ブスの美学
─マリコさんの場合─

橋宗 優里

第11話

 美術室の中ではまだ、クロッキーの描きあいが続いている。
 安原を探してぐるりと視線を巡らすと、クロッキーをする人の輪から外れ、瀬戸と何やら話している安原が目に入った。
「安原! ちょっといい?」
 私は、振り向いた安原においでおいでをした。
「なんですか? マリコさん」
 別れ際に瀬戸に軽く会釈してから、安原は私達のところに来た。
「安原さ、絵画展とか、行ったことある?」
「たまに写真展には行きますけど、絵は……」
「美姫が、S市で明日までやってる天沢タカシ展のタダ券もらったんだって。ほらこれ」
 私は安原にチラシを渡した。
「ファンタジー系の作品が多いけど、大胆な構図をとる人だから、きっと写真撮る人にも参考になると思うよ。行ってみない?」
 写真と絵は似て非なるものなのだけど、視角に訴える表現という意味で共通する点も多い。色彩に対するセンスとか、明暗のバランスとか、限られた平面に表現したい物を切り取り配置する構図とかは、即、自分の作品に活かせる可能性があるものだ。
 なにより、二次元的視覚表現に限らず良い作品と接することは、それだけで心を豊かにし、自分の作品を表現したいという欲求の根っこにあるものを磨いてくれる。
 もしも安原が乗り気でないようなら、そんな言葉を並べ立ててやろうと思っていたのだけど。
「そうですね」
 安原はあっさりうなずいた。
 私の隣で、美姫が輝くような喜びの表情を浮かべた。私も、思いがけずすんなりと目的を達し、にんまりとしていた。
 そんな美姫と私に、安原はにっこりと笑って言った。
「是非、御一緒させて下さい、マリコさん、美姫さん」
 へ?
 一瞬、安原が何を言ったのかわからなかった。なんでここに、私の名前が出てくるんだ?
 少し考えて、やっと私は理解した。安原は、私と美姫が一緒に天沢タカシ展に行くものだと思っていて、三人目として自分が誘われたと思っているのだ。
「あ、あの……」
 私は日曜日には用事があるから、二人で行っておいでよ。
 そう続けるつもりで開いた口を、美姫の言葉が塞がせた。
「うん、私もマリコも、歓迎よ」
 ちょっと、美姫。あんた、せっかく二人きりでデートできるチャンスを自分で棒に振るわけ?
 振り向いた私に、美姫の目はお願いとすがりつくような色で同意を求めていた。
「だって、『二人っきりじゃ、なんだもの』……ね、マリコ?」
『いきなり安原と二人っきりで外出というのは、自分の気持ちがバレバレになっちゃいそうで嫌だから、後生だからつきあって欲しい』という言外の美姫のお願いは、しっかりと私に伝わってきた。
 でも……
「なんだこれ、天沢タカシ展?」
 いつのまに近くに来ていたのか、瀬戸が不意に私達の間に割り込んできた。安原の手からチラシを取り上げ、覗き込む。
「今、マリコさんと美姫さんと、一緒に行こうかって話をしてたんですよ」
 安原の言葉に、瀬戸は「ふん」と鼻を鳴らした。
 うわ、ヤな予感。
「これ、四人までタダなんだろ? 俺も行くぞ。何時にどこで待ち合わせだ?」
 瀬戸はそう言って、チラシを安原に返した。
 あんたねえ、「行ってもいいか?」でも「つれてってくれ」でもなく、「行くぞ」ってのは何よ?
 でも、四人目のタダ券が余っているのは確かで、ここで無下に断わるのも不自然だし……
 私は、心の中でため息をついた。
 しかたがない、私も一緒に行って、瀬戸が二人の邪魔をしないようにフォローするしかないじゃない。



 その夜、私はクローゼットを前に、頭を悩ませていた。
 制服のある学校の生徒で、日曜日も家でイラストを描くことが多くてあまり外出することのない私の洋服ダンスの中味は、家でゴロゴロしたり近所に買い物に行く時に着るようなラフな服がメインだ。
 そういう事情があるにしても、年頃の女の子としては寂しい限りの私のワードローブだが、これにはちょっとした理由がある。
 私は、シンプルでちょっとセクシーな、大人っぽいデザインの服が好きだ。単色のAラインワンピースとか、タイトなシルエットのパンツスーツとか。でもそれは、「好きな服」であって「私に似合う服」ではない。
 私はブスだから、それも、ちっとやそっと工夫してもどうにもならないブスだから、残念なことに似合う服というのが限られる。年不相応に大人っぽい服というのも似合わないし、女の子女の子している服も似合わない。毎年変わる流行りの服も、まわりに似た服を着た、しかもその服が私よりもずっと似合う女の子達が一杯いる状況では手を出したいとも思わないし、流行に乗ろうと足掻く姿自体、ブスに似合わない。
 世の中、「別に似合う似合わないは関係ない、この服が好きだから着る」という人もいる。客観的に見たらとてつもなく似合わないのに、ピン・タックとフリルと段々ペチコートの某ブランドの服を着てる人なんか、きっと誰でもが一度は目にしたことがあると思う。
 私は時々、そんな人がうらやましくなる。その人にとって、似合わない服を着ている自分を見られたり笑われたりすることよりも、その服を着ることの方を優先できるほどにきっちりと、他人に影響されない自分を持っているということだからだ。
 自分自身がブスであるという自覚からの自意識過剰のため、そこまで自分に自信を持つことができない私は、似合う服しか着ることができない。そして、ブスである自分の容姿とブスである自分のために自分自身で作った性格に似合う服というのは、実は結構限られてしまうのだ。
 中学生になってからは親と一緒に服を買いに行くこともなくなって、夏と冬のシーズンの始めに母さんから「服でも買ってらっしゃい」とまとまったお小遣いをもらうようになったのだけど、試着室の鏡を見ながら再認識させられる着たいと思える服と似合う服のギャップにおしゃれの意欲も枯れてしまって、この何回かは流行に左右されないアイテムを数着買い足して、残ったお金を画材につぎ込むようになっている。
 だから、いざ、誰かと日曜日に外出となってみると、着て行く服に困ってしまうのだ。

 とりあえず、ジーンズは避けて、メンズのシャツやトレーナーも避けて、そしたら、上はブラウスとカーディガンかなあ? 下は、キュロットかパンツか……
 クローゼットの観音開きの戸を開け放したまま、私はベッドの上であぐらをかいて頭を抱えた。
「まあ、たかがS市のイベントホールなんだけどね」
 だから、どんな格好だって構わないといえば構わないのだけど……。
 構わないのに、なんで私はこんなに悩んでるんだろう?
 ふと、そんな疑問が頭に浮かぶ。
 私は自分の中にその答えを探し、それを見つけた。
 そう。
 あんまりラフすぎて、はりきっておしゃれしてくるかもしれない美姫が浮いちゃったらかわいそうだしね。
 だから悩んでいてもいいのだ。そう結論付けて、私は再び服選びに思考を戻した。



 日曜日、私は約束の10時32分発の上り列車をホームで待っていた。
 目的地のS市のイベントホールの最寄り駅は、私の家の近くの駅から通学に使う路線の終点まで20分ほどかけて行って乗り換え、さらに電車で15分ほどの所にある。
 今日一緒に「天沢タカシ展」へ行く約束をした四人は、みんなこの路線を利用しているので、列車と乗り込む位置を決めて集合することにしたのだ。安原と瀬戸は始発駅からこれから来る列車の最後尾に乗り込み、途中で私が加わり、さらに先の駅で美姫が合流し、目的地へ向かうことになる。
 遠くで、踏み切りの警報機の鳴る音がしはじめる。
 私は立ったまま自分の服装をチェックした。
 昨夜の熟慮の結果、今日の私のいでたちはあっさりした綿のブラウスに薄手のカーディガンとキュロットスカートというものになった。明度は高いけど彩度は低めの、それでいて春らしい色彩でまとめて、地味すぎず派手すぎず、ちょっと活動的な印象を与えるけどラフすぎではない、まあまあのコーディネイトにできたと思う。よし、ホコリや糸くずはないな。
 段階的に警報機の音が近づいてきて、駅構内の向かいのホームへの通路にある警報機が耳障りな音で鳴りだし、遮断機が降り始める。わかってはいるけれどいきなり大きな音で鳴り出す警報機。私の心臓はその音に小突かれたように鼓動を速めた。
『白線の後ろにお下がりください』のアナウンスが繰り返され、やがてホームに列車が入ってきた。
 目の前に止まろうとする最後尾のドアのガラスの向こうに、安原と瀬戸の姿があった。二人ともこちらを向いていたので、すぐに私に気付いたらしい。瀬戸が軽く私に向かって手を振った。
 微かな空気の抜けるような音とともに、私達を隔てていたドアが開くと、ドアの近くに立っていた二人の全身像が目に入る。
 なんか、凄く新鮮だなあ。
 美術部員同士は他の部に比べて仲がよい方だと思う。でも、部活帰りに一緒に画材屋へ寄ったりちょっとお茶したり、日曜日に間に合わない作業をするために皆で学校に集まったりというのはよくあるのだけど、学校から離れ、改めて待ち合わせをしてどこかへ出かける機会というのは、あまりなかったりする。だから、2年以上同じ部活にいる瀬戸でさえ、私服姿を見るのはこれが初めてだ。
 安原は、チノパンにシンプルなチェックのシャツ、開いた襟から清潔そうな白いTシャツが覗いてる。瀬戸は、デザイン化された目つきの悪い魚が大きくプリントされたTシャツに綿のパーカーをはおって、ボトムはジーンズ。
 二人とも、いつも日曜日にはそんな格好をしているのだろう。制服と同じくらいにそれぞれの服が体に馴染んでる。
「おはよう」
 車両に乗り込みながら言った私の言葉に、安原と瀬戸が同時にこたえる。
「おはようございます」
「うっす」
 そういう声は、制服を着ている時と同じものだった。
 日曜日の午前中の最後尾の車両の中は、思ったよりも空いていた。沿線の駅の改札口が、ホームで停止した列車の真ん中の車両周辺に集中しているのが理由だ。
 しかし、私達は空いている席には座らず、下り方面向き運転席を区切る壁の所に立っていた。
「今、安原と話してたんだけどな、せっかく電車賃払ってS市まで出るんだから、『天沢タカシ展』見るだけじゃもったいないだろ? ついでにどこかで遊ぼうぜ」
「マリコさん、映画とボーリング、どっちがいいですか?」
「私はどっちでもいいけど……、今、映画って、何やってたっけ? GW公開のヤツだよね?」
 私の問いに、瀬戸はジーンズの後ろポケットから、半分に畳んであったタウン誌を引っぱり出した。
「瀬戸にしちゃめずらしく、用意いいねえ」
「なんだよ、そりゃ? ほら、これが今月のロードショーのカレンダー。S市の映画館はここな」
「マリコさん、どんな映画が好きなんですか?」
 そんな安原の言葉をきっかけに、ひとしきり好みの映画の話題で盛り上がる。
 安原は基本的にはほのぼのコメディが好き。特にスティーブ・マーチンとかいうコメディアンが出ている映画が好きなのだそうだ。瀬戸は、オリジナルなデザインの造形物に興味があるから、未来を舞台にしたりエイリアンが出てきたりするSFが好き。
 私は、あまり色々な事を考えないで見ることができる、明るいアクション映画が好きだ。
 そんな話をしていたら、ちょっとした振動とともに列車のスピードが落ちた。駅に近づいたのでブレーキがかかったのだけど、話に気をとられていた私には、体を前に持って行こうとする慣性の法則に逆らうだけの体勢が整っていなかった。
「あっ」
「おっと……」
 前方に体を泳がせた私を、安原は二の腕を掴んで、瀬戸は私の体の前に腕を出して、二人同時に支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
 安原がかけてくれた言葉に、かっと頬が熱くなる。
「あはは。サンキュ」
 笑いで照れ隠しをしながら、私はドアの近くについている銀色のポールに掴まり直した。
「何年電車通学してんだよ?」
 からかうような瀬戸の物言いに「2年と1ヵ月よ」と唇をとがらせながら視線を上げると、停車しようとする列車の窓越しに、近づいてくる美姫の姿が目に入った。
「おはよう」
 開いたドアから入ってきた美姫は、小花柄のシンプルなシルエットのワンピースに身を包んでいた。
「この格好でボーリングって、普通はしないよねえ?」
 私のつぶやきに、安原が「ですね」と応える。
「じゃあ、映画でキマリだな」
 きっぱりという瀬戸とうなずく私達を、美姫はきょとんとした顔で見返していた。

「しかし、絵ってのは高いんですねえ」
 天沢タカシ展を見た後、ファーストフードで遅い昼食を食べながら安原が言った。
「あそこで売ってたのは、原画じゃなくて、それを元に版を起こしたシルクスクリーン……要するに、版画なんだけどね。すみっこに、1/100とかって数字が入っていたでしょ? あれ、100枚刷ったうちの1枚目って意味のシリアルナンバーなんだよ。で、100枚刷ったら版の方を壊して、これ以上刷れないようにしちゃうんだって」
「美姫、詳しいね」
 隣の私が感心すると、美姫はへへっと笑った。
「お兄ちゃんからの受け売り」
「でも、それじゃあ、同じのが100枚あるうちの1枚なのに、100万円なんて値段がついてるってことですよね? 世界に一枚しかないんだったらともかく……」
「天沢タカシってのは、一般ウケする人気のあるイラストレーターだし、固定ファンも多いから、需要が多い分値崩れしないんだろう。あまり知られてない画家の絵なんて、世界に一枚しかないのに20号で6万円とか、結構安いぞ」
「同じ世界に一枚しかない絵が、一方ではン十億円、一方はン万円。そこらの美大生が描いたのなんか、実費だって売れなかったりするよね」
「厳しい世界なんですね」
 瀬戸と私の説明に、安原はあきれたように言った。
「安原、欲しい絵でもあったの?」
 美姫が、フライドポテトの最後の一本を手にしながらたずねる。
「気に入った絵はありましたけどね。廃虚にたたずむマントの男のモノクロのやつ」
 そういえば安原は、あの絵の前でかなり長い間、足を止めていたっけ。
 大胆に左側を空けた構図と、きっぱりしたコントラスト。マントの男の足元から長く伸びる影。画面を通して静寂が聞こえてくるようなそのイラストには、どこかモノクロ写真にも通じる味があったのを思い出す。安原が魅かれるのもわかるような気がした。
「お金はあんまりないけど、気に入った絵は飾りたいっていうのなら、アートポスターを探すのも良いかもよ? 額装ポスターなら1万円くらいだし」
 私が言うと、美姫がうなずいて続けた。
「ジグゾーパズルが嫌いじゃないなら、そっちで探すって方法もあるよ。天沢タカシなら、Y社からシリーズが出てたはずだから、パネルと合わせて8千円くらいで手に入るんじゃないかな?」
「あ、そういうテもあるんですね」
「なんだ、美姫もジグゾーパズルをするのか」
「瀬戸も?」
「いや、オフクロがさ。パネルさえ買っとけば、大きいサイズの絵がかなり安く手に入るようなもんだからな。部屋に飾って楽しむ分にはこれが一番安上がりだって、ワンシーズン毎に新しいのを作っては、居間の『絵』を掛け換えてんだ」
 一つのテーブルを挟んで対角線上にいる美姫と瀬戸が、ジグゾーパズルの話をしてるのを片耳に入れながら、私はアイスティーの最後の一口をストローからすすった。
 ふと、目を上げると、美姫と瀬戸の方を向いて話を聞いていたらしい安原と目が合った。
 向こうも私に気がついて投げかけてくれた笑顔に蹴飛ばされたように、私の心臓が跳ねる。
「ジグゾーパズルって、写真も多いよね?」
 美姫が安原に話題を振ったので、安原はすぐに私から目をそらして話に加わった。
 安原からの視線がなくなったことにほっと一息をつき、皆が食べ終わった後のハンバーガーの包みなんかを片付けやすいようにまとめ始めながら、ほんの少し早くなってしまった鼓動に触発されたように、突然に自分の左の二の腕によみがえった温もりの記憶に私は戸惑った。
 急に減速した電車の中で、よろけた私を支えてくれた安原の手の意外な大きさと温かさ。
 やだな。
 ひどく、安原を意識してしまっている。
 安原を好きなのは、私じゃなくって美姫なのに……
「おっと、そろそろ移動しないと、映画の上映時間に間に合わないぞ!」
 腕時計を見ながら瀬戸が言う。
「じゃ、いこうか」
 私はゴミをまとめたトレイを手に立ち上がった。

第12話へつづく


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