ブスの美学
─マリコさんの場合─

橋宗 優里

第4話

 春休み。
 とても春とは思えない冷たい空気の中、私達はN高グラウンドの、バックネット裏のスタンドにいた。
 我がN高校のグラウンドの南東側には、裏山がある。
イラスト1
 山といっても、10分も歩いて登れば頂上に着いてしまうくらいの小さい山なのだが、この麓の斜面にコンクリートを打って階段状のスタンドが作られているのだ。
 グラウンド面から1.5メートル程の高さにスタンドの最下面が広くあり、そこからバックネットが立てられている。スタンドに座ってグラウンドを見下ろしていると、まるで球場にいるような気分になる。
 眼下では野球部員が体力作りの基礎練習をしていた。
「誰よ、こんな面倒くさいこと考えたのは?」
 平たいビニールの紐……体育祭でチアガールが使うポンポンを作るアレを、30センチ幅の板に巻きつけながら、美姫がぼやく。
「あそこにいる男にきまってるでしょ?」
 すでに美姫が別の板に巻きつけてくれていた紐の両側の輪を幅広のカッターで切り30センチの長さの紐を作りながら、私はバックネットの方に顎をしゃくった。
 バックネットのこちら側に置かれた脚立、その上に瀬戸がまたがっていた。
「マリコ〜〜!、紐、足りねえぞ!!」
「はいよ〜〜」
 瀬戸の言葉に、私は切り揃えておいた紐を軽く輪ゴムで束ねてあったものをいくつか持って立ち上がった。脚立の側まで行き、瀬戸にそれを手渡す。
「おう、サンキュ。……で、安原、右に5マスまで来たぞ」
「ひとつ下にずらして、さらに右に5かける下に2で埋めて下さい」
 斜めにした方眼紙を見ながら、安原が指示を出す。安原の持つ方眼紙には、大きく『美』の一文字が書かれていて、その線のまわりが方眼の線に沿って赤ペンで塗り分けられていた。

『美』の一文字は、新入生歓迎作品展の共同制作作品のテーマである。
 私や美姫が入学した年は、部活動案内のオリエンテーションの翌日、1年生の下駄箱全部に、封筒の表にカリグラフィで入学者の名を書き、裏に『美』の刻印をした封蝋をつけた、古色蒼然たる美術部への招待状が入っていた。
 先輩達の話では、その前の年は下駄箱への入り口のドアのガラスに、黒い画用紙とカラフルなセロファンを使ってステンドグラス風に様々に『美』の字を表現したそうだし、さらにその前の年は、版画の技法で『美』の字を何枚も、微妙なグラデーションで印刷し、それを順番に廊下の窓ガラスに張ったそうだ。
 去年は、瀬戸のアイデアで、麻紐を使い縦横8メートルの『美』の字を編み上げ、冬場で使われていない緑色のプールに蜘蛛の巣のように張り巡らしたロープの上に固定した。
 そして今年瀬戸が出したアイデアは、バックネットに紐を結んで『美』の一文字を浮かび上がらせることだった。
「バックネットの金網が、こうあるとするだろう? この針金に、こういう風に、紐をぶらさげる。これを沢山つけてゆくと『すだれ』の様になって面ができるんだ。これで、バックネットにでっかく『美』を書くんだよ」
 眼鏡の向こうの目を輝かせながら言った瀬戸の姿を思い出す。
 去年一年の活動で、大きな共同作品を作ることに慣れてしまった部員達は、毎度のごとく斬新な瀬戸のアイデアに、今回も全員一致で賛成した。
 だけどその時には気付かなかった問題が一つ。今までの作品って、屋内で制作をして、屋外にセッティングするってスタイルだったのに、今回は屋外で殆どの作業をする作品なのだ。
 春休みの屋外が、実は底冷えするほど寒いのだと気がついたのは、作業の準備を始めてからだった。

「お〜〜い、差し入れだよ〜〜!」
 2年の渡辺と恵美が、コンビニの袋を手にスタンドに上がってきた。
「あったかい飲み物と中華まんだぞ」
 うわあ、ありがたい。
「瀬戸、安原、一休みしよう」
「ん〜〜。ここんとこだけやっちまう」
 私が声をかけると、瀬戸は手も休めず言った。
「じゃ、お先。さ、安原、行こう」
 私は、瀬戸を気にしている素振りの安原の腕を引っぱり、渡辺と恵美の元へ向かった。
「ピザまん、肉まん、カレーまんと取り揃えておりますよ」
 恵美が肉まんの袋を開きながら笑う。
イラスト2
「安原、何にする?」
「僕、最後に残ったのでいいです」
「遠慮してんじゃねえよ、美術部の生存競争は激しいんだ。美姫を見てみろ、先頭切って好きな物選んで、もう、喰ってるだろ?」
「『遠慮無し』は美術部のルールだもん」
 渡辺に言われて、かたわらでカレーまんをほおばっていた美姫が顔を上げる。
「そうそう、ほら、さっさと選びな」
「じゃあ、肉まんを」
 それぞれに中華まんと飲み物を選び、私達はスタンドに腰掛けた。
「恵美、個人制作作品の方は進んでる?」
「後は仕上げだけ。共同制作の作業開始は明日だよね? それまでには終わると思う」
 ピザまんを半分に割りながら、恵美が言う。
「でも、マリコ達は、大丈夫? 共同制作の下準備で、自分の作品が進んでいないんじゃない?」
 そう、今、私達がしている作業は、共同制作で人海戦術に出る前に必要な下準備なのである。

 まず、バックネットの網目の数を数え、その数に合わせ方眼紙を切る。
 バックネットは斜めの網なので、方眼紙を斜めに置き、そこに『美』の一文字を書く。
 そのラインを基準に紐を結ぶ針金を決め、そこを赤ペンで塗り分ける。これが設計図になるわけだ。
 実際の作業の時に、いちいち設計図と照らし合わせなくてもいいように、紐を結ぶべき針金に目印をつける。これが現在、瀬戸のやっている作業である。
 例年、この類の下準備は三役がするのだが、今年は個人展示をしない安原が瀬戸につかまって手伝わされているのだった。

「私の個人展示作品は大モノじゃないから、家でちょこちょこ描いているの。もう殆ど完成してる。美姫は?」
「アタシ、春休み前に仕上げた。後は展示作業日を待つだけ」
 開けていないカフェオレの缶を両手で包み込むように持ちながら、美姫が言う。
「飲まないの?」
「しばらく、手を温めようと思って」
 渡辺の問いに、美姫が笑う。
「作業の時は、座布団と使い捨てカイロは必須ね。寒くてしょうがないわ」
「何を軟弱なこと言ってんだよ」
 やっと作業が一段落したのか、いつのまにか傍に来ていた瀬戸が言う。
「ほれ、ブラックコーヒーと、カレーまん」
 最後に残っていた飲み物と中華まんを、渡辺が瀬戸に手渡す。瀬戸は、「サンキュ」とそれを受け取ると、大きな口でカレーまんをほおばった。
「目印つけながら考えたんだけどなあ、ちょっと実際の作業効率上げる方法、考えた方が良いかもしれないな。思ったよりも時間かかりそうだ」
 今ごろ気付くな、そんな重要なこと!
 毎度毎度この男、斬新なアイデアは出すくせに、その実現に関しては穴だらけなんだから、困ったもんである。
「ちょっと、ちょっと、大丈夫なの?」
 心配そうに恵美が言う。
「なんとかしなきゃいけないわなあ」
 他人事のように言って、瀬戸はカレーまんの残りを口に押し込んだ。

 恵美と渡辺がゴミを持って立ち去った後、私達は顔をつきあわせて作業のやり方を考えた。
 バックネットの隅で、どのように紐を結んでゆくのか実際にやってみる。
「こうやって、これくらいの密度で結んでゆきたいんだ」
 針金を中心に固結びをするように瀬戸は紐を結んだ。金網のマスの一辺に5本の紐が結ばれる。
「いくらなんでも、それじゃあ、時間かかりすぎるよ」
 美姫が瀬戸の手から紐の束を取り上げながら言う。
「こうやって、二つ折りにして、こういう風に結んだら、早いんじゃない?」
 二つに折った紐の輪を針金の向こうに廻し、手前で輪の中に紐の端二本をまとめて通して、引き絞る。
「ああ、フリンジのつけ方ね」
 私の言葉に、美姫はうなずいた。
 うん。確かに、このほうが効率がいいな。
「ふりんじ?」
「手編みのマフラーの端につけたりする房の事」
 きょとんとしている瀬戸に、美姫が説明をしてやる。
「あの……」
 不意に、安原が口を開いた。
「直接、針金に結ぶんじゃ無くて、まず、芯になるロープに紐を結んで、それをバックネットにくくりつけるってのはどうですか? そうすれば、屋外での作業はより少なくて済みますし」
 一瞬の沈黙。
「えらいっ!!」
 私と美姫が同時に同じ言葉を口にした。
 瀬戸の出したアイデア自体に縛られていた私達からみれば、まさに目からウロコの発想だ。
「なるほど、そのやり方なら、斜めの金網上にも横一線の直線が表現できるな。となると、設計図の見直しから始めないと」
 さっそく、さっきまで紐を計るのに使っていた板の上に設計図を広げ、瀬戸は何やら書き込みはじめた。
イラスト3
「えらいよ、安原。何より、屋内で作業ができるってのが気に入ったわ!」
 美姫が、安原の手を両手で握り、ぶんぶんと縦に振る。よほど寒さがこたえていたんだろうか。
「よし、こんなところだろう」
 瀬戸が設計図から顔を上げた。
「じゃあ、作業再開すっぞ」
「え?」
「何、ぼ〜っとしてんだよ。どのやりかたにせよ、下準備の手間は変わらないんだぜ。ほら、安原、設計図。変更点間違えるなよ」
 瀬戸は方眼紙を安原に渡すと、さっさと脚立のほうに向かった。
「あ〜あ。これでこの寒空の下から解放されると思ったのにい〜〜」
「ま、裏で苦労するのが三役の仕事だから、ね」
 ふくれる美姫をなだめながら、私は考えた。
 とりあえず、先に、使い捨てカイロ買いに行ってこようかな。



 実際の共同制作作業は、手間こそかかったものの、思ったよりもスムーズに進んだ。
 フリンジを結び付ける芯には、フリンジと同じ素材、平らなビニールの紐を使うことにした。
 色は共にピンク。瀬戸に言わせれば、桜のイメージなのだそうだ。
 作業のしやすさを考慮して一つのパーツの長さは1メートル、そこに100本の紐を下げ、それを櫛で縦に裂くことになった。
 紐を板に巻き付け、それをカッターで切り、意外と大きく出る紐の長さの誤差をハサミで切りそろえフリンジの材料を作り、フリンジを結び付け、フリンジを櫛で裂く。
 最初は流れ作業にしようかと思ったのだけど、フリンジを結び付ける作業と、フリンジを裂く作業があまりに手間がかかるので、紐が足りなくなりそうになったら材料を作る人を出すという形にした。今は、女子の半分がフリンジ付けを、残りの半分がフリンジ裂きをしている。
 そうやって私達が作ったパーツを、男子がスタンドで取り付けるのだ。
「本当に、体育祭前のような気分になってきたわ」
 美姫が平たいビニール紐に櫛の歯を立てて引き裂きながら言うと、作業をしていた女子がどっと笑った。
「パーツ、取りに来ました〜〜」
 高木と鈴木が美術室に入って来る。
「ねえ、取り付けは進んだ?」
 フリンジを結び付けていた手を休めて、みちるが聞く。
 美術室からは教室のある第一校舎が邪魔になってスタンドが見えないので、こちらで作業をしている女子には、屋外での作業の進行状況はわからないのである。
「『美』の字の上半分まではできたよ」
「じゃあ、一休みして、第一校舎から外の様子見てみようか?」
 私の提案に、皆がうなずく。
 美術室から最寄りの渡り廊下を通って第一校舎へ行くと、3階の廊下に出る。真正面の誰もいない教室のドアを開け、私達は窓際へ寄った。
 ここからだと、グラウンドの向こうのスタンドを見下ろす形になる。
 バックネットには、うっすらと『美』の字の上半分が浮き上がっていた。
「やっほ〜〜〜〜!!」
 美姫が窓を開けて、スタンドに手を振った。
 バックネットの向こう側で作業をしていた男子達が気付き、何人かが手を振り返す。
 そのうちの一人が、こちらに向かって走ってくる。瀬戸だ。
「そこから、ちゃんと読めるように見えてるか?」
 校舎の下まで走ってきてから、瀬戸は両手を口元に当て、私達に声をかけた。
「ちゃんと読めますよ〜〜」
 聖子が返事をすると、瀬戸は一旦振り向き、それからもう一度私達のほうを見上げた。
「ちょっと、そこで待ってろよ」
 それだけ言うと、通用口のほうに走って行く。
 しばらくすると、階段まで駆け上がってきたのか、息を切らせて瀬戸が教室に入って来た。
「お疲れさま〜〜」
「元気だねえ、瀬戸」
 康子が茶化すと瀬戸は笑った。
「あたりまえだ。こちとらまだ若いんだよ」
「その割りには、息が上がってるよ?」
「うるせえ」
 やりこめられたのが気に入らないのか、憮然としながら瀬戸は私の隣の窓に近づいた。
 身を乗り出すようにして窓の外を見る。
「う〜〜ん、やっぱり薄い感じだなあ……」
 ぶつぶつとつぶやく。
 それからこちらに向き直り、窓枠に持たれるように腕を組みながらしばらく何事か考えていた。
 やがて、顔を上げると、瀬戸は断言した。
「よし、密度を倍にするぞ!」
『密度を倍』ってことは、面積あたりのくくりつけるパーツの量を、倍に増やすってことなんだろうな、やっぱり……って、げっ、今から?
「えええ〜〜??」
 案の定、疑問とも抗議とも思える声がその場の部員から上がる。
「パーツ作り、急ピッチで頼むわ。じゃあな」
 それらの声をきっぱりと無視して、瀬戸はそれだけ言い置き教室を走り出て行った。
「倍ってことは、今まで作った分の倍以上のパーツを作るって事だよね?」
「共同制作の作業日は、昨日今日の二日でしょ? 入学式の明日は式なんかの邪魔になるから作業はするなって言われているし、翌日は始業式の後、個人作品の展示作業でしょ? 今日中にやれってこと?」
 話している美姫の顔が青ざめる。
「文句言ってる暇はないよ、瀬戸の奴、やると言ったら絶対譲らないんだから! さ、急いで戻って作業再開!」
 私は部員達を追い立て、教室を出た。



 結局、入学式の日の早朝まで使って、やっと作業は終了した。
 スタンドから少し離れた場所から、完成した作品を改めて見上げる。
 緑色のバックネットにくっきりと浮かび上がる、ピンクの『美』の一文字。
 風が吹くと、ざわざわと生きているみたいにうねる様は、なんともいえない味があるが、この表情は、密度を上げる前にはなかったものだ。
 瀬戸が一方的に出した無茶なオーダーに皆が文句を言わずに従ったのは、ああいう時の瀬戸の判断が極めて的確であるということを誰もが知っているからなのだ。
「なかなか、いいできだろう?」
「習字で言う『うちこみ』とか『止め』とかのディテールが、ちゃんと出てるじゃない?」
「あれ、苦労したんだぜ」
「でも、外で作業してるほうは進行状況がわかる分、いいよね。こっちはひたすら単純作業で辛かったよ」
「そう、そう。黙り込んでやってると滅入るからとにかく何か話しながらやってさ」
「だんだんハイになってきて、下らないギャグでも笑いがとまらなくなるの」
「あった、あった」
「いいなあ、そっちの方が楽しそうじゃないか。こっちはとにかく寒くて」
「日向はあったかいんだけど、日陰は寒いんだよな、この時期」
「で、スタンドの辺りは一日の殆どが日陰なんだから、たまんねーんだ」
 部員同士、完成した作品を見ながら、そんなことを話している。
 共同で一つの大作を作り上げた後の、心地よい連体感と達成感を、ここにいる誰もが共有していた。
 ふと、ぼーっとバックネットを見上げている安原が目についた。
「お疲れさま。初めての共同制作がハードで大変だったね」
 私が声をかけると、安原は振り向いた。
「全然、大変なんてこと、なかったですよ」
 笑いながら言う。
「写真は個人作業ですからね。こんな風にみんなで何かを作るってないんです。面白かったですよ。やみつきになりそうです」
「安原〜〜!」
 スタンドの方から瀬戸が安原を呼んだ。
「記録用の写真、撮ってくれよ〜〜。全景だけじゃなく、パーツの細部もな」
「はい!」
 短く返事をすると、安原は、私に一礼してからスタンドの方へ向かった。
「マリコ」
 不意に、後ろから声をかけられる。美姫だ。
「安原と、何を話してたの?」
「ん? お疲れさまって話だよ」
「そっか」
 スタンドの方に目をやったまま、美姫が返事をする。美姫の視線の先では、安原が三脚を立てていた。
イラスト4
「珍しいね、美姫が他の人をそんな風に気にするなんて」
 びくんと振り向いた美姫の頬が、かすかに赤らむ。
「アタシ……」
「お〜〜い、記念撮影するぞ〜〜! 美術部員、全員集合〜〜!!」
 何か言いかける美姫の言葉を、瀬戸の大声が遮った。
「記念撮影だって。行こう、美姫」
「あ、うん」
 美姫と一緒にスタンドの前に集まる皆のもとに向かいながら、ふと、考える。
 さっき、美姫は何を言いかけたんだろう?
 考えかけて、やめる。
 そう。それが必要なことなら、美姫はちゃんと言ってくれるから、私が考える必要はないだろう。

 とりあえず、そういうことにしておこう。

第5話へつづく


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