ブスの美学
─マリコさんの場合─

橋宗 優里

第3話

 来年度の新入生歓迎作品展に向かって実際の活動を始めるのは次の部会からなので、『自己紹介』が終わると、今日部会はさしてすることがない。
 いつもなら、部員達はそれぞれに石膏デッサンをしたり、仲の良い部員同士で雑談をしたり、早々に帰宅したりしているところだが、今日は少し違う。
 安原の周囲には、何人もの部員が集まっていた。
 1時間以上もぶっ続けで鉛筆を走らせていたためにこってしまったらしい肩をしきりに回しながらも、部会の始まる前、瀬戸の隣に座っていた時よりもずいぶんとリラックスした表情で安原は他の部員達と笑いあっている。部会前の部員達の少し距離を置いた雰囲気も、もうない。
 季節外れの中途入部者にとってはかなり辛い『自己紹介』だが、その過酷な課題を部員の目の前でクリアすることによって、中途入部者は美術部員として認められるのだ。
「最初は、緊張してるでしょ? で、わけわからないうちに『自己紹介』をやらされて、終わってふと気がつくと、他の1年生や先輩がもう身内扱いなんだよね」
 安原と同じく『自己紹介』を経験した美姫が、私の隣で言った。
「家に帰って自分の描いたスケッチブックを見返すと部員の顔と名前を覚えるのも早くなるし、向こう1ヵ月の『お断り厳禁』期間に一人一人の部員と話す機会もできるし、『自己紹介』を考えた先輩ってスゴイと思うわ」
 本当に、よくできた通過儀礼だと私も思う。
「ええ〜〜?」
 突然に、安原の声が聞こえた。何だ?
「それは恥ずかしいから、ちょっと……」
 どうやら、安原の描いたスケッチブックを見せて欲しいと誰かが頼んだらしい。
「俺、絵を描くの下手なんですよ。勘弁してください」
「断わられたらしょうがないなあ」
「本人の描いたスケッチブックは、本人の了解が無い限り非公開だもんね」
「そういえばさ……」
 安原の周囲の話題は、すぐに別のものに移っていったようだ。
「残念」
 美姫がため息をついた。
「彼の描いたクロッキー、じっくり見たかったのに」
「そんなに、面白かったの? どんな感じ?」
 私の質問に、美姫は少し考え込み、やがて首を横に振った。
「言葉で言うと、すごく単純なことだし、実際に見てみたほうが判りやすいから、言わない方が良いと思う」
「ふうん」
 美姫が『どう描かれるか楽しみ』とまで言った絵がどんなものか、見てみたかったんだけどな。
 まあ、いいか。どうせ、『お断り厳禁』期間に私のスケッチブックにも彼の絵を描いてもらうわけだし。
「あ、そういえば……」
『自己紹介』用のスケッチブック、どこへやったっけ?



「ねえちゃん、うるさいよ〜〜」
 ノックもせずに人の部屋のドアを開け、考史が顔を出す。
「ノックしなさいって言ってるでしょ!」
 怒鳴りつけると考史はちょっと不満気に唇をとがらせ、開けたままのドアを申し訳程度にコンコンとやった。
「お姉様、もう少し静かにしていただけませんか? 俺、仮にも受験生なんだからさ、ちょっとは協力してくれよ」
「高校受験程度で、今さら必死になって勉強しなきゃ受からないなんて、普段の行いが悪いからよ。自業自得。……あった!」
 私は机の下のスケッチブックの束の中から、やっと目的のものを探し出した。
「さっきっから、ごそごそごそごそ、そんなもん探してたのかよ。どれ……」
「あ! こら!」
 考史が私の手からスケッチブックを取り上げる。
 あんた、姉をなんだと思ってるのよ。
 ぱらぱらとスケッチブックを、よりによって、私が描いた方の『自己紹介』のクロッキーをめくると、考史は、ふふん、と鼻を鳴らした。
「変なの〜〜。こんなん、ねえちゃんの絵じゃねえじゃん」
「え?」
 スケッチブックをひったくる。うん。やっぱり私の描いたヤツだ。
「何よ、どういう意味よ、私の絵じゃないって」
「だって、こっちと全然感じが違うじゃんか」
 考史が顎をしゃくった先には、この間描いて飾っておいたイラストがあった。
「画材によって描き方のテクニックも変わるのよ」
「そういう意味じゃなくてさ。ねえちゃんの絵って、シャープで色っぽいじゃん。そういう持ち味が、こっちには無いんだよ。そういえば、去年のN高の学祭に展示してあったのも、ねえちゃんの絵じゃなかったな」
「油絵は、もっと違うんだってば! もう、用は済んだから静かにしてあげるわよ。さっさと勉強の続きしなさいよ〜〜」
 私は考史を部屋から追い出し、ほっと一息ついた。
 顔を上げると、自分が描いたイラストが目に入る。
 タイトで背中の開いた赤いドレスを着て、肩越しに振り向くスレンダーな美女。バックは熱帯雨林のグリーン。カラーインクの透明感を残したマットな色使いや、鋭角的なイメージのそれでいて滑らかなラインは、私自身も気にいっている。
 でも、こういうタッチは、美術部関係の作品では使ったことがない。
「やっぱり、画材のタイプに合うタッチ、合わないタッチというのはあるもんね」
 私はつぶやいた。



 安原が正式に入部したのは先週の土曜日だったが、今週の月曜日からの放課後の美術室はちょっとにぎやかになった。企画が無いときは部会以外ロクに顔を出さない部員が、美術室に来るようになったからだ。
 理由は単純。自分のスケッチブックに安原の描いた自分のクロッキーと自分が描いた安原のクロッキーを加えるためである。
 しかし、その勢いも5日目の金曜日ともなると、さすがに鈍るようだ。
「おはよ〜ございます」
 美姫と一緒に美術室に入ると、安原だけしかいなかった。
「おはよ。今日は、他の部員は?」
「さっき千鶴さんと聖子さんが顔を出して、一緒に買い物に行くんだって帰って行きました」
 私の質問に、安原が答える。
「でも、安原、写真部の活動もあるのに、毎日良く来るね?」
「僕と同じに中途入部した1年の室野が、『最初の1週間は毎日美術室に顔を出したほうがいい』ってアドバイスしてくれたんです。おかげで、殆どの部員のスケッチブックにクロッキーを描けましたよ。……そういえば、マリコ先輩の分、描いてませんよね?」
「あ、『センパイ』ちぇーっく!」
 美姫が笑う。
 美術部では総称として『先輩』と呼ぶことはあっても、敬称として『先輩』という言葉は使わない。男子は姓、女子は名前で呼び、敬称はつけても『さん』止りというのが不文律なのだ。
「まだ、慣れなくて……すみません、マリコさん」
 困ったように、安原は頭をかいた。
「美術部って、他の部よりこの手のルールが多いからね。まあ、だんだん慣れればいいんだから、あんまり気にしないでいいんだよ。……で、確かに私のスケッチブック、まだ描いてもらってないから、時間があるならつきあってもらいたいんだけど」
「いいですよ」
 安原がうなずいてくれる。
 私が画材用の大きなバッグから『自己紹介』用のスケッチブック2冊を取り出していると、美姫が話しかけてきた。
「なに? マリコ、まだ描いてもらってなかったの?」
「だって、このところいつも大勢が頼んでて大変そうだったから……」
「ふふ。マリコらしいね」
 美姫が笑う。
「はいはいはいはい……」
 照れ隠しに、あしらうように「はい」連呼しながら私は美姫に背を向け、安原にスケッチブックの片方と用意しておいた鉛筆を手渡した。椅子を用意して安原と向かい合う。
「美姫、時間計ってくれる? 安原、準備はいい?」
 安原がうなずくのを見てから、美姫は自分の腕時計に目を落とした。
「OK。時間は2分です。用意……始め!」

 クロッキーというのは、慣れない人にはなかなかに難しいものだ。
 初めてクロッキーをすると、多くの人がモデルの一部(多くは顔)から描き始め画面に順番に全体像を描き出そうとして時間が足りなくなり、結局、スケッチブックの大部分が真っ白な中に、モデルの一部を小さく描いている途中で終わってしまう。
 このままでは確実に描き切れない時間しか与えられず、それでもモデルを描写しようとするとなると、モデルの特徴を短時間に全体的に捕え、おおまかに描き出すというテクニックが必要になる。
 クロッキー自体、全体像を捕えるデッサン力を養うための訓練なのである。
 なのであるが。
「え……?」
 私は思わず声を上げてしまった。
 安原が私を描いてくれたクロッキーは、スケッチブックの紙いっぱいを使って、私の右耳が描かれていた。
 耳といっても、耳というパーツだけではなく、丁度、望遠レンズで耳を中心にその周囲だけ拡大したように、髪の毛や今しているカチューシャなどが、中心になる耳のパーツと同じ密度で描き込まれている。
「ね、面白いセンスでしょ?」
 美姫が、私の肩越しに安原のクロッキーを覗き込みながら、言った。
「あんまり見ないでくださいよ。恥ずかしいですから」
「恥ずかしがらなくていいよ。これ、確かに上手な絵じゃないけど、美姫の言う通り、すごく面白い。美姫が描いてもらったのって、どんなの?」
「へへへ。昨日描いてもらったのが、ここにあるんだよ。ほら」
「あ、見せないで下さいよ」
「駄目〜〜。所有者を描いたスケッチブックは、公開自由なんだから」
 安原の抗議を即座に却下し、美姫は私にスケッチブックを手渡してくれた。
 安原が描いた美姫は、左手だった。クロッキーをするスケッチブックを支える左手が、スケッチブックを画面の殆どに配する大胆な構図で描かれている。
イラスト1
「安原の感覚って、本当に写真的なんだね」
 私が言うと、美姫がぽんと手を叩いた。
「あ、そうか。全体が同じ比重で描かれてるのって、確かに写真みたいね」
「写真撮るときと絵を描くときに差はないでしょう? 写真みたいって言われても、ピンとこないですよ」
「ええ〜〜。普通は、写真と絵は違うよお。ねえ、マリコ」
「そうだね。絵は、自分の描きたいものだけ、描きたいスタイルで描くことができるから、こういうパーツを描く時は、中心になるものだけを……例えば手なら手だけを描くことが多いよね。それに、自分の目で捕えたものを描くわけだからクロッキーなんかで実物以上の大きさに描くことって、あんまりないんだよ。美姫の左手の絵のような構図の取り方も、絵ではあまりやらないね」
「はあ……」
「でも、なんでアタシが左手で、マリコが右耳なの?」
 美姫が身を乗り出すようにして訊ねる。
「いや、単に目についた所だってだけで、特に意味はないです」
「アタシの中で、安原の目についた所が、左手だったわけ?」
「はい」
 この非の打ち所の無い美少女を目の前に、目についた所が左手って、どおいう感覚なんだ?
「いいよ、うん。いいよ、そのセンス。気に入っちゃった」
 笑いをこらえながら美姫は言った。
「はあ……」
 安原は、何を笑われているのかわからないといった風に、きょとんとしていた。



 新入生歓迎作品展というのは、美術部員にとって大きなイベンントだ。展示場所をもその一部にする作品を個人で作ることができる機会は、年に一回この時だけだからである。
 学園祭などは共同制作作品としてそんな作品を作ることができるが、一つの部に割り当てられたわずかなスペースでは、個人作品としてそれらを展示することはできないし、校外の作品展には、そのような作品を募集しているものは殆どない。
 作品の物理的枠を超える作品を作ることができる。
 これは制作者側から言えば、一般的な美術の概念に囚われない自由度を手に入れることができる反面、その作品自体によって展示場所が限定されるということも意味する。
 教室を利用することを考えて作られた作品が、廊下での展示に向くとは限らない。逆もまた同じである。
 ゆえに毎年、部員同士の展示場所の取り合いはなかなかに熾烈なものになるのだ。

「一般教室への展示を希望する人は、挙手して下さい」
 私の言葉に、美姫を含めた15人の部員の手が上がる。
「この中で、天井だけ、ドアだけ等、他の部員と一緒に作品展示ができる可能性のある人は?」
 上がっていた15本の手が2本になる。
「恵美と和田ね。二人は教室のどこを利用したいの?」
「ドアを使いたいです」
「げ。俺も」
 恵美と和田は顔を見合わせた。
「それでは、教室は15人で抽選になります」
「じゃあ、抽選するぞ〜〜」
 ルーズリーフから一枚の紙を取り出し、シャープペンで線を引きながら瀬戸が言う。
 1−Aから3−Hまでの一般教室は24室あるが、なにせ、新入生歓迎作品展、階の違う2・3年の教室を利用する事はできても1年生の目に触れる機会が多くなくては意味がないので、実際に利用される一般教室は8教室である。
 15本の線のうち、8つに印をつけてそこを隠すように紙を折り返し、数本の横線を入れてから、瀬戸は立ち上がった。
「教室展示希望者は、線に印をつけて、横線入れること。当たっても外れても恨みっこなしだぞ」
イラスト2
 人に面倒くさいことは全部やらせるくせに、少しでも自分が楽しめそうな時には妙に素早いんだから……あんたは教室展示希望していないんでしょうが。
 心の中でツッコミを入れるが、まあ、仕切ってくれる分にはこっちも楽なので放っておこう。
「それ以外の展示場所を希望する人は、この校舎の見取図に、自分の利用したい場所を描き込んで下さい。こちらに用意した色鉛筆で、それぞれ別の色を使って、天井を利用したい場合は横線、それ以外は縦線で軽く塗りつぶして、ここからここまでという範囲はきっちりと図示すること。教室のほうで抽選落ちした人の希望も聞いてから調整をしますので、今の所は他の人と重なっても気にせず描き込んで下さい」
 拡大コピーをした全校舎の見取図を、作業机の上に広げて、私はその場を離れた。
 わいわいと、教室抽選に参加しない部員達が見取図の周囲に集まった。瀬戸の周囲では、そろそろ抽選が始まったのか、歓声が上がっている。
 気がつくと、二つのにぎやかな輪から少し外れて、安原がぽつんと座っていた。
「安原」
 私は安原の傍まで行って、笑いかけた。
「美術部の、新入生歓迎作品展のことは、聞いてる?」
「はい。瀬戸さんからも、他の部員からも聞いてます」
「個人展示は自由参加だけど、当然、安原も参加できるんだからね。遠慮しないでよ」
「遠慮してるわけじゃないですよ。写真部の方でも新歓企画があるんで、個人展示まではちょっと手が回らなそうなんです」
 あ、そうか。
 安原は兼部しているんだから、美術部ばかりにかまかけていられないんだっけ。
「元々、どういう条件で入部することになってたの?」
「美術部の作品の記録のための必要経費は美術部が持つ。写真を使った作品を作る場合は、できる範囲で協力する。その経費は、美術部が持つ。部活動中の美術部員および美術部の作品制作過程は、自由に撮影していい。写真を使わない美術部の制作作業の手伝いはしなくていい」
 指を折って数えながら、安原は言った。
「この間の『自己紹介』が、『写真を使わない美術部の制作作業の手伝いはしなくていい』ってのと矛盾するって、文句を言ったんですけどね、『あれは入部のための手続きであって、制作作業じゃない』って笑われました。騙された気分ですよ」
 確かに、詭弁っぽいなあ。
 私は苦笑した。
「写真部の活動も忙しいのに、瀬戸にホラまで吹かれて入部させられて、迷惑してるでしょう?」
「そんなことはないですよ」
 安原がめっそうもないと言いたげに首を振った。
「田中部長が沢山いる写真部員の中から僕を推薦してくれたことも嬉しいし、瀬戸さんがそれで納得してくれたのも嬉しい。瀬戸さんが嘘をついたのだって、それだけ僕の写真の腕を欲しいと思ってくれた結果なんですから。瀬戸さんは悪気を持って嘘をつく人じゃないですからね」
「うん。確かに、あの男、悪気だけはないんだけどね」
「それに、刺激的なモチーフを提供してもらえる上に、経費まで部費で落としてもらえるんだから、僕の方もメリットが大きいんですよ」
 凄いな。
 私は感心した。
 美術部への入部は、本人の希望じゃないはずなのに、こんな風に前向きに考えられるって、凄い。私だったら、不満たらたらになってしまうだろう。
 思わず安原の顔をまじまじと見つめていると、安原は真面目な顔で頭を下げた。
「心配してくださって、ありがとうございます、マリコ先輩」
 わっ。面と向かってそう言われたら、照れるじゃないの。
「はい、『センパイ』チェック」
「あ、やべっ……」
「まあ、私のことは、『マリコ女王サマ』と呼んでくれても構わなくてよ」
 照れ隠しの茶化しに安原が笑ってくれて、私はほっとした。
「来週からは、本格的に新入生歓迎作品展の準備にかかるけど、無理しない程度に顔を出してね」
「瀬戸さんとの約束は、『手伝いはしなくていい』ってことでしたけど、他の人が作業をしているのに一人で写真撮っているのもやっぱり気がひけますから、共同制作はできるだけ手伝おうと思ってます」
「本当? そう言ったこと、きっと、後悔するよ?」
 私がわざと意地悪な顔つきでそう言うと、安原は笑った。
 この時は、私も安原も、この言葉が本当になるなんて思ってもいなかったのだった。

第4話へつづく


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