ブスの美学
─マリコさんの場合─

橋宗 優里

第13話

 駅の公衆電話から家に電話をかけると、考史が出た。
「あ、ねえちゃん? ちょっと待って」
 私が「もしもし」と口にするなり、考史はそう言って受話器の送話口もふさがずに電話の向こうで大声を上げた。
「かあちゃ〜ん、ねえちゃんから電話〜〜!」
 電話の向こうの遠くから、母さんがなにやら言っているのが判るが、内容は聞き取れなかった。
「かあちゃん、トイレ入ってるって。今、何処だよ? 駅ならオレ、迎えに行くよ?」
「あ、いいよ。友達に送ってもらうから」
「友達?」
 何かを考えているように、考史が黙り込む。
「そう。とにかく、送ってもらって帰るから心配しないでって、母さんに言っといてよ」
 しかたがないので、それだけ言って、私は電話を切った。
 駅の出口近くで、もの珍しそうに周囲を見回していた瀬戸が、テレホンカードが出て来る電子音に振り向く。
「電話、終わったか?」
「うん。じゃ、悪いけど、よろしくね」
「悪いことなんかないって、言っただろ? じゃ、行こうぜ」
 瀬戸は、先に立って出口の階段を降りて行った。

 駅前のほんの十数メートルの商店街を抜けると、あっという間に奇妙で静かな田園風景になる。作りかけのニュータウンへ続く舗装路は道幅も広く、歩道も街灯も整っていて小綺麗なのだけど、それがいかにも田舎な周囲の風景と微妙なバランスで融合しているのだ。
 道の両側にには水田と、このあたりの特産のイチゴのビニールハウスが広がっている。GWに田植えを終えたばかりの田んぼの水面が、街灯とまばらな住宅の明りを映して小さくさざめいていた。遠くからちょっと気の早い蛙の鳴く声が聞こえてくる。
 私は、自分の足元を見ながら、とぼとぼといつもよりもゆっくりとしたペースで歩道を歩いていた。
 暗い足元に道の街灯が落とす明りが近づいてきて、街灯の下を通りすぎると黒い影がくっきりと足元から伸びてきて、街灯から離れるにつれて長く伸びながら暗くなってゆく周囲にまぎれてゆく。
「おもしろいよね」
「ん?」
 私の言葉に、瀬戸がどうでもよさそうな生返事を返す。
「影って、周りが暗くなると溶けちゃうんだね」
「ん」
 どうでもよさそうな気の無い返事が、別に無理して話しかけなくていいんだって言ってくれているようで、私は再び口を閉じた。
 瀬戸は、ゆっくり歩く私に歩調を合わせてくれながら、ただ黙って歩いていた。
 電車を降りる前の私の行動やその後の泣いていたことが明らかな顔を、瀬戸がどう解釈したのかはわからない。いつもの私だったら、「瀬戸はどう思ったろう?」ってことをぐるぐる考えながら心の中でじたばたするところだ。
 けれど、瀬戸の沈黙は優しい。その結果として表れた優しさがありがたくって、今の私は、途中の瀬戸の解釈なんてどうでもよくなってしまっていた。

 これからどうしよう?
 ふと、そんなことを考える。
 私は安原が好き。これは、もう誤魔化せない事実。
 美姫は安原が好き。これも、事実。
 安原は美姫が好き……かもしれない。これは、推測。
 これから、私はどうしたらいいんだろう? 

「おい、マリコ」
 突然、瀬戸が口を開いた。
「この辺りって、本当にひと気がないじゃないか。お前、ホントに学祭準備の帰り、大丈夫なんだろうな?」
 怒ったような口調に、私はちょっと驚いた。
「あ、大丈夫よ、大丈夫」
「なんだったら、遅くなった時は送ってやってもいいんだぜ?」
「大丈夫だってば。今年は弟が入学したから、弟と待ち合わせして一緒に帰れるし」
「弟? そういや、いるって言ってたな。バスケ部だっけ?」
 あれ? そんな話、何時したっけ? 瀬戸、よく覚えているな。
 そんなことを考えていたら、前のほうから聞き慣れた声で呼びかけられた。
「ねえちゃん!」
 駅から家までの道のりのちょうど中間に公園があって、入り口にいつだったか私がよっぱらいのおっさんを避けて逃げ込んだ電話ボックスがある。その電話ボックスのドアを内側から開けながら、考史は私に向かって手を振って、それから瀬戸に小さな会釈をした。
「何してんのよ?」
「ちょっと友達に電話してた」
 近付いて言う私に、考史は右手に持ったテレカをひらひらさせた。それから瀬戸の方をちらりと見る。
 ま、一応紹介しとくか。
「瀬戸、コレ、弟の考史」
「瀬戸です。マリコさんとは部活で一緒で」
 笑顔で瀬戸が自己紹介すると、考史は「ああ」と口を開けた。
「美術部の部長さん? お噂はかねがね……」
「マリコ、お前、家でどんな『お噂』してんだよ?」
 瀬戸がにやにやと笑いながら言う。
「あんた、自分がN高の有名人だってこと、自覚してる? 私が何も言わなくても、N高に入学すれば美術部のお祭り部長の噂くらい耳に入るに決まってるでしょ。……じゃ、瀬戸。送ってくれてありがとうね」
「え?」
 瀬戸が、意味がわからないといった表情で聞き返す。
「ここまででいいよ。後は、考史と帰れるから。考史、電話終わったんでしょ?」
「うん」
「でも、俺が送るって言ったんだから……」
「いいの、いいの。あんまり遅くなっても、お家の人に悪いし。じゃ、また明日ね」
 まだ送ると言いたそうな顔をしている瀬戸に踏ん切りをつけてやるために、私はさっさと背を向けて考史のほうに歩きだした。考史は、私の後ろの瀬戸に会った時と同じ小さな会釈をした。
「マリコ」
 呼びかけに振り向くと、妙に真剣な表情の瀬戸と目が合った。
「これから学祭に向けて忙しくなるんだからな。さっさと落ち込みから浮上しとけよ」
 不器用というのとは違う、単に厳しいだけでもない、おしつけがましくもなければ、腫物に触るようでもない。それは慰めというよりも癒しだった。
「まかしといて。今週末の『共同制作作品コンペ』では、あっと言わせる企画を出してやるからね」
 私の言葉に瀬戸はいつものにやにや笑いを復活させた。
「俺様のアイデアにゃ、かなわないだろうけどな」
 それだけ言って、瀬戸は私に背を向け、こちらも見ずに後ろ手に手を振った。
「じゃ、明日な」



「で、あの人がねえちゃんの彼氏?」
 瀬戸と分かれてすぐ、考史が突拍子もないことを言い出した。
「はあ〜〜〜〜?」
 なんでそうなる??
「夜、家まで送ってくれる男友達ってったら、つきあってる彼氏に相場は決まってんじゃん」
「……考史、電話ってのは口実で、ホントは偵察に来たんでしょ?」
「ばれた?」
「残念でした、瀬戸は単なる部活友達」
 私の言い方から嘘でないことを理解したのか、考史は口を尖らせた。
「なんだ、ホントに違うのか」
「当り前でしょ! 私にそんな相手がいるわけないでしょが」
 そう、私なんかにそんな相手がいるわけがない。
 私みたいなブスなんかに、好意を持ってくれる人はいたって、恋愛感情を持ってくれる人なんているわけがない。
 そんなこと、自覚してる。わかりきってる。

 そうだね。
 何も、悩む必要なんてないんだ。
 私は安原が好き。この「好き」は、単なる先輩後輩の間にある好意じゃなくて、話しているだけで胸の中で小さな何かがはしゃぐ、思い出しただけで手のひらの何かをきゅっと握り締めたくなる、そんな「好き」。
 普通の女の子なら、こういう意味の「好き」という感情を持ったら、色々な未来を思い描くものだろう。できれば自分の気持ちを相手に伝えたい。そして、できれば相手にとって特別な存在になりたい。自分と同じ特別な「好き」という感情を、相手にも持ってもらいたい。
 でも、私はブスだから。
 そんな、普通の女の子が期待するような都合の良い未来なんて、ありはしない。
「好き」という気持ちを伝えても、「どうやって断わろう?」「気まずくなるのも嫌だし」「困ったな」なんて思われるに決まってる。
 ドラマや漫画では、「断わられてもいい、嫌われてもいい、自分の気持ちに正直になりたい」なんて、相手のことも考えずに「好き」だって気持ちを押し付ける主人公がいたりする。けれど「好き」だからこそ、自分のすることがそんな風に相手の負担になるのは私には我慢できない。
 だから。
 私は安原が好きで。美姫も安原が好きで。
 普通に考えたら親友との三角関係の大事なんだけど、なんにも悩む必要なんてないんだ。
 どうせ安原には伝えられない気持ちなんだもの。今まで通り、誰にも何も言わなければ、何も変わらないんだから。

「ねえちゃんの周りの男って、見る目ねえのな」
「おべっか使っても、何にも出ないよ」
 考史の言葉に、私は笑ってやった。



 お風呂から出てパジャマに着替えて、居間にいた父さんと母さんにおやすみを言ってから、自分の部屋に入る。
 今日はなんだか疲れたから、もう、寝てしまおう。
 部屋の蛍光灯を消して、私はごそごそとベッドに潜り込んだ。
 何もしたくないし、何も考えたくない、ぐっすりと眠ってしまいたいのに、目は冴えていた。
 無理やり眠りにつこうと目を閉じてみると、何も考えたくないはずの頭の中にふと、美姫のことが浮かんできた。

 初めて「彼女」を見たのは、N高入試の朝、入試会場に向かう電車の車内だった。
 同じ中学から同じN高を受験するメンバーと一緒に乗車口近くに陣取った私は、本当は最後の最後まで単語カードでも開いて足掻きたいくらいに不安だった。でも受験仲間達は、直前に入試を控えた緊張感からか、妙にハイになってへらへら冗談を言い合っていて、そんな彼等の前で単語カードを手にしたらどんなふうに思われるだろうなんてことを考えてしまったらとてもできなくて、私は、イマイチなギャグに愛想笑いをするしかできなかった。
 そんな時だ。
「お、アレ」
 不意に声をひそめて一人の男子が言った。
 彼の視線の先に一つ離れた乗車口から乗り込んでくる女の子がいた。
 少し離れた所からもはっきりとわかるほど、目鼻立ちの整った綺麗な子だった。
「すげえ、美少女」
「あれって、H中の制服だよな?」
「N高、受けるのかな?」
 好奇心の塊といった感じの男子達のざわめきになど気が付いていない彼女は、吊革に手をかけて車内に自分の場所を確保すると荷物を足元に置き、開いた片手でポケットからすっと単語カードを取り出して慣れた手つきでめくりはじめた。
「やだ、今さら焦ってもしょうがないのに」
「よっぽど自信ないんでしょ」
 男子達の興味を一身に集めた彼女が気に入らないのか、やっかみ半分の女子達が意地悪くささやきあう。
 でも、私には彼女の横顔に焦りの色も自信の無さも感じられなかった。むしろ、普段通りのことを普段通りにやっているような落ち着きと、そうやって普段から積み重ねただろう自信がほの見える。
「今からやったって、無駄な努力よねえ?」
「ん……」
 同意を求める友達の言葉に曖昧にうなずいてしまう自分にうんざりした分、彼女の涼やかな横顔の印象は私の中に強く残った。

 次に「彼女」を見たのは、入学式前のオリエンテーションの日、N高の講堂前の中庭だった。
 オリエンテーションに参加するために集まった、まだ中学の制服を着たN高新入生とその保護者が、受け付け前の時間を落ち着かない様子で過ごしていた時だ。
「新入生の皆さん」
 突然に凛とした男の人の声が響いた。
 振り向くと、後ろに吹奏楽団を従え指揮棒を持った学生服姿の上級生が一人、ぴんと背を伸ばして立っていた。
「この度は、合格おめでとうございます。皆さんの前途を祝して、我々N高吹奏楽部よりこの曲を贈ります」
 その後に作曲者名と曲名を言ってから、その人は回れ右をして指揮棒を構えた。振り下ろされる白い棒にに導かれた曲は、どこかで聞いた覚えのある行進曲みたいなクラッシック。作曲者名は忘れてしまったけれど、曲の名前が『威風堂々』だったことは覚えている。
 いきなり始まった演奏会にしばし動きを止めた人々は、演奏の途中で講堂の入り口に出された机で受付けが開始されると、その演奏をBGMにして今まで以上のざわめきを取り戻した。
 私が母さんと一緒に長い列に並んでいると、重々しい和音の響きを最後に曲が終わった。まばらな拍手につられて拍手をしながら楽団の方に振り向くと、視界に名前を知っているわけではないけれど、見覚えのある横顔が入ってきた。彼女だった。
 おざなりではない拍手を終えると、彼女は隣の母親らしき人に何やら話かけて笑った。
 入試の時に見たどこか緊張感を漂わせた彼女も綺麗だったけれど、リラックスした笑顔を浮かべた彼女はまるで一枚の絵の中で微笑んでいるモデルのように綺麗に見えた。

「彼女」の名前を知ったのは、入学式の日。
 入学式前に一旦集合するように指示されたこれからの一年間を過ごす1−Aの教室で、彼女の姿を見つけた時の私の気持ちをどう表現すればいいんだろう? それまでの、同じ中学出身の友達がみんな他のクラスになってしまったための心細さは、奇妙な安堵と嬉しさにとってかわられた。
 個別認識をしている人がいるというそれだけで「知らない人ばかり」という不安が払拭されるのは、決して不自然なことではないだろう。それを嬉しいと感じるのも、普通だ。けれど、その時の私の嬉しさは、もっとドキドキしたものだった。
 今までテレビのブラウン管の向こうにいたアイドルが、突然に手の届く目の前に現われた感じに似ているかもしれない。
 やはり友達と別のクラスになってしまったのか、彼女は一人で自分の出席番号の札が張られた机に座っていた。私も一人で同じ状況にある者同士だったから、彼女に話しかけるのに理由を探す必要はなかったけれど、実際、彼女に声をかけるのには結構な勇気が必要だった。
「一人?」
 私がかけた言葉に少し驚いたように彼女は顔を上げた。
「あなたも?」
「うん。私、田崎真理子っていうの。S中出身」
「あたしは、名川美姫。H中よ」
 そう言った彼女の顔は、意外なくらいに人なつっこい表情だった。

 それから、二人とも中学のときは美術部だったってことがきっかけで、私達はどんどん親しくなっていったんだっけ。
 私は知らず、ため息をついていた。
 眠りにつくことをあきらめて、ベッドの中で目を開け、サイドボードのライトをつけ、うつぶせになって枕を抱きしめる。
 私は、美姫が好きだ。
 安原が好きってのとは全然違う「好き」だけど、これも嘘じゃない正直な気持ち。
 美姫は綺麗で、かわいくて。でも、単に綺麗でかわいいだけじゃなくて、芯にしっかりとした強さを持っている。
 その反面、私みたいなブスと同じ悩みを抱えていることさえ、愛しい。
 美姫のためなら、なんだってしてやりたい。
 そう、安原とのことだって……
 ぎゅっと、枕を抱きしめると、中身のプラスチックのパイプが軋むような乾いた音をたてた。
 そう。どうせ、私が安原とどうこうなるってことはないんだから。せめて美姫くらいは幸せになってもらいたいじゃない。女の私でさえ素敵だって思える女の子の美姫が、幸せになれないなんて変じゃない。
 別に、同じ人を好きになった相手が親友だから、我慢して諦めようなんてことじゃない。自分はイイヒトなんだって思いたいわけでもない。
 こういう気持ち、他の人に理解してもらえるんだろうか?
 安原が好きなのも本気だけど、美姫を応援してあげたいのも本気なのだ。
「ホント、悩む必要なくなっちゃったな」
 私は枕を放り出して一人で笑った。
 今日は、いきなり涙が出て止まらなくなっちゃったけど、それはいきなり安原への気持ちを自覚したための混乱から。
 一晩寝て、気持ちが落ち着けば、ちゃんと今まで通りにできるはず。
 明日も、放課後になれば美術室へ行って、コンペでの企画を練る下級生の相談に乗ったりして、当然、安原とも美姫とも顔を合わせなくちゃいけないけど、こうやって自分の気持ちも自分がしたいこともはっきりわかったんだから、今日みたいなみっともないトコは絶対に見せないでいられるはず。
 大丈夫。きっと……
 再びベッドに潜り込んで寝返りを打つと、ベッド横の壁に安物のスチールの額に入れて飾っておいた、一番新しいイラストが目に入った。
 早朝の美術準備室で安原に見られた、あのイラスト。安原が好きだと言ってくれた、あの……
 私は、ベッドから上半身を起こして手を伸ばした。壁から額を外し、額ごと机と本棚のすき間に突っ込む。
 別に、思い出すのも嫌だってわけじゃないんだけど、まだ気持ちが混乱している今は見るのが少し辛いから。
 だから今は、見えないところへ置いておこう。

第14話へつづく


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