| ブスの美学 | ─マリコさんの場合─ |
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私、田崎真理子はブスである。 ブス──この言葉、辞書によっては載っていない場合もあるので、ここで明確に定義しておこう。 ブス(俗語) 容貌の醜いこと、またそうである人。 容貌の美醜の基準は、時代と文化によって異なる。 トルコでは「満月のような美人」という言葉に代表されるように、ふくよかなことが美人の条件なのだそうだし、平安時代は白粉で真っ白になった下ぶくれの顔と豊かな黒髪が美人のトレードマークだった。
はれぼったい一重まぶたも、笑うと線になる目も、太くて濃いくせに短い眉も、鼻翼が大きくてしかも鼻孔が真正面を向いている鼻も、厚すぎて大きすぎる唇も、肉のつきすぎた赤すぎる頬も、しゃくれたアゴも。どれも、現代の美的感覚から言えばお世辞にも美しいとは言えないパーツだし、それらが絶妙なバランスでそれぞれの悪い所を強調するように合体した私の顔は、これ以上ないほどにブスの名にふさわしいものなのである。 わずかな欠点を針小棒大に騒ぎ立てる自称ブスとは違う。 思い込みでも謙遜でもなく、客観的事実として私はブスなのだった。 六限の終了を告げるチャイムの音と同時に、一定のリズムで続いていたチョークの音が止まる。 「本日の授業はこれまで」 数学担当の通称『マシンガン』こと上野先生が宣言すると、すかさず日直が起立の号令をかける。 礼の声に合わせて下げた頭を上げると、教室内の空気は、すでに放課後の色に変わっていた。 「先生!」 授業中にわからないところのあった私は、教壇を離れかけた先生に声をかけた。 「質問があるんですけど、いいですか?」 「おう。どこだ?」 教壇の上に今日の授業の題材のプリントを広げ、質問を口にしようとしたときだ。 上の階、3年生の教室の方から、「よーお」という大きなかけ声とともに、威勢の良い三本〆の音が聞こえてきた。途中、合の手を入れながら次第に大きくなるように3度繰り返されたそれが終わると、パパパンと複数のクラッカーの音が鳴り響き、歓声と拍手が湧いた。 まだ教室に残っていた大部分の生徒が、呆気にとられて天井を見上げている中、上野先生はハゲかけた頭を掻きながら、苦笑した。 「そういえば、そういう季節だったなあ」 「何ですか、あれ……?」 「3年生は、今日が最後の授業でな。ありゃ、3年間のカリキュラム全終了を祝う、代々3−H(理数科)に伝わる伝統行事なんだ。2−G(この教室)は斜め下だから、こんなに響いたんだろう」 「N高って、こういう、わけのわからない伝統が多いですね」 「歴史が長い分、どうしても多くなるんだろうな。……で、質問は何だって?」 「はい。この問4の解説で、ベクトルを使った別解があるとおっしゃってましたけど、どうやれば良いのかわからなくて……」 広げたプリントを指すと、先生は「ああ」とうなずいた。私の手からシャープペンを取り上げ、説明をしながらプリントの余白に数式を書きはじめる。 「グラフ上の点Aと点Bを原点からのベクトルで表わすと……」 マシンガンのように間断なく続くペンの走る音は、いつもの板書と同じリズムだ。それがおかしくて思わず先生の顔に目をやった私は、初めて上野先生のまつげの長さに気がついた。 長くてきっちり外向きにカールがかかったまつげと、ぱっちりした目。 ああ、なんて勿体ない! 中年のハゲかけたオッサンには、こんなアイテム、無用の長物じゃないの。交換してもらえるものなら、交換してもらいたいものだわ! 私は真剣にそう考えてしまった。 「……と、こうすることで、点Bの座標が求められるわけだ。わかったか?」 「あ、はいっ。ありがとうございました」 先生の言葉に、我に返る。本当は説明の半分はうわのそらだったけど、先生はちゃんと式を書いてくれてあるから、後で自分で解けばなんとかなるだろう。 「そういえば、田崎。お前、美術部だったなあ? 今度の4月も、例のヤツをやるのか?」 「はい……そろそろ計画を立てようかと思ってるんですけど、部長がノリ過ぎるのが怖くて……」 はっはっはと、先生は高笑いをした。 「瀬戸は、すっかり美術部の有名人になってるからな」 「そりゃ、先生。傍から見ていれば笑い事でしょうけど、副部長の私はたまりませんよ」 私はため息をついた。 県立N高校は、来年度には創立百年にもなろうかという伝統校だ。毎年有名大学に多数の合格者を出す進学校であるにもかかわらず、部活動などの授業とは関係のない活動が盛んであり、学校生活に密着した伝統行事や通過儀礼が多いという特色を持っている。 私が所属し、副部長を務める美術部は、創部が学校創立と同時であるという古い部で、数ある部の中でも伝統行事が多いことで知られている。 その上、現在の美術部は稀代の「お祭り部長」を得て、「史上最強の美術部」とまで噂されているのだ。 「はっはっは、それは気の毒をしたなあ」 先生は、さらなる高笑いをしながらばんばんと私の肩を叩いた。 「まあ、上手に手綱をしぼることだ。俺は、楽しみにしているからな」 「はあ」 楽しみにしてくれているのはありがたいのだが、それにともなう私の苦労を考えると、素直に喜べなかったりする。 「ま〜り〜こ〜〜〜! 美術室行こ〜〜〜!」 後ろのほうから、美姫ののんきな声が聞こえてきた。
「大丈夫、用は終わったから。ちょっと待ってて」 私が言うと、ほっとしたように笑って美姫は顔をひっこめた。廊下で待ってくれるつもりなのだろう。 「もう一人の美術部の有名人のお出迎えか」 上野先生が言う。 「しかし、田崎と名川が仲が良いってのは……」 その先になんと言おうとしてのだろうか? 先生は途中で言葉を止めた。 私は、そんな不自然さに気付かないかのように先生に笑いかけた。 「面白い取り合わせだって、自分でも思いますよ。じゃあ、質問に答えて下さってありがとうございました」 「あ、ああ。部活、がんばれよ」 少しばかりぎこちなくそう言うと、先生は教室を出て行った。 「ごめんなさい」 帰り支度を済ませ廊下に出ようとすると、美姫の声が聞こえてきた。 なにがごめんなさいなんだ? そう思いながら廊下に足を踏み出した私は、それが自分に向けられた言葉ではないことに気付いた。 廊下に立つ美姫の前には、見た覚えのない男子生徒がいた。上履きの色から3年生とわかる。 彼は私に気付いて、赤くなった顔を伏せた。 また、か。 私はわざと大きめの声で、美姫に呼びかけた。 「美姫、お待たせ!」 美姫は私の方を振り向き、ほっとしたように笑った。それから男子生徒の方へ向き直り「失礼します」と頭を下げてから、小走りに私の方へ来た。 美姫と一緒に歩き出しながらちらりと後ろを見てみると、彼はまだ美姫の背中を見送っていた。 「また、断わったの?」 廊下からガラス戸で隔てられた渡り廊下に入った所で、私は美姫に聞いた。 「だって、一度も話したことないのに、いきなり『好きです』なんて言うんだもん。ドコが好きだって言うのよ、まったく!」 「そら、外見なんでしょ? 他に何にも知らないはずなんだから」 私は言った。 美姫……名川美姫は、美術部の二人の有名人のうちの一人だ。 何故、彼女は有名人たりえたのか? 理由は、その美しい容姿と、ガードの固さだった。 同じ美術部で、一年の時に同じクラスだった私は、去年一年間、美姫と殆どの学校生活を一緒に過ごした。その間、私の目の前で彼女に交際を申し込んだ人間は、1年生4人、2年生5人、3年生9人、講師1人、教育実習生2人。私の知らない所でアプローチした人間も多いだろうから、アタックした人数はもっと多いはずだ。 ウソだぁ! ……と言いたくなるこのべらぼうな人数も、美姫の美貌を見ていると当然と思えてしまう。 日本人離れした色素の薄さ。長いまつげに縁どられた大きな二重の目と、いつも濡れたように輝いている明るい色の瞳。優美な弧を描く眉、高すぎず低すぎない上品な鼻、薬用リップ愛用者なのにつややかな薔薇色の唇。理想的な卵型の顔のラインと、すっきりした首のライン、しなやかに伸びた四肢。染みひとつソバカスひとつない、なめらかな白い肌。 少しくせのある明るい栗色の髪やどこか少女らしさを残したイメージは、今の流行とは異なるものだ。けれど、逆に言えば美姫は、流行に合わせて自分を飾ることなしに他者にその美しさを認めさせてしまうほどの美しさを持っているのだ。 まあ、美しいものに魅かれる気持ちは美を愛する美術部員として理解できるので、彼女に魅かれ告白する者の多さも納得できるのだけどね。 しかし美姫は、全ての男の交際の申し込みをしりぞけたのだった。 今ではひそかに、「向かってくる男子生徒をことごとく失意のどん底に叩き付ける」という意味で、『恋の撃墜王』と呼ばれているらしい。 「マリコぉ……」 美姫は情けない声を出しながら私に抱きついた。 「アタシの理想って、高すぎるのかなあ?」 「下げてもいい程度の理想なら、さっさと下げちゃえば?」 「う〜〜。それはイヤ」 「だったら理想のカレをみつけるまで、がんばんなさい」 ずりずりと美姫を引きずりながら、渡り廊下を抜け、私は第二校舎へのドアを開けた。 丁度、第二校舎の方から3年生の女子が二人、目の前の階段を降りてきて、踊り場に直結した渡り廊下に出ようとするところだった。彼女達は私と美姫の姿を見て、くすりと笑った。美姫が慌てて私から離れる。
「まるで引き立て役じゃない」「そこまでして綺麗に見られたいのかしら」 先に立って階段を上がろうとしていた美姫の足が一瞬止まる。 「なんで急に止まるのよ! ほら、行った、行った」 私はそんな美姫の背を押してやる。 振り向いた美姫に笑いかけると、美姫は笑い返してくれた。再び階段を上がり始める。 私達だって、わかっている。 美姫がとんでもない美人で、私がとんでもないブスで、この二人が一緒にいることが、何も知らない人にはどれほど奇異に見えるかって事。 でも、私達はそれ以上にわかっているのだ。 私達は、似ている。私達は、他の誰よりもわかりあえる。 私が自分がブスであることを常に再認識させるような美人である美姫と一緒にいられるのも、美姫が「友人を引き立て役にする酷い人間」の誹りを受けながら私と一緒にいられるのも、互いをかけがえのない存在だと確信しているからなのだ。 今日の美術室には、まだ誰もいなかった。 「今日はアタシ達だけかなあ?」 美姫が、作業机に鞄を置きながら言う。 美術部では、特別な企画がない限り個人が好きなときに、好きなように創作活動をすることになっている。運動部や吹奏楽部、合唱部などは毎日部活動に参加することが前提になっているようだが、そこは、創作系文化部の気楽さだ。週に一度、土曜日の部会(ミーティング)には全員が集まるが、それ以外の日だと自分達以外に誰もいないということもある。そろそろ新たな企画を立て始めようという端境期(はざかいき)のためか、ことに今週は活動している部員が少ないように思える。 私も美姫も、今は学校で描いている作品がないので、今日はしばらく美術室で雑談でもして、早々に帰ってしまうことになるだろう。 日の当たる南の窓際から外を見下ろす。生徒用のゲタ箱を通って出て行く帰宅組の生徒達と、慌ただしく行き来するジャージ姿の運動部員が見えた。 教室のある第一校舎の向こうには、雲一つない空をバックに頂に雪を抱いた山が連なっていた。 「さっき、六限の授業が終わった後、どこかから三本〆が聞こえてこなかった?」 私の隣で柔らかい日差しに目を細めながら、美姫が聞く。 「2−E(美姫のクラス)でも聞こえたんだ。あれ、理数科の3年生の、授業が終わったお祝いの儀式だって。『マシンガン』が言ってたよ。ウチのクラスは近いから、地鳴りみたいに響いたけど」 「こっちは、『あ、なんかやってるな〜〜』って感じだったな」 「去年は、聞こえなかったよね?」 「ん〜〜。1−Aと3−Hとは第一校舎の対角線上の一番遠いトコだったから、聞こえなかったんじゃないかな?」 美姫は、窓ガラスに指で校舎と教室の位置関係を描いた。それから私の方を見て言う。 「でもさ、ああいうのって、いかにもN高らしいよね」 「あ、私もそう思った」 「入学式前のオリエンテーションでの吹奏楽部の演奏とか、応援団(エンダン)の歌唱指導とか、競歩大会とか、いろんな行事があるもんね」 「そういえば、『マシンガン』が、新入生歓迎作品展のことを気にしてたよ」 「あれも、N高名物だもんね」 美姫が笑った。 新入生歓迎作品展とは、美術部の新入生勧誘活動の一環として行われる校内の作品展だ。 4月の1ヶ月間は、新入生が各部の見学をしたり、仮入部をして部活動を体験したりする期間である。その間、部活動説明会や個別勧誘、ポスター掲示などで、各部は新入生獲得のための努力をするわけなのだが、我が美術部は廊下や教室の壁にポスターを掲示することが許されていない。 「新入生勧誘のポスターの掲示場所は張ったもの勝ち。すでに張ってあったら、それに重ねて他の部がポスターを張ってはいけない」という生徒会の決めたルールのあった二十数年前、当時の美術部が、前々から大量に用意していたポスターで目立つ場所の壁の殆どを占拠してしまったのが事の起こりだ。 「確かに、ルール違反ではないが、美術部は元々絵を描くのが得意な人間が集まっているのだし、他部と違い部活動中に活動の一部としてポスターを描くことができる分、より多くのポスターをより早く用意することができる。そんな美術部と他部が同じ条件ってのは、変じゃないか!」 一致団結した他の部からの抗議に頭を悩ませた生徒会は、美術部に一つの条件を提示した。 今後も壁にポスターを張りたければ枚数を制限すること。制限に応じられない場合、廊下や教室の壁に美術部のポスターを張る事は禁止する。 普通なら、「ハイ、わかりました」と枚数の制限に応じるところだが、当時の美術部長は違った。 「わかりました、『壁には』ポスターを張りません」 そう約束をして壁のポスターを剥がした翌日、教室の黒板の下半分を美術部のポスターで埋め尽くしたのだ。 結局、さすがに教師から文句をつけられた生徒会との協議の結果、各部の利用する廊下や教室・階段の壁、授業の邪魔になる可能性のある教室内の窓と黒板、踏んで滑る危険のある床を除いた『全ての場所』を、4月の1ヶ月間に限り美術部は自由に使って良いことになったのだった。 それ以来、校内の天井や廊下の窓を使った美術部の勧誘ポスターは、単なるポスターの枠を超えた『作品展』となっているのだ。 「新入生歓迎作品展の準備は、いつから始めるの?」 我が部の部長は、事務的なことには徹底的に興味のないヤツなので、部のスケジュールを立てるのは副部長である私の仕事である。美姫の言葉は、そういうことを承知しての質問だ。 「明日の部会から計画を練り始めようと思ってる」 「去年よりも早くない?」 「途中、学年末試験が入ってギリギリになっちゃったから、今年は早めに始めようと思ってさ」 「個人展示作品も用意しなきゃいけないもんね」 「美姫は、今年はドコへの展示を考えてるの?」 「1年生の教室の天井とドア」 「教室は希望者多いから、抽選だよ?」 「外れたら、体育館の廊下の天井でも使うわ。マリコは?」 「1年の女子トイレの個室の壁。しゃがんだときに目の前にくる辺り」 ぶっと、美姫が吹き出す。 「そんなトコに展示したら、ばっちくて作品、使い回せないじゃない」 「たまには、一回こっきりの作品もいいかな〜〜なんてさ。瀬戸の影響、出たかな?」 「瀬戸の作品は、使い回しなんて考えちゃいないもんね」 「本人のいきあたりばったりな性格が良く出てると思わない?」 「将来的なヴィジョンがないんだよね」 私達は大笑いした。 「お前らなあ〜〜〜」 後ろから、聞き覚えのある声。 「他人の悪口は、本人がいないことを確認してから言えよな」 振り向かなくてもわかる。美術部のもう一人の有名人、部長の瀬戸亮介だ。 「悪口じゃないわよ。ね、マリコ」 「客観的評価だもの。ね、美姫」 私達は顔を見合わせて笑った。
瀬戸の不満気な声と、誰かの押し殺した笑いが聞こえてくる。 あれ? 瀬戸だけかと思ったら、他に部員がいるんだ。 振り向くと、瀬戸とその隣の男子生徒が目に入った。部員ではない、1年生だ。 私と目が合うと、彼は慌てたように「失礼しました」と言った。 「瀬戸の友人?」 美姫がたずねる。 「ああ、中学の時の後輩で、写真部の安原隆。今日から美術部にも所属することになったんだ」 瀬戸の紹介に、彼は礼儀正しく頭を下げた。 「はじめまして、安原です。よろしくお願いします」 それが、私達と安原の出会いだった。 |