しんでいないわ。ほおら、キレイでしょう?」
 最後のほうを私以外の人の前では絶対にしない芝居がかったポーズで言ってから、美姫は笑った。
「でも、無理してやってるって感じじゃないの。最初は意識していたはずなんだけど、もう、身についちゃってるみたい」
「そういうのってさ、自分や他人に嘘ついているんじゃないかって思わない?」
 美姫の眉が少し曇る。
 慌てて私は言葉を続けた。
「あ、責めてるんじゃないんだよ。私も、『姐御肌に見られたい』って意識から、今の行動パターンが作られているんじゃないかって、今はそれを意識してやっているわけじゃないけど、これって、自分や他人を騙してるんじゃないかって考えたりするから」
「ん〜〜」
 美姫は少し考えてから、顔を上げた。
「人間てさ、いくら意識してやろうとしても、無理は続かないものだと思うよ。今、意識せずにそれができているってことは、元々、マリコにそういう要素があったんじゃないかな。だから、無理しないでできてるの。元々あったものだし、今はわざとそうしようとしてしてるわけじゃないんだから、それは嘘をつくとか騙すとかとは違うと思う」
 それからにっこりと私に笑いかける。
「第一、マリコがしてることって、嘘や演技でするには大変すぎることが多いよ。それを誰にも言われず自発的にこなしてるんだから、例え根っこは嘘だって『オツリ』が来るよ」
 美姫の笑顔はきれいだった。
 そして、その笑顔は、ほんの少し、私の心を軽くしてくれた。

第6話へつづく


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